第12話 それから3か月後

 ノストハウザンの戦いから3ヵ月後。

 東大陸の季節は巡り、秋を迎えた。


 大陸歴2718年10月1日。

 東大陸南部。モルト軍勢力圏軍港都市ヒルシュ。


「話が違うではないかっ!!」


 怒号と共に机を蹴上げるようにして立ち上がったシレン・ヴァンデ・ラシン少佐は通信画面の向こうにいるモルト軍参謀総長アルベルト・シュレーダーを睨み据えた。シュレーダーは片眼鏡をかけた細面を微笑ませたまま微動だにしない。


「もうすぐ三月みつきだ! 敵はヒルシュから200カンメルまで集結している。援軍も寄越さず南方戦線を守れとはいかなる了見だ!」

『すべては元首閣下の御明断である』

「援軍も寄越さず何が御明断か! 動くグラスレーヴェンはすでに20機足らずだ。私の大隊の半分さえも動かせぬ。これでラインアット・アーミー部隊に立ち向かえと言うのか!」

『必勝の信念をもってすれば我が軍はウィレ・ティルヴィアを凌駕すると元首閣下は仰せだ。私もその御判断が正しいと考えている』

「我ら将校はいざ知らず、兵に信念で戦を強いれるものか。ウィレ軍が攻勢に出たら南部守備隊の弾薬衣料は3日で尽きる。そうなればウィレ南部の勢力圏、制海権を全て失うことになる。参謀総長はそれをお分かりの上で言っているのか!」


 ともかく、とシュレーダーは話を打ち切りにかかった。


『援軍に関しては参謀部を統べる者として善処しよう。だがラシン少佐、貴官に一つだけ言い置くことがある』

「……承る」

『貴官は少佐であり、私は栄光あるモルト国家元首親衛隊の長にして、国軍の大将である。貴官がゲオルク・ラシンの名代でなければ今の言葉を抗命とし処断することなど容易い。よもやラシン家の次期当主が鉄の規律を乱す真似はすまいな』


 シレンは腕を後ろ手に組んだ。握りしめた拳が小刻みに震えるのを抑えつつ、シレンは静かに目を伏せた。


「失言でありました、参謀総長閣下」

『わかればよい。ゲオルク・ラシンの謹慎中は私アルベルト・シュレーダーが貴官らラシン家の子息の親代わりとなり、勝利の美酒を馳走してみせよう』

「信じましょう閣下。……しかし、まずは南方戦線に20機、いや、10機、5機でもよい。とにかくグラスレーヴェンを―」

『わかった。善処しよう。国家元首万歳』


 捨て台詞のように言い置き、シュレーダーはシレンの答礼を待たずに通信を切った。伸びた顎髭を震わせつつ、立ち上がったシレンは手元にある書類挿ボードを取り上げると、数瞬迷った挙句、それを机に叩き付けた。



「参謀部はいつまで我らをはぐらかすつもりなのだ」


 大股に司令府を出て、閲兵場を横切りながらシレンは呟いた。傍らにはモルト軍将校が追随している。彼らは"ラシン家近習"と呼ばれる親衛隊のようなもので、ゲオルク・ラシンが本国に送還されてからは次期当主のシレンを主として行動していた。

 シュレーダーは彼らを一度引き剥がしにかかったことがあるが、これは本国に帰還する直前のゲオルクが刃を抜いて詰め寄ったり、ベーリッヒとブロンヴィッツの思わぬ反対によってとん挫した。以来、ラシン家とシュレーダーの関係は最悪のまま戦争は膠着状態を迎えている。


 すぐ左後ろを歩いていた2メルはある長身の将校が腰をやや折った。


「本国では大殿が不名誉な嫌疑を晴らすべく孤軍奮闘なさっておられます。短気を起こしてラシン家の命脈を断ちませぬように」年長の近習の諫言にシレンはやや不満げに鼻を鳴らした。

