第15話 地獄に堕ちた裏方ども
翌9月17日。大輸送計画の日程化が完了したのはこの日の午前5時だった。ほぼ不眠不休での予定の組み上げは完了し、今や兵站参謀部は死屍累々の有様だった。床や通路の至る所に力尽きて眠りこける参謀将校らの姿がある。
シェラーシカは机に手をついて朦朧としながら、完成した日程表を見つめていた。これに交通省の熟練した幹部らの発案が加われば完成度はより上がるはずだ。寸分の狂いのない日程表を見つめつつシェラーシカは安堵の溜息を吐いた。彼女はふと、出入り口を見た。中年の士官が扉の枠によりかかりながらこちらを見ていた。
「よう、お疲れさん」
「アレンさん、来ていたんですね」
アレン・リーベルト大尉。先月までシェラーシカの副官であったこの男は、現在は本来の前線指揮官として公都近衛大隊に所属している。
「大隊の配置が終わったんでな。昼までは何もすることがない」
「お疲れ様でした」
シェラーシカはアレンに微笑み、部屋の外へと目を向けた。じき日は昇り、日中の忙しさが訪れるだろう。その前に、彼女はアレンを日課に誘うことにした。
「……朝のお茶でもいかがですか?」
「いいな。お供させてもらうよ」
兵站参謀部のフロアには毎朝、茶葉が届けられることになっている。ウィレ・ティルヴィア東大陸、とくに公都シュトラウス出身の人々は朝、昼、晩と決められた時間に紅茶を飲んで過ごす者が多い。シェラーシカもその一人で、軍務の際は黒茶を飲むことが多いものの、元は紅茶をよく嗜んでいる。とりわけ、朝は檸檬を少し加え、蜜をたっぷり垂らした甘い紅茶を好んでいた。
そしてシェラーシカとアレンはフロアに出てから、この世の終わりのような顔をした将校らと出くわす羽目になった。本来であれば箱にどっさりと入って届くはずの茶葉が一箱も届いていなかったためだ。
ただでさえ密室での過酷な軍務明けで気が立っているところに、朝の喫茶の楽しみを奪われた士官は悲しむか怒り狂い、電話口では将校ががなり立てている。
「どういうことだ! 茶葉が届いてないぞ! 陸軍に喧嘩売るとはいい度胸だ。いますぐ配送所に一個師団送り込んで倉庫の茶葉を全部引っこ抜いてやる!」
傍にある腰掛けで黒茶を啜りながらシェラーシカは成り行きを見守っていた。東大陸西部の人間は喫茶に関しては喧しく、止めても無駄な事は公都シュトラウス育ちの彼女が一番よく知っている。
「……なに? ああ、なら、仕方なかろう。だがなるべく早く届けてくれ」
意気消沈して電話を切った将校にシェラーシカが声をかけた。
「何かあったんですか?」
「高速道上で事故が起きて運搬車が……。」
大反攻によってウィレ・ティルヴィア軍の勢力圏が盛り返されたことにより、物流量は回復の兆しを見せている。その反面、無秩序な移動と需要と供給の均衡を考えない過密輸送により各地の高速道では事故が頻発していた。
「また事故かよ。でも、それじゃ仕方ねえ―」
アレンは言いつつ、傍らのシェラーシカを見た。小刻みに震え、顔が真っ青になっていた。
「どうした、お茶が飲めねえのがそんなに―」
「ああーっ!」
シェラーシカは頭を抱えて絶叫した。
「うわあぁ〜っ!?」
アレンを含めてその場にいた将校が飛び上がって驚く様子を背にして、脱兎のごとく駆け出した彼女は十秒で会議室に駆け戻った。手持ちの資料と完成した日程表を見つめる手がわなわなと震えている。
「―やっぱり……」
膝から崩れ落ちた彼女は床にうずくまった。
「あああ、やってしまいました……!」
「どうしました、中佐!?」
慌てて追いついた参謀部の将校たち(及び野次馬の公都近衛大隊の大尉一名)は泣きべそをかくシェラーシカの差し出した日程表をしげしげと見つめた。異常はなく、完璧な物資輸送計画だ。
「この日程表がどうかしたんですか? 大反攻に必要な物資輸送としては完璧な計画じゃないですか」
「それがいけないんです!」
シェラーシカはすぐさま手近にあった端末を操作して大陸の交通の流れを示す立体映像に手を加えた。
「これは―」
参謀部の将校たちが瞬時に青ざめた。
「私たちは大陸全土の交通の全てを、軍事に使って計画を立ててしまいました。これでは―」
シェラーシカの不安は的中した。すぐに大陸全土が真っ赤に染まり始める。
「経済活動に必要な生活必需品。日頃、輸送されていた全てが、この計画では輸送路から弾き出されているんです……」
「それでは、この計画を実行したら―?」
「都市圏の物流は麻痺し、下手をすれば暴動が起きます」
そうなればシュトラウスの首を締めるに等しい。こうなれば、もはや有無は言えない。交通省幹部が訪れるまでの24時間で、兵站参謀部は再度、それも総出で計画の練り直しに取りかかる羽目になった。
全てが終わって9月18日午前7時。第二次大反攻輸送計画の改案が完了し、そのままシェラーシカたちは交通省の幹部を出迎えた。この時の記録写真には軍帽を目深にかぶって敬礼するシェラーシカの姿が映っているのだが、目元にはくっきりと隈が見え、髪の毛は跳ねまくっていたという。
―次は、輸送車両を優先して走らせるための交通規制法の成立。
やつれ果てながらも、交通省との調整を成功裏に終わらせた兵站参謀部は、続いて交通省の幹部らと共に議会へと向かった。輸送計画は民間を巻き込む荒業のため、最高議会を説得する必要があったためだ。中でも、議員の反発に怯える議長の説得は急務であったが、これはシェラーシカ・レーテが従兄のアウグスト・シュトラウス議長を説得したことで同月下旬に提出された交通規制法は可決される。
9月末までにシェラーシカは1,000カンメルも離れた前線と公都シュトラウスを計10往復し、作戦計画を練りつつ、議会と軍参謀部の人脈作りに奔走する。その間に、シェラーシカは惑星を動かす仕組み、すなわち経済、物流、交通といった専門分野に関するノウハウを吸収する。この経験が後に彼女を大いに助けることとなる。
翌10月5日。シェラーシカ・レーテら兵站参謀部が策定した大輸送作戦"スタッブ計画"はアーレルスマイヤーの承認を得て実行を待つことになった。
作戦実行は10月10日と決まった。
その少し前に、彼女は「実行前に計画の再確認」を提案するスタッブ部長とこんなやりとりをしている。
「その必要はありません。最高の仕事をした自信が、私たちにはあるのですから」
果たして、ウィレ軍の陣営は一月の地獄を味わった裏方たちの苦労が報われるか否か、明らかになる日を迎えようとしていた。
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