第13話 病室での雑談

「今日はどうだった?」


 錆びのある低い声だった。肺を撃たれた後遺症か、キルギバートの声は元のものより少しだけ低くなった。だが、今の方が落ち着いた外見に似合っているなどと、ブラッドはそんな事を考えていた。


「変わったことはあったか?」


 寝台に胡坐をかくキルギバートは覗き込むように身体をかがめた。もう数か月、散歩と検査、軽めの運動以外で寝台から離れていない。ブラッドやクロスに一日のことを聴くのも、彼にとっては唯一の娯楽なのだ。


「ひでえ一日だった。明けても暮れても訓練訓練だ」

「訓練なら俺の頃もだいぶやっていただろう?」

「次元がちげえよ」


 病衣を着て苦笑いするキルギバートは夏の頃よりもだいぶ痩せていた。保護された頃に比べればましだとブラッドは心中で頷いていた。日に日に、体に刺さっている輸液や投薬の管の本数も減っている。これならじきに癒えるはずだ。


「だが、大尉の言ったとおりだよ。どうやら要請は無駄だったらしい」

「今日もか?」


 深刻そうに俯き、腕を組むキルギバートに対してブラッドは肩を竦めてみせた。


「ま、その様子ならじきに復帰できるだろ。それまでは何も心配せず養生しなって」

「……そうだな、そうさせてもらう」

「復帰を決めるのは俺だ」


 ブラッドはぎょっとして振り返った。そこに浅葱色の医師服を着た軍医が立っている。無精ひげと濃い眉毛に口ひげを蓄えた中年過ぎの男で、がっしりした体つきはまるで医師に似合っていない。


「げっ、モン=マシ軍医長」

「面会の時間は終わってんぞクソガキども、とっとと出て行け」

「ええ……もう少しくらい話してもいいじゃないですか」


 クロスが不服そうに口をとがらせるのを見て、モン=マシと呼ばれた軍医は特大サイズの注射器を突き付けた。


「ケツに浣腸液ぶちこまれたくなかったらとっとと出てけ」


 げっ、と声をあげて面会室を足早に出て行こうとする三人にキルギバートは手を振った。軍医長に断り、最後に出ようとするカウスを呼び止める。


「カウス」

「なんですか、大尉?」

「ブラッドたちから聴いてるぞ。シレン・ラシン少佐を避けてるとな」


 狼狽え、バツが悪そうに黙り込むカウスに対して「無理もないが」と言い置いたうえでキルギバートは表情を少しだけ険しくしてカウスの目を覗き込んだ。


「確かに、お前から見れば恐ろしいかもしれん。だが、なぜ部隊の垣根を越え、お前を鍛えてくれるのか。それをよく考えろ」

「大尉……」

「少佐の訓練は俺も受けたことがある。何ならその父上の訓練もだ。ブラッドもクロスも同じだ。みんなそこから始まった」


 キルギバートは続けた。これからの戦いもきっと厳しいものになる。グラスレーヴェンはもはや優位性を失った。敵に勝つだけでなく生き残る戦いを覚えなければ、良い兵士にはなれない。


「……訓練をさぼろうとするな。俺に恥をかかせたいのか?」

「い、いえ、大尉!」

「いつかの話だが―」


 キルギバートは窓の外に目を移した。空は曇りはじめ、じき雨が降るだろう。


「俺はお前を兵卒から下士官にしたいと思っている。そうして一機戦を復活させ、お前にも一班を預けたいと考えているんだ。そのためにも一人前の軍人になってもらいたい」


 カウスも窓の外を見る。その目はさらに遠くを見るようだった。押し黙る少年兵に対して、キルギバートは問うた。


「それでもまだ逃げ回りたいか?」


 いいえ、と手を出してカウスは否定すると、唇を引き結んで天井を見上げた。若干目が潤んでいる。


「……教練の見直しをしてきます」

「ああ、行って来い」


 こうしてカウスも去り、病室にはキルギバートと軍医長だけが残された。


「先生、どうですか。俺の具合は」

「早ければあと十日ってところだ。遅くとも二週間以内にはな」

「先生はやはり名医です。死にかけていた自分をここまで治していただいて―」

「俺は名医なんかじゃない」


 え、とキルギバートは軍医長を見た。軍医長は大きな両目を片方つぶってみせた。


「"特別に凄い神みたいな名医"だ」

「……なるほどね」


 低く笑うキルギバートは、すぐに胸元を抑えた。笑うことで胸が痛むらしい。


「少し前まで肺と胃袋に穴が開いていたんだ。無理もない」


 鎮痛剤と抗生剤を左腕に打ちながら、モン=マシは「落ち着いて聴いてくれ」と断った。キルギバートは居住まいを正して応じた。


「肺に受けた傷が思いのほかひどかった。走ることや飛び跳ねたりすることはできるだろうが……昔ほどできるとは思わない方がいい。つまり、お前お得意の剣も、これまでのようにはいかないだろう」

