第9話 一つの賭け
泥が跳ね、水飛沫が散る。足を取られ、もつれさせながらも走り続ける。
「はッ、はッ、は……ッ!」
デイロ山地の入口で小競り合いが起きていたのと同刻。クロス、そしてブラッドは沢伝いに走っていた。
<いたぞ逃がすな!>
<モルト野郎だ殺せ!>
結論から言えば、森林に紛れての彼らの逃走は失敗した。人気のない山間で手負いの複数人というのはあまりにも目立ち過ぎたのだ。夜明けを待たずして痕跡に気付いた賞金稼ぎたちは足跡などを元に敗走するモルト兵へ迫っていた。土地勘もない人間が整備もされていない過酷な山間を抜けること自体が困難なのに、手負いというのはあまりに分が悪い。
「も……ダメだ……ッ! クロス!」
「弱音なんてらしくないですよ、ブラッドさん!」
「ちげぇよ! 俺が時間を稼ぐから、お前は逃げろ!」
「馬鹿ですか!? あなただって手負いでしょう!」
言い合う間にも包囲はどんどん狭められていく。その時、ブラッドが前へとつんのめった。
「う、お!?」
ブラッドが沢へと突っ伏すように転倒し、クロスが足を止める。
「ばかっ、早く行け!」
「行きませんよ、あなたまで見捨てて逃げられますか!」
クロスがブラッドを助け起こし、手を引いて逃げようとした時。足下で銃弾が跳ね、顔を上げた時には、四方を囲まれていた。
「ここまでかよ……」
クロスとブラッドには持てる武器が残っていない。身構えた所で抗う術を持たない二人は、静かに手を挙げた。
シュトラウス語を話す男たちが銃を突き付けながら近づいてくる。ブラッドとクロスは静かにその場に跪き、無抵抗の姿勢を取った。男たちは二人が武器を持っていないかを探りつつ、身に着けている物を剥ぎ取っていく。
搭乗員用の皮革製の手袋も、希少金属で造られた装甲服も、特殊樹脂製の搭乗員服も差し出し、下衣と軍服のズボンだけの姿になった。それなりにシュトラウス語を理解できるクロスは耳を澄ませ、彼らが何を話しているかに集中している。
<こいつら、あのデカい機械人形の搭乗員だぜ>
<服も高く売れる。銃がないのは惜しいな。完品、というわけにはいかなそうだ>
クロスは眉をひそめつつ、試しに出ることを決めた。
『あなたがたは―』
クロスはシュトラウス語で話しかけた。
『ウィレ軍人ではないのですか』
目の前にいる男たちは犬に口を利かれたかのように、目を丸く見開いた。
<お前、シュトラウス語喋れるのか>
『少し、少しだけです』
<そうか……。お前の言う通りだ、俺たちは軍人じゃねえ>
『賞金稼ぎ、ですか』
<よく知ってるな>
知らず、シュトラウス語をしゃべるモルト兵の周りには大勢の賞金稼ぎがやってきた。見世物になったかのような気分になり、クロスは少し惨めな気分に襲われた。
『あなた方に仲間が殺されるのを見たのです』
<先に攻めてきたのはお前たちの方だ。俺たちはかたき討ちをしたに過ぎない>
『……わかりました。あなた達が何者であれ、我々は降参します』
顔を見合わせる賞金稼ぎたちに手をつき、クロスは頭を下げた。
『代わりに、この人を助けてください』
クロスは後ろへと振り向いた。ブラッドの背に覆いかぶさる男の姿が、彼らの眼にも入ると、賞金稼ぎたちは大きく目を見開いた。男の髪の色が見たこともない銀色をしていたからだ。
<こいつは"ほんとうのモルト人"か?>
『ほんとうのモルト人?』
<髪が銀色で、目が青いヤツだ>
クロスは男たちの表情を見て言い淀んだ。仕事をしているように淡々と応じていた彼らの表情が先ほどまでと違っていたためだ。目には抜け目のない賞金稼ぎ特有の―クロスたちにはわからなかったが―強欲な光がたたえられていた。しかし、囲まれていては為す術もなく、クロスは『そうです』と頷いた。
男たちが集まって何かを話しあう間に、ブラッドは身を乗り出してクロスに囁いた。
「お前何言ったんだ……!?」
「降参するから、大尉だけは助けてほしいって」
「それだけじゃねえだろ? 連中となんか言ってたろ。他には?」
「大尉が、本当のモルト人かって……」
ブラッドはその言葉を聴くと、丸薬を飲み込んだように黙り込んだ。クロス同様に良い予感がしない様子でキルギバートを背負い直している。おぶわれたキルギバートは、もうほとんど息をしていないのではないかと思うほど、身動きをしなくなっていた。
「ここを切り抜けられなければ―」
「ええ、わかっています。それでも……」
もう猶予がないのだ。
ここで賽が悪い方向へと振れれば、キルギバートはもたない。しばらくして男たちが戻ってきた。
<いいだろう、助けてやるよ>
礼を言おうとした刹那、彼らはクロスたちに銃を突きつけた。
<だが、背負っている男だけは置いていけ>
クロスは悟った。
賽は悪い方へと振れたのだ。それも最も悪い方へと。
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