第10話 死ぬときは一緒だ
―背中の男は置いていけ。
男たちの言葉は明瞭なはずなのに、クロスは最初、それがどういう意味かわからなかった。男たちは降参した自分を見逃すと言っているが、ブラッドの背にあるキルギバートは例外だと言っている。
『それはつまり……』
<その男は高く売れるんだ。どのモルト兵よりも、ひょっとしたら将軍よりもな>
ぞっとした。吐き気がする。男たちはキルギバートを戦利品として持ち帰るつもりだ。しかも売り払うと。
<心配するな。そいつは生かして助けてやるよ。死体より生きたモルト人の方が高く売れるからな>
「ふざけるなッ!!」
クロスは叫んだ。激昂し、シュトラウス語を忘れた。
「仲間を売り物にするくらいなら、そんなことをするくらいなら死んだ方がマシだ!!」
クロスのモルト語により、ブラッドも成り行きがわかったらしく、キルギバートを背に隠すようにして身構えた。
「死ぬときは一緒だ……!」
<何言ってるかわかんねえが、交渉決裂のようだな。なら―>
男たちが引き金に指をかけた。
<ここで死ねや>
「ブラッドさん立って! 走って逃げて!!」
クロスが男の腕にとびかかり、ブラッドは弾かれたように立ち上がった。
<こいつッ!?>
「ブラッドさん、大尉を連れて、早く!」
「だけど!」
「誓ったでしょ! 大尉だけは助けるって!!」
クロスは男の腕にしがみつき、腕の中にある散弾銃をもぎ取ろうとかじりついた。
男が叫び声を挙げた。
「早く!!」
「くそッ!!」ブラッドは喚いて逃げ出した。
これでいい。クロスが安堵した瞬間、その頬先を一発の銃弾がかすめた。そして背後で悲鳴が上がった。首を回して振り向くと、左足を折ったブラッドが沢へと倒れ伏すのが見えた。派手な水飛沫が上がった。
「ブラッドさん!?」
「がっ、あぁぁっ、足が、俺の足がッ!!」
ブラッドとキルギバートは沢の浅瀬に仰向けに倒れていた。ブラッドは膝を抱えて転げ回っていた。銃弾がひざ下、ふくらはぎの中央を撃ち抜き、鮮血を吹き出している。
<てめぇッ! 俺たちのもうけ話を!>
ゴン、と後ろ頭を銃床で殴り飛ばされ、クロスは弾け飛んで泥へと突っ伏した。
<シュトラウス語ができるからって油断したかよ。野蛮人は皆殺しだ!>
腹に蹴りを打ち込まれた。背を折ってクロスは我が身を守ろうとし、我に返った。キルギバートらの方へと振り向く。
「く、くそッ!」
ブラッドの喚き声が聴こえた。賞金稼ぎがブラッドの胸を踏みつけ、銃口を顔面近くに下ろしていた。
<こいつらの顔面を吹っ飛ばせ!>
金属音と共に、鼻先へ銃口が向けられた。真っ暗な筒先が、火を噴かんとしているのを見て、クロスは目をつぶった。
<あばよ、ウチュウジ―>
声が途切れた。
生暖かいものが顔を濡らす。錆び臭い。西大陸での記憶がよみがえってくる。嫌という程浴びたそれは―。
クロスは目を開いた。自分に銃を突き付けていた男の顔面に金属片が、正確には鉈の刃が突き刺さっていた。
「うわああ!?」
背後でブラッドの魂消るような叫び声が上がった。クロスは振り向くと、そこには同じように銃を突き付けていた賞金稼ぎの男が棒立ちになっていた。首から上がなくなっていて、本来あるべきそれがブラッドの足の間にぼちゃんと落ちている。
その横に、右手をこちらに突き出した男が立っていた。血に染まった銀髪、血の気を失った白面、そして返り血の合間から覗く青い瞳。キルギバートが立っていた。
「俺の―」
<殺せ! 殺せ!!>
「仲間に―」
人影がクロスの横を風のように通り過ぎる。ガチン、と音がして鉈が抜けた。ひょう、と息を漏らして、先ほどまで言葉を交わしていた賞金稼ぎが物言わぬ体になった。
「手を、出―すな……!」
ばしっ、と立て続けに二回音が鳴った。もう一度クロスが振り向いた時、両肩を切り裂かれた二人の賞金稼ぎが血の霧をまき散らしながら沢へと転がっている。振り向いたキルギバートの瞳は、いつかの海で見た氷の青に染まっていた。