「そうですか」


 低く呟くように言い、キルギバートは頷いた。


「命拾いしただけマシ、と考えるべきなんでしょうね。正直何度も"俺は死ぬ"と思いましたから」

「でも助かった。その意味をよく考えた方がいい。何なら後方勤務の推薦状を―」


 軍医長なりの気遣いに対し、キルギバートは即答した。


「それはお断りします」

「なぜだ」

「俺はまた、あの部下たちと一緒に戦いたい。少しでも早く」

「またこんな目に遭うかもしれないのに?」


 「二度も遭うことはないでしょう」とキルギバートは頭を振った。


「それほど強運は続かない。次にこうなった時は自分が死ぬ時です」

「わかっていて、それでも戦うのか?」

「北部ではグレーデン閣下と師団の仲間たちが命懸けで戦っています。生き残った戦友が死力を尽くして戦っているのに、自分だけ帰るわけにはいきません」

「わからんね」


 軍医長は鼻を鳴らした。


「俺が看た兵隊どもは、皆そう言って戦場に戻った。そして帰って来なかった」


 キルギバートは軍医長の横顔を見た。何とも言えぬ寂しさのようなものが影となって張り付いている。いったい何人の兵士を治し、そして戦場へ送り出していったのだろう。そこには自分ではわからない葛藤や悲しみがあるに違いない。それでも―。


「今ならそう言った"兵隊ども"の気持ちがわかる気がします。皆、ここで休んでいる間に戦う理由を見直すんです。それが国のためとか、家族のためとか、人によっては色々なんでしょうけど」


「俺は、戦友のために戦いたい」とキルギバートは手を組みながら吐き出した。


 自分を助けるために命を張った友がいる。自分に後を託しながら散った者がいる。この手で屠った敵兵にも、同じように戦うべき理由があったはずだ。己の戦いを半端なところで終えるわけにはいかない。


「……だから、自分は早く戦場に戻りたいんです」

「なるほどな。わかった」


 軍医長は静かに立ち上がり、背を向けた。


「もう何も言わん。退院日は予定通りなら十日後だ。しっかり身体を休めておけ」

「ありがとうございます」

「……この病院が俺の戦場だ。お前のように迷いなく戦えたらいいんだがな」


 キルギバートは静かに首を横に振った。


「戦えますよ。軍医長はもうそれを見つけているはずですから」

「……なんだと?」

「多くの人間を治療し、戦場へ送り出してきた。その経験の中で自分のやりたいことが見つからなかったわけじゃないでしょう」


 モン=マシは静かに頷いた。


「俺は兵隊を命じられるままに治すだけだが……今のやり方じゃ二百年前と変わらない。もっと統制された軍医療の仕組みが必要だ」

「と、いうと?」

「病院に縛られない軍医部隊。衛生兵とも違う、指揮系統が通った軍医組織。そんなものがつくれないかと考えている」

「つくればよいではないですか」

「事はそう上手くいかん。今のモルト軍は総崩れで建白できる人間もいない。ラシン少佐はいい軍人だが、そのあたりには疎いしな」


 やれやれと肩を竦めながら腕を広げる軍医長は扉のノブに手を掛けた。


「お前みたいなのが将軍になってくれたら、俺の出世の道も開けるんだろうがな」


 ま、頑張れよと言い置いて軍医長は部屋を出た。

 部屋に取り残されたキルギバートはしばらくドアを見つめていたが、やがて我に返って左腕を見た。会話をしながら打たれた注射はまったく痛みを感じなかった。今思い出すまで、打たれたことさえ気づかなかった。


 変わった人だとキルギバートは微苦笑し、どさりと枕に倒れ込むと眠りについた。

キルギバートの退院。それが運命の日だと知るまで十日に迫っていた。


 

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