「わかっている、ヴィート。しかし南方戦線の防衛が捨て置かれている今、参謀総長に矢の催促をする以外、我らに為す術はない。……今、攻勢に出られたら―」


 言いつつ、シレン・ラシンたちは軍営を横切って行く。


「リッツェ少尉!!」

「はいっ」


 何処からか、グレーデン師団の生き残りである青年将校がシレンの元に駆け付けた。


「第八大隊の視察に赴く。プフェナの準備を進めよ」

「はっ!」


 その彼らを見守る四つの瞳があった。


 ☆☆☆


「あーあ、相変わらずカッカしてんな。あのヒゲ」

「ヒゲなんて失礼ですよブラッドさん。それにしてもリッツェさんも可哀想に……あれだと夜まで専属運転手確定ですね」


 空っぽの格納庫の出入り口にもたれかかる金髪の青年と、地面に胡坐をかいて座る黒髪の青年。モルト軍グラスレーヴェン搭乗員のブラッド・ヘッシュとクロス・ラジスタは、今の彼らの上官が気も荒く目の前を通り過ぎていくのを見つめていた。


「あの様子じゃ、上への要請は通らなかったようですね」

「マジかよ。もう三か月もグラスレーヴェンに乗れてねえってのに。このままじゃ腕が錆びついちまう」


 ノストハウザンの戦い以降、2人はデイロ瀑布の下流1カンメルほどのところで友軍のグラスレーヴェンに偶然感知されて命を拾った。撤退途中の友軍の足が少しでも早ければ彼らは今頃、川底の泥魚の餌となっていただろう。


「運がいいのか悪いのかだよな。拾われた先が鬼神のシレン・ラシン大隊なんて」

「訓練が厳しいのを除けば安心ですよ。グラスレーヴェンに乗れない我々はただのお荷物ですからね」


 ふと、背後に人の気配を感じて二人は振り向いた。出入り口の物陰から覗き込むようにして茶色髪の癖っ毛の少年兵がこちらを見ていた。


「……ラシン少佐は行きましたか?」

「おう、行ったぞ」


 はぁ、とため息を吐いて少年兵は格納庫から出て、二人の間に座った。


「カウスさんは本当にラシン少佐が苦手なんですねぇ」


 カウス・リンディはがっくりとうなだれるようにして頷いた。


「あの人は無理です。怖いし……」

「お前なあ……」


 ブラッドは呆れつつ、否定はしなかった。彼らがここに来てからの数か月で一番割りを食ったのはカウスだった。負傷の程度が一番軽かったカウスは療養が終わるなりシレンに格納庫へと引きずって行かれ、他の兵士に交じって厳しい訓練を受けた。寄せ集めの少年兵が国軍随一の実力を誇る部隊の訓練にいきなり放り込まれたのだから、その過酷さは言うまでもない。

 以来、彼はシレン・ヴァンデ・ラシンを見ると怯えてブラッドやクロスの陰に隠れるようになった。


「ここに居ても仕方ねえ。中に入るか」


 ブラッドとクロス、カウスは連れ立って歩き始めた。やや空気が重いのは活躍の場がないからだろうか。それとも、ここにいるべき"あの男"がいないからだろうか。

 ブラッドとクロスはプフェナの墜落後、お互いにそう離れていない所で救出された。彼らはすぐにこの軍営へと後送され、受けられる限りの治療を受けることができた。療養も数週間ほどで現場復帰となり、以降は軍営の主であるシレン・ラシンによる庇護を受けている。


 唯一、彼らの上官であり、グラスレーヴェン隊の隊長であった男。彼だけはプフェナとともに沈み、滝つぼ近くの水中で発見された。蘇生に時間がかかり、さらに引き上げられた後も水で洗われた体は想像を絶する負傷によりずたずたとなっていた。

 ブラッドたちは軍営近くにある宿舎の隣の建物へと入った。そして一室の前で立ち止まり、扉に手をかけた。


 仲間のために命を張った男。グラスレーヴェンを失いながら、傷だらけになり力尽きた男。


「失礼します」


 扉を開けた先、寝台に胡坐をかいて座る銀髪碧眼の男がいた。


「御苦労だな。終わったか」


 ウルウェ・ウォルト・キルギバートは今も命を拾って生きているのだ。

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