表情を失った顔の横に刃を立て構えたキルギバートが水を蹴って突っ込んだ。クロスは水面に落ちた散弾銃を拾って、さらに倒れた死体の腰から拳銃を取り出す。
「ブラッドさん、これを!!」
「いてぇ、いてぇよぉ! ぶっ―」
拳銃は放物線を描いてブラッドの顔面に叩き付けられた。
「男の子が泣かない!!」
クロスは立ち上がり、引き金を引いた。凄まじい反動によろける。もう数日、食事らしい食事もせず、水だけを飲んで歩いている身に、銃の反動はこたえた。
「ちく、しょうっ!」
ブラッドも倒れたまま銃を握り、呆然としていた周りの賞金稼ぎに引き金を引いた。喉を撃ち抜かれた賞金稼ぎがのたうって倒れ、我に返って振り向こうとしたもう一人のこめかみを横から撃ち抜いた。
「俺だって軍人だバカヤローッ!」
<銀髪を、銀髪を殺れッ!>
叫んだ男がクロスによって蜂の巣になった。残りはいつの間にか二人になっていた。沢の水は赤く染まり、水がしぶいた。飛沫が収まるころにはもう一人が倒れている。残った一人が死体となった男に気付いて振り向いたその時―。
<わああぁっ!? たす、助け―>
「そう言った仲間を―」
キルギバートは刃を振り上げ、その首の根に叩き落とした。
「何人、手に、掛けた……!」
キルギバートの手には束ねられた男の戦利品―モルト軍の認識票―が握られている。男の頸に食い込んだ刃を引き切って、蹴倒す。返り血を浴びつつ、キルギバートは刃を取り落として仰向けに倒れ込んだ。
森に静寂が戻る。銃口を突き付けられてから、僅か十数秒の出来事だった。
「大尉!?」
駆け寄ったクロスはキルギバートを抱き起した。キルギバートはぜいぜいと荒い息を吐きながら頷いた。
「全部、やっ、たか」
「……はい、はい!」
「馬鹿、泣くな……」
クロスにいつから目を覚ましていたのかと問われたキルギバートは口の端から血を流し、せき込みつつ頷いた。傷口が開いて、特に背中からは激しく出血していた。
「こいつらに声を掛けられたあたりから……。動けるなら、ごふっ、一度だけだ。その一瞬を待っていた」
血で染まった刃が沢の水によって洗い流されていく。歪んだそれはもう使い物にならないだろう。
「だがもう無理だ。もう動けん」
「心配いりません、私が、背負っていきます。ブラッドさんも手当をすれば」
「それで、この山を、越えられるか?」
クロスは黙り込んだ。キルギバートは空を見上げた。後ろからブラッドが這いずってくる足音が聞こえた。
「もういいんだ。クロス。もういい」
ブラッドがべそをかきながら傍に座り込んだ。
「なんだブラッド、情けない顔をして」
「うるせぇ、てめぇのせいでこうなったんだぞ」
「悪い、すまなかったな」
言いつつ、キルギバートは一つため息をついた。足元の沢の水が真っ赤に染まっていくなかで、襟元をまさぐる。透明な樹脂に包まれた小指の先ほどの薬品を取り出した。
「もういい。これで終わりにしよう」
クロスとブラッドも同じように、襟や袖に隠していたそれを取り出した。将校とグラスレーヴェンのパイロットにのみ手渡される最後の手段だ。
「クロス、ブラッド―」
キルギバートの瞳から涙が溢れ出した。ブラッドは首を横に振った。
「言いっこなしだ。足手まといどうし、仲良く終いにするか。クロス、お前は-」
「絶対にお断りですよ。お供します。二人がいないんじゃ、この先楽しくないですからね」
わかっていて訊いたでしょう、の言葉にブラッドはけらけらと笑いながら薬品の入った樹脂を口に運んだ。キルギバートは瞳を閉じ、頷いた。
「死ぬ時はみんな一緒だ」
言葉はない。だが、二人が頷く様子だけが、はっきりとわかった。
キルギバートは従容と、最後の手段を己の唇へと運んだ。
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