第17話 "大陸路"を越えて-2-

 公都シュトラウスに出頭したラインアット隊は第一軍司令部で、唇を笑顔風に捻じ曲げた"魔女"アン・ポーピンズ中佐の出迎えを受けることになった。ジストの不景気そうな面構えを認めたアンは顎で奥を示した。


「魔女のババアが無言だぜ」リックが頬を引き攣らせながらゲラルツに囁いた。

「黙ってろ」


 仏頂面のジストの後ろをファリア、カザトが進み、その後ろにリックとゲラルツがいる。いつの間にか陸軍の兵士が三人ほど真後ろを固めている。



 カザトはずっと不安だった。昨日の夜から一睡もできず、もしも陸軍を免官されたらどうすればよいのだろうということばかり考えている。命じられるままに戦線へと赴き、侵略者と戦うことで自身の夢見る英雄になれるかといえば、そんなことはない。戦うことなど全ての兵士にとって当たり前なのだ。


 何をすれば英雄になれるのだろう?


 どんな兵士であれば英雄と呼ばれるのだろう?


 カザトの考えることはそればかりだ。そもそも、何も始まってすらいない。何をすればいいのかさえわからない。


―お前の戦う理由は借り物だ。


 炎の中に落ちていったモルト軍のパイロットが言い放った言葉をいつも思い出す。自分の心からの願いと、兵士になった動機を、あの敵兵はその一言で片付けた。何も言い返せなかった自分に怒りさえ感じた。


 だが、あの時の自分は何を言い返せただろう。言い返せたとして、それが敵兵を黙らせることができるものだっただろうか。戦いの中で歴史を切り拓いてきた英雄に憧れた。それがとても格好良く、見事なものだったからなりたいと願った自分の想いをどう言葉にできただろう?


 やはり自分の願いは借り物で、本物では―。


「……ちがう」

「カザト君?」


 ファリアの声に我に返った。


「い、いえ、なんでもありません」


 カザトはあいまいな笑みを浮かべ、両頬を叩いて気合を入れる。



 司令部へ通され、伏し目に中へと入ったカザトは甲高い靴音で顔を上げた。あのジストが踵を合わせている。隣を見ればファリアも敬礼していて、カザトはジストの肩越しに前を見た。


 見てしまった。


「諸君、ご苦労」


 目の前にいたのは陸軍大将、第一軍総司令官にして、ウィレ・ティルヴィア軍最高司令官の男。


「アーレルスマイヤー将軍……」


 カザト、遅れてリックと(形式だけではあるが)ゲラルツが敬礼した。執務机に片手を置いて微笑していた最高司令官は答礼を返すとジストに向き直った。


「ひどい有様と聞いている。大尉」

「申し訳ありません将軍」

「さすがに持て余すか? 苦労しているようだが」

「いえ。アーミーは―」


 アーレルスマイヤーは「わかっている」とジストの肩を叩き、それから執務机に腰を置いて体の重心をそちらに預けた。えらく行儀が悪い行いだが、長身の将軍が行うとそれでも絵になるのだからわからない。


「君の現状を憂いた彼女に頼まれてな。この場に来たいと言って聞かなかったんだが、彼女には大事な仕事がある」


 アーレルスマイヤーは頷き、ジストに書類を手渡した。不甲斐ない戦いぶりを責め、ジストたちを罷免するのは容易い。だが彼らはラインアット・アーミーを擁した初の機甲部隊だ。それを解散させるのは忍びない。そこまでアーレルスマイヤーは述べた上で、机から立ち上がった。


