第26話 「教えてくれよ」-前-

 始まりは些細な事だった。野営地をふらふらと歩き回っていたゲラルツが、地面に寝転がっていた兵士の脛に足をぶつけた。語気荒く因縁をつけて迫る兵士に対して、退くことを知らないゲラルツがどう出るかなどわかりきったことだった。


 カザトとリックが駆けつけた時、現場はすでに死屍累々だった。

 ウィレ・ティルヴィア陸軍の制服を身に着けた男たちが腕やら足を抱えながらそのあたりに転がっている。倒れた軍人たちの中央で、顔やら腕に擦り傷と痣をつくったゲラルツが傲然と立っていて、その傍らにはエリイ・サムクロフトが泣き出しそうな顔をしていた。


「ゲラルツ……!」

「お前、これどうしたんだよ」


 ゲラルツは口の中を切っているらしく、溜まった血を吐き捨てながら首を捻じ曲げた。


「弱ぇやつらだ」


 エリイが倒れている兵士たちの手足を取った。

 ことごとくが折れている。しかも、悪い折れ方をしていた。


「オマエふざけんなよ!! 喧嘩にしてもやり方ってのがあんだろ!?」


 エリイが吼えた。サムクロフト重工の令嬢とは思えない、凄まじい語気だった。目に涙を溜めてゲラルツの襟首を締めにかかる。その腕をゲラルツが掴みあげて、エリイの首を逆に締め上げた。


「おいおい……!?」

「ゲラルツ!! やめろ!!」


 リックとカザトが駆け出した。


「テメエに何がわかんだよ」


 ゲラルツの手に、無意識に力がこもる。エリイが息を詰まらせながら、きつい眼光で彼を睨んだ。そのエリイの視界からゲラルツの顔が消え、横から茶色髪の少年が割り込んだ。


「この馬鹿ッ!!」


 音を立てて飛んだ何かがゲラルツの頬骨にめり込んだ。放されたエリイが地面に尻もちをつき、リックがぽかんと口を開けた。


 そこには腕を振り抜いたカザトの姿があった。


「女の子に手を出すヤツがあるか!」

「テメエ!」


 ゲラルツはすぐさま立ち上がり、殴り上げようと拳を振る。その拳が空を切り、身を屈めて避けたカザトの平手がゲラルツの頬を引っ叩いた。


「何考えてんだよ!」

「うるせぇ!」


 ゲラルツの両手が伸びた。カザトの襟首を持って締め上げる。


「テメェに何がわかんだよ!」

「わからないよ! でも、やっちゃ駄目な事くらいわかるだろ!」

「何もわからねぇなら止めんじゃねえよ殺すぞッ!!」

「なら教えてくれよ!!」


 カザトも負けじとゲラルツの襟首を掴む。


「確かにお前のことを何も知らないかもしれない……なら、教えてくれよ!」

「ん、だ、と……?」


 手を離せばたちどころに殴り合いが始まる。お互い、にらみ合いとなった。


「やめろよ!」


 すかさずリックが間に割って入る。


「テメェなんで止めんだよ!」

「わからねぇよ! わかんねぇけど駄目だろ!? 駄目だから止めんだよ!」


 なおも食い下がろうとするゲラルツに身体ごとぶつかり、押し止める。

 そこへ、大声が飛んだ。


「何をしているッ!!」


 ジストだ。ポーピンズも一緒にいる。


「こりゃまた、派手にやったもんだ。始末が面倒なことになるよ」

「ゲラルツ、カザト、リック、お前ら……」


 ジストが拳を握る。殴られる、と覚悟したその時だった。


「待って!!」


 エリイ・サムクロフトが前に立ち塞がった。ジストの胸下くらいしかない身長の少女が両手を広げて立ちはだかった。


「ゲラルツはともかく、カザトさんとリックさんは止めようとしただけッス!!」

「止めるどころか事態が悪化してる。三人まとめて許すわけにはいかん」

「分からず屋!! ゲラルツがボケならアンタも大概のアホンダラッス!!」


 エリイが鉄を削るような声で叫んだその時だった。


「おい、アーヴィン」

「なんだ?」

「右の空を見な」

「空だと、今は夜……―」


 彼らが悶着を起こしている右手で、空が橙の色に光った。


「なんだ、雷か?」


 リックが暢気な声をあげ、カザトは首を横に振った。


「違う、あれは―」


 ボン、ボン、ボンと立て続けに遠雷のような音が響いた。

 ジストはカザトらに向き直った。


「出るぞ」


 カザトとリックは立ち上がった。

 だが、ゲラルツだけがその場に腰を下ろした。


「ゲラルツ、何の真似だ」

「テメェらだけでやれよ」


 ジストは足早にゲラルツに歩み寄ると、その襟元を掴んで引き立たせようとした。


「ふざけんのも大概にしろよテメェ」

「待ってください」


 カザトはジストが振り下ろそうとする拳を手で押し止めながら、ゲラルツに振り向く。座り込んで荒む少年から目を反らさずに、カザトは頷いた。


「大丈夫です。ゲラルツは後からきっと来てくれますから」

「……なんだと?」


 ほう、とポーピンズが意地悪そうな笑みを浮かべた。そのジストの背後から、搭乗員服に身を包んだファリアが声をかけた。


「大尉、出ましょう」

「……いいだろう」


 ジストは背を翻して機体へと歩き出した。ゲラルツの方には、もう見向きもしなかった。


「来いよ、絶対だからな!!」


 リックが何度も振り返りながら機体へと走り去っていく。


 後にはカザトとゲラルツだけが残された。


「……んだよ」唾を吐き捨てる勢いでゲラルツが凄んだ。

「手は貸さない」カザトは怯むことなく静かに告げた。「待っているから」

「うるせぇよ。とっとと消えろ」

「信じてるからな」


 言って、カザトもまた自分の機体の元へと歩き出した。後には、ゲラルツだけが残される。カザトが機体へ乗り込む間にも、そしてハッチが閉じる瞬間まで、ついに座り込んだ少年が動くことはなかった。


『ラインアット隊、出るぞ。4機で隊列フォーメーションを組む。やれるか』

「「了解」」


 紅い装甲のアーミーの眼が光る。そうして宵闇に眼光を散らしながら、鋼鉄に身を包んだ怪獣が起き上がった。


「カザト・カートバージ、出ます!」

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