第11話 奇跡は後から訪れる

 覚悟を決めた今、森はひたすらに静かで、沢のせせらぎの他は何も聴こえない。

 キルギバートも、クロスも、ブラッドも歯を食いしばりさえすれば一瞬で己の心臓を止められる薬物を口に差し挟んだまま、命を終える一瞬を定めていた。


 そこに、鳥の鳴き声が混じった。羽音が混じり、虫の羽音のような雑音が混じる。クロスが空を見上げた。羽音のような音が機械音だと気付いたためだ。


「プフェナ!?」

「うっそ、マジかよ!」


 クロスとブラッドの言葉に、キルギバートは空を見上げた。木漏れ日が射す中、見上げた先の青い空に鈍色の鋼鉄の箱が浮かんでいた。


『大尉、大尉ーッ!!』


 甲高い声が聴こえた。


『いた、あそこ!!』


 少年の声音を残した叫び声が聴こえた。


「ああ……まさか……」


 木漏れ日から葉を分け入って、鋼鉄の箱が降りてくる。それは紛れもなく、モルト軍偵察飛行ユニットのプフェナだった。


「無事でしたか!!」


 降りてきた操縦士のルヴィオール・リッツェに対して、ブラッドが手を伸ばした。


「遅かったじゃねえかよクソ野郎!!」

「えっ、なんで駆け付けたのに罵られてます!?」


 その後ろから、輸送ハッチの暗闇から少年が飛び出した。


「カウス……?」

「た、大尉、大尉ーっ!!」


 カウスは血みどろになったキルギバートを見て、それでもまっすぐにキルギバートの胸へと飛び込んだ。「ぎゃあっ」とキルギバートが悲鳴を上げた。


「あーっ、うわあぁん、大尉、大尉ー!! 無事で、生きててよかったー!」

「は、はな、はなせ……離してくれ、カウス……、いま、死ぬ……」

「ああ、よかった、よかったー!!」


 涙と鼻水を撒き散らして泣き叫ぶカウスに対して、「離してください」とうわごとのように呟くキルギバートのやり取りは数分に渡って続いた。



 プフェナはその数分の後、急いで森を離陸し、木の葉の壁を突き抜けて空へと舞いあがった。


「どうですか、リッツェさん」


 上体を包帯で巻いたクロスがプフェナの壁によりかかった状態で問うた。もっとも怪我の程度が軽い様に見えたクロスも肋骨を三本折っていた。手当てが遅れれば動けなくなっていただろう。

「明るい所で見るとだいぶひどいです。急いで最寄りの前線に飛びます」


 ブラッドは上体の火傷と右足の銃創、プフェナの床に横たわるキルギバートは全身に九発の銃創と火傷、裂傷を負っている。急を要するのは見て明らかだった。


「しかし、どうしてここに?」


 ブラッドは疲れ果てた表情で首を傾げた。助けが来るなどと微塵も思っていなかったのだ。


「それはですね……」


 リッツェから聴いた経緯に、ブラッドとクロスは息を吐くことになった。もはやモルト軍が壊滅状態にあること。その中でカウスがキルギバートら三人の救援と捜索を願い出たこと。飛行中にキルギバートの搭乗員服に備わっていた発信機の信号を感知したこと。


「でも、途中であの銃声を聴かなければ見つけられなかったかもしれません。森は深いですからね」


 全て複数の偶然が重なって、自分たちは助かったのだということがしみこむようにして理解できた。


「それでも、今回はお前に助けられちまったな」


 ブラッドは言って、キルギバートの傍に座り込むカウスの頭をくしゃくしゃに撫でまわした。カウスはくすぐったそうにしながら押し黙っている。


「……でも、ここに来るまでの間に」カウスは気まずそうにリッツェを見た。

「敵の追撃は続く今、モルト軍の戦線は南北に分断されています。グレーデン師団は北部ベルトハーツに向かっています。我々が今いるのは南方州側です」


 敵に分断され、飛行するプフェナは孤立状態にあるのだ。


「どうするつもりなんだよ?」


 ブラッドの問いにリッツェは操縦桿を握りつつ苦い表情を浮かべた。


「敵の眼をかいくぐって北部へと向かいます」

「できるのか?」

「やってみなければ、としか。それでも、私たちはこうやって生き延びたんです。飛んでさえいられれば、何とかなりますよ」


 生真面目なリッツェにしては珍しい楽天的な意見に、ブラッドは強張らせていた口元をいくらか和らがせた。クロスは神妙な表情で頷いている。リッツェの言葉が、彼なりの精一杯の気休めであることを見抜いたためだった。


