第5話 その女、賞金稼ぎ


 銃声が響いた瞬間、アクスマンは防弾仕様の上衣の襟元を立ててしゃがみ込んだ。反撃に備えようとしたところで、その銃声が自分を狙ったものではなく威嚇のために放たれたものだと気付いた。


 銃声は吊り橋からだった。林から出てきた無頼漢たちとアクスマンの視線は吊り橋の半ばへ向けられた。吊り橋の上を、何者かが歩いてくる。


「ちょっと、やめてよね」


 響いた声は女のものだった。


「こんなところで喧嘩したって仕事にならないでしょ」


 異様だった。現れたのは小柄な身長五尺あまりの黒髪の女だった。袖と肩口のない下着同然の上衣を着ていて、パンツは膝どころか腿の半ばくらいまでしかない短いものを穿いている。肩と上衣に締め付けられつつも豊満な胸元、引き締まった腹と露出が多い。肢体の豊かさに目を瞑ってしまえば、まるでお転婆な少女の出で立ちだ。


 顔立ちも見る者を惹きつける美しい鋭利さがある。硬さを感じる黒髪はうなじのあたりで切られて短い。眉から目鼻立ちは整っていて、気の強そうな青色の大きな瞳が彼らを睨みまわしている。

 後ろ手に縛られたモルト軍将校の制服を着た男を、生かしたまま2人連れている。しかも階級章からかなりの高位にある軍人を連行している。片方が士官であるところを見ると将官と副官の組み合わせのようだった。


「てめぇは……」


 賞金稼ぎたちが後ずさった。まるでウィレ軍の軍人よりも小柄な女の方を恐れているようだった。


特級追跡者バウンティハンターの……」


 吊り橋を渡り終えた女が男たちの手綱を離した。勢いでつんのめり、そのままうつ伏せに転んだ男たちは比較的元気な呻き声を挙げた。


「ハァイ、相変わらずケチくさい稼ぎ方してるわね。まるで殺し屋じゃない」


 アクスマンの眼が丸く見開かれた。彼は声の主をよく知っていた。


「ミハイラ……!」


 ウィレ・ティルヴィア軍の青年の声に気付いた女の方もまた目を大きく見開いて口をぽかんと開けた。


「えっ、エルンスト?」


 賞金稼ぎたちはそのやりとりで何かを察したらしい。面倒事を避けるように再び林の中へと戻っていく。


「なんで君が―」

「なんであなたが―」


 ここにいるんだ、の声が上がったのもまた同時だった。


 ☆☆☆


 日は高く、夏の陽光は森の中ほど涼しさを与えてはくれない。ウィレ軍の士官と女賞金稼ぎは吊り橋のたもとの巨木の陰へと入った。アクスマンは相変わらずにこやかで、あれほどの暴れぶりが嘘のようだった。


 捕らえたモルト軍人を、見計らったかのように現れた北方州軍の憲兵隊に預けたミハイラはじとっとした目をアクスマンへ向けた。


「久しぶりだね。この冬以来かな」

「こんなところで会いたくなかったわ。なんでここにいるのよ!」

「そう? 僕は君に会えて嬉しいんだけど……」

「口説こうたってそうはいかないわよ。また仕事の邪魔するつもり?」


 ウィレ・ティルヴィア陸軍士官エルンスト・アクスマンと、ミハイラと呼ばれる女ハンターの因縁はこの戦争が始まる前にさかのぼる。


 軍と賞金稼ぎの仲が悪いことについてはすでに触れた。中でも公都憲兵隊に属していたアクスマンは、度々現役時代に賞金稼ぎと衝突していた。その喧嘩相手こそ、当時公都シュトラウスで「雌猫」と呼ばれ厄介がられていた手練の女賞金稼ぎだった。


 銀行強盗、警察が手に余す銃撃戦などの鉄火場に颯爽と現れては衆人環視の中で銃器を使いこなして現場を制圧し、犯人を引き渡すや去って行く彼女は有名人であり人気者だった。賞金稼ぎの実態は先のようなガラの悪い者がほとんどであるにも関わらず、公都において賞金稼ぎが人気のある職業として見られているのはミハイラの暴れぶりによるところが大きい。