「君たちに機会を与える。これが最初で最後だ」

「……ざけんなよ」

「ゲラルツ君!」


 ファリアの叱責が響いた。当の茶色髪の少年は前に進み出た。


「勝手に呼び出して機会を与えるだのなんだの、テメェ何様だ」

「……ゲラルツ、下がれ」


 ジストが振り向いた。カザトとリックが息をのむほど恐ろしい表情をしていた。


「イキっていい場の区別さえできねえんならぶっ飛ばすぞ」

「いい、大尉。その准尉に思いの丈をぶちまけてもらおうじゃないか」


 ジストはすぐに元の位置へと戻った。ゲラルツはジストに己の肩をぶつけながら前へと歩み出る。


「テメェ大将なんだろ。軍で一番偉い奴だ。ウィレ軍で一番強い奴だ。そうだな?」


 ゲラルツの言葉は軽薄だが、その威圧する眼光は大人でさえ射竦める苛烈さがある。だが、アーレルスマイヤーは怯みもせずに真正面からそれを受けた。


「ああ、その通りだ」

「テメェをぶっ飛ばせば俺は一番強ぇヤツ、ということになるな」

「ゲラルツ!!」


 カザトが思わず前へと飛び出し、ゲラルツの肩を掴んだ。


「るせぇっ」


 ゲラルツは肩をひねって振りほどき、後ろも見ずにカザトを突き飛ばした。

 荒れる、と全員が覚悟した。真っ青な顔をしたロペスの横で、愉快そうにアンだけがにやけている。


「それだけいきがって、弱い者いじめか?」

「……んだと?」


 アーレルスマイヤーは静かに腕を組んだ。ゲラルツの瞳をまっすぐに覗き込み、首をかしげる。


「どれほど強いかと期待したんだが、見かけだけのチンピラだったな」

「テメェに何がわかんだよ」

「わかるとも。君をここに、いや、ラインアット隊に呼んだのは私だ。君の事はよく知っている」


 アーレルスマイヤーはゲラルツを捨て置き、後ろで尻もちをついているカザトに手を差し伸べた。


「立てるか?」

「は……はい!」


 大将の手を取り、立ち上がりながら確信する。ゲラルツは目の前の将軍には勝てない。役者が違い過ぎる。


「ゲラルツ=ディー=ケイン君」


 階級を取り除き、友人に語り掛けるような気さくさだった。しかし、次いで出た言葉はカザトたちも知らなかった"真実"だった。


「君がモルト人だということも」

「テメェーッ!」


 振り向いたゲラルツの拳が唸りを挙げた。鬼の形相で将軍に殴りかかった瞬間、ジストが身構え、ファリアが制止しようとその場を初めて動いた。カザトは立ち上がったばかりで、リックは凍り付いて動けない。


 だが、拳は空を切った。屈みこむように身を縮めたアーレルスマイヤーは、ゲラルツの腕を左で取り、右腕で彼の喉首を抑え込んだ。そのまま仰向けに引き倒す。


「テメェ、俺を怒らせて―」

「ああ、怒らせるために言った。だが事実だろう」


 右膝でゲラルツの股間を押さえつけ、完全に上位マウントを取る。身をよじって反撃しようとするゲラルツを完全に抑え込んだ。


「テメェに何がわかんだよ」

「しおらしくなったな。どうした、もう終わりか」

「テメェに、何が、わかんだよ!」


 彼を拘束したまま、将軍は囁いた。


「わかるとも。君を軍に呼んだのは―。君が、自分がモルト人であることを嫌っているからだ。モルト人であったがために、辛い目に遭ったからだ。君も家族も。だから君は強い人間になりたいと願った。だから私は君をラインアット隊に呼んだ」


 アーレルスマイヤーは膝をどけた。


「ムカつく野郎だなテメェ……!」

「事実ということは否定しないんだな」


 喉首からゆっくりと手を離す。


「さ、もう終わりにするか?」


 アーレルスマイヤーは彼を離してやった。


「殺す!!」


 飛び上がるように立ち上がったゲラルツは拳を握り―。唸りを挙げて飛んだジストの拳を顔にめり込ませ、執務机の上まで吹き飛ばされた。


「このクソガキが」


 一発で失神したゲラルツの足を引きずって床に下ろしたジストはその場に膝をついた。


「はーっ、やれやれ……」


 アーレルスマイヤーは深く溜息を吐いて腰を折った。


「申し訳ありません、閣下」

「いやいい。最後までやらせてくれてもよかったんだぞ」

「将軍に兵士が殴りかかるなど、あってはならないことです」

「君が上に対し、そこまで殊勝な人間だとはポーピンズ中佐から聴いてなかった。驚いたな」


 ばつが悪そうに黙り込むジストに対して、アーレルスマイヤーは不意に天井を指差した。


「ここは息が詰まる。場所を移そう」

「し、将軍。ゲラルツは……」

「そうだな。何事も人生経験だろう。重営巣に一週間ほど放り込んでおけ」


 青くなるロペスに対して何事もなかったかのように笑うアーレルスマイヤーを見て、カザトは静かに溜息をついた。ゲラルツの完敗だ。

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