「それにしても急がないと。キルギバート大尉は間違いなく重傷ですから」


 クロスはキルギバートの額に手を当てた。プフェナに乗り込んですぐに気を失った彼は消耗し、沢で暴れた時よりも衰弱している。


「ここから北方州の前線までどれくらいだ?」

「距離にして130カンメル。プフェナで燃料を抑えながら飛べば1時間半で―」


 リッツェが言いかけ、空を仰いだ。カウスがプフェナの床面に立ち、装甲板の覆いから身を乗り出した。野ざらしのデッキから覗いた短めの頭髪が宙に激しくなびいた。


 視線の先、青空と雲間の境界線に麦粒ほどの黒い点が3つほど浮かんでいる。カウスはそれを双眼鏡で確認した。


「ウィレ・ティルヴィア軍の無人機ドローン!?」

「見つかったか!」


 麦粒が大きく旋回し、高度を下げた。プフェナも森の木々すれすれまで高度を下げ、速度を上げる。燃料の心配をしている場合ではなく、振り切らなければならない。


「無人機は! 偵察型ですか?」リッツェが甲高い、切迫した声を挙げた。

「攻撃機型! 噴進弾がついているやつです!」

「まずい、グラスレーヴェンならまだしも、プフェナなら簡単に殺せるやつだ!」


 リッツェは操縦桿を押し込んで機を滑空させながら空を振り仰いだ。人の大きさほどしかない半円状の無人航空機が隊列を組み、飛燕のような速さで襲い掛かってくる。


「祈るしかない」

「空も地面ももうウィレのものかよ」


 ブラッドとクロスはキルギバートに覆いかぶさるような姿勢を取った。


「敵、噴進弾発射、来ます!」


 リッツェは操縦桿を横倒しにしてプフェナを傾けた。噴進弾が機体の左をかすめ、機の真下で爆発する。


「くそっ、近接信管つきか!」


 カウスがプフェナに取り付けられているブラスターを手に、引き金を引く。レーザーの弾幕が無人機をかすめていくが、不安定な姿勢では命中も望めなかった。


「森を抜けます!」


 沢伝いに飛行していたプフェナが、森を抜けて川に出る。水面上で無人機が迫撃し、噴進弾を乱射した。左右で水柱が上がり、滝のように水が降り注ぐ。


「……また、雨か……」


 キルギバートが目を覚ましてうわごとのように呟いた。クロスが彼を床に寝かしつけつつ、上体を起こした。思わず、身を乗り出した。


「すごい、これは―」

「こんな時に見とれんなウィレオタク!」


 クロスが見つめる川面の先、永遠に続いていくはずの水面が途切れている。


「……滝だ」

「タキ? ……なに、滝ぃ!?」

「デイロ瀑布ですよ! すごい、初めて見る」


 ゴンッ、と凄まじい音がして機体が揺さぶられる。噴進弾を撃ち尽くした無人機が後ろから距離を詰めてくるのが見えた。


「敵、機銃攻撃来ます、伏せて!」


 布を引き裂くような音がした。遅れて、装甲板が次々に火花を弾け飛ばしながら唸り声をあげる。


「被弾した!?」カウスがブラスターを撃ちまくりながらリッツェに振り向く。

「まだ大丈夫!」


 第二射の音が聞こえてクロスとブラッドはキルギバートに覆いかぶさった。ボン、という破裂音がして機体が上下に揺さぶられる。


「まずいっ、推進部に被弾!」


 機体が水面を舐めるように滑空し、何度か跳躍する。一度、二度、そして三度目で高く宙へと舞い上がった。


 水音が止んだ。


「おいクロス」

「何ですか?」クロスは呆然としたままブラッドを見た。

「この後どうなるんだよ」


 ブラッドは顔をゆがめていた。二人とも笑おうとしていた。だが、顔が笑顔にはなっていなかった。


「浮いた後は落ちるんですよ」


 二人の視線の先で、後部ハッチが吹き飛んだ。プフェナの後ろ半分は火に包まれていて、その向こうに無人機が見えた。くちばしのような機首の先にある機関砲を向けていた。


「ああ、くそ―」


 浮遊感と打ち付ける水飛沫に全てがかき消されていく。機体が瀑布をさらうようにして急降下していく。掴まるように叫ぶリッツェの声が遠くなっていき、彼らは一瞬浮き上がった。


 視界一杯に水が見えた、次の瞬間、彼らの世界は黒く塗りつぶされた。


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