「……その仕事って、一体どこから降ってきたんだい?」

「守秘義務も仕事のうち。顧客を易々と教えると思う?」

「もし、その仕事が人の道に外れていることであっても、かな?」

「え?」


 問い返すミハイラに対して、アクスマンは木陰に寄り掛かりながら息を吐いた。


「君たちのやってることは戦時協定違反だ。今やっていることは"追撃戦"で軍人同士のやり取りだからね。そこに民間人が乱入するのはよくないことだよ」


 ミハイラは何か言いたげに口を開いては閉じていたが、やがて一つ深い溜息を吐くと首を横に振った。


「……それでも、生きるためには仕事を受けないといけないのよ」


 ミハイラは大振りの回転式拳銃(この時代においてはほとんど骨董品と言っていい)を取り出すと弾倉を指で弾きながら吊り橋の向こうを眺めやった。


「生まれた時から家族もいないあたしには惑星市民権がない。どんなに国に貢献しても、もらえるのは銃のライセンスくらい。病院に行っても保険は降りないし車を買うにも高い手数料を払わなければいけない」


 アクスマンはひっそりと眉を下げた。ミハイラが孤独の身であり、何者も頼らない一匹狼の賞金稼ぎであることを彼は幾らか前に知っていた。


「……今度の戦争はひどいわ」


 彼女は呟くように、低い声で言った。


「景気はボロボロでまっとうな職に就けない人間は飢えて死ぬしかない。そうならないために私は仕事を受けなきゃいけないの。たとえ、この仕事に裏があってもね」


 思いつめた表情のミハイラに、アクスマンは腕を伸ばした。その手が彼女の頭に触れると、アクスマンは髪を梳くようにして撫で始めた。突然のことに頬をかっと染めて硬直する彼女に対して、彼は膝を折って耳元で囁くように口を開いた。


「金のためでも、誰かの道具になるためでもない。信じるもののために闘う」


 ミハイラが顔を上げた。


「そう、君の言葉だ。君と僕が初めて会った時。君の仕事を僕が邪魔して、僕の仕事を君に邪魔されたときのね」

「……そうだったわね」

「公都憲兵隊が退役軍人くずれの"薬"の売人を追っていた時だった。売人を追い詰めて包囲した時、君はその場に駆け付けて僕らを邪魔した」


 アクスマンは撫でる手を止めた。


「君は薬物のせいでぼろぼろにされた同業者の子どもから「父親の仇を討ってほしい」と依頼を受けた。依頼料は1アルフ硬貨一枚。二束三文いくらのもうけにもならない仕事を引き受けて、僕達の前に立ちはだかった」


 賞金稼ぎを卑しい仕事だと散々に罵倒した憲兵たち。その時に発したミハイラの言葉がそれだった。


「信じるもののために。君が仕事をする理由だね」

「……そうよ」

「なら、君も見ただろう? 転がっていた死体の山を。殺し屋みたいな真似をして、死体を金に換える。そんな仕事のどこに君の信じるものがあるんだい?」


 アクスマンの言葉に、ミハイラが反駁しかけ、言葉を飲み込んだ。


「君は誰よりも"特級追跡者しょうきんかせぎ"だろう? だったら、こんなことをしちゃダメだ」

「信じるもののために……」

「そう。君の信じるもののために。そして君を信じる人のために」


 「あたしを?」と問い返すミハイラに、アクスマンは微笑んで頷いた。


「そう、僕がそうだ」


 アクスマンは手を伸ばした。


「立って。君が自分の信条のために仕事をしたいと望むなら、僕が君を雇う」

「……メチャクチャね」

「僕が誰だったか忘れたのかい? 僕はエルンスト・アクスマンだよ」


 幾らかの沈黙の後、ミハイラは顔を上げて手を伸ばした。その手をアクスマンが握りしめ、彼女を引き上げて立たせる。


「いいわ、乗ったげる」


 ミハイラは白い歯を見せて微笑んだ。アクスマンも目を細めて頷いた。


 その背後から、声が飛んだ。


「おい、宗旨替えかよ」


 二人は振り返った。そこには先ほどまで林に引き下がっていた賞金稼ぎたちが彼らを取り囲むようにして立っていた。


 その手には"人殺しの道具"が握られていた。


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