第3話 雨の紫豹-エルンスト・アクスマン-


"賞金稼ぎがノストハウザン周辺で軍司令部の許可なく敗残兵狩りを行っている"


 この報がウィレ・ティルヴィア軍第一軍参謀長ヤコフ・ドンプソンとウィレ・ティルヴィア軍最高司令官兼第一軍司令官アーレルスマイヤーにもたらされたのは、デイロ山地で惨劇が起きたまさにこの時だった。

 ウィレ軍は予想外の乱入者への対応を余儀なくされたのだが、これに割りを食ったのが現場にいる将兵たちだった。夜通しの激戦後の任務で疲弊した多くの兵士らが"追い首"に逸る賞金首を抑えられる状況ではなかった。


「それで、僕の出番が回ってきたというわけだね」

「すみません、先輩……」

「その呼び方は言いっこなしだよ。シェラーシカ少佐」


 ウィレ湖畔の南方で部隊再編に当たっていたエルンスト・アクスマンを訪ねたのは、ウィレ軍の補給線、戦列の諸々の整備に当たる兵站参謀のシェラーシカであった。折しも大陸全土でしばらくなかった降雨となり、夏の夜とはいえ肌寒さを感じる。そこに戦闘の疲労もあり、二人は雨風を凌げる布張り、屋根のみのテントに入って息をついた。


「アクスマン少佐は、かつて公都憲兵隊に勤めていましたよね?」

「ああ。だから賞金稼ぎには知り合いもいる。君が僕を訪ねた理由もそこだよね」


 シェラーシカは頷いた。単に賞金稼ぎとの人脈だけではない。彼らの扱い方を知った者でなければこの難事の解決は難しい。


「それでも、僕に彼らを止めることは不可能だと思う。カネが絡んでいる以上、彼らは何があっても退かないはずだよ。彼らは生きるためにあの仕事をしてる。道理や倫理で退くなら、軍や警察と事を構えてまで人狩りなんてしない」

「それでも、止めなければならないのです」


 シェラーシカは首を横に振り、項垂れた。


「ノストハウザンの戦いが報復のための人殺しとなっては―」

「エドラント将軍に顔向けできない。そうだね」


 シェラーシカはアクスマンを見上げた。亜麻色の瞳と紫水晶の瞳が合い、青年は立ち上がって微笑んだ。


「何とかやってみるよ」

「先輩……!」

「それでもこの騒ぎを止めるのは僕らでは無理だ。もっと偉い人にお願いしないと」

「そのためには……」


 アクスマンは頷いた。


賞金稼ぎかれらの雇い主だ。これを割り出す必要がある。こんなにたくさん動員できるんだ。それなりの人間が後ろについているはずだよ」


 アクスマンの顔はいつしか柔和な青年のものから、憲兵時代の隙の無いものへと変わっていた。ウィレ・ティルヴィア公都シュトラウスのならず者たちがもっとも恐れる者達の顔だ。彼はただの青年将校ではない。考えられ得る限りの修羅場を潜った若手将校の先駆け。アーレルスマイヤーが彼を起用した理由も、そこにあるのだろう。


「とりあえず、ちょっと目ぼしい所に行ってみようかな。大隊の再編も終わったし」

「ありがとうございます。……大隊には待機命令を出すよう要請します」

「ありがたいね。短時間でも大隊長不在になるわけだし」


 アクスマンは物陰から雨降る中へと歩き出した。空を見上げる。この雨なら血や硝煙のにおい、ひょっとすれば銃声すら掻き消してくれる。良からぬことが進むにはうってつけの夜だ。


「アクスマン少佐―」

「気をつけて、なんて言わないでね。無茶を振った以上はさ」

「……はい」


 申し訳なさそうに項垂れるシェラーシカに、アクスマンは振り向いた。泥と砂利を踏む音に、彼女は雨に佇む青年を見た。ため息が漏れた。雨に濡れた黒髪、微笑をたたえた精悍な顔立ちは本当に絵になる。


 シェラーシカの副官、アレンがかつて毒づいた言葉を思い出した。「俺が男に生まれたのがバカらしくなるくらい、アイツは本当に絵になるクソッタレだ」。


「見とれてる?」


 不意に呟いたアクスマンの言葉に、シェラーシカは吹き出した。


「……、ええ!」


 声を立ててアクスマンは笑い返した。


「やっぱり君は笑顔の方が似合ってるよ」


 すぐに戻るよ。そう言って、アクスマンは雨の帳へと駆けだした。後に残されたシェラーシカは、ふと唇を指で押さえた。いつか士官学校に入った頃の恋に似た何かを思い出した。今はそんな場合でもないのに、とまた笑った。


 ☆☆☆


 子どもの頃から不自由のない生活を送った。実家は自動車製造の大手企業で、父親は経営者、母は経営補佐役。よくある、とは言えないながら恵まれた家で生まれ育った。好きな事ばかりしていた。奔放に恋愛も楽しんだ。広い交友関係の限りを尽くして楽しめることはほとんど楽しんだ気がする。


 両親は平和を愛していた。自動車やボートなど人々が"どこにでも行けるための足"をつくり続けた。争い事が嫌いで穏やかな人だった。そんな彼らと家族に等しい会社を守れたらと、強い男に憧れてウィレ・ティルヴィア陸軍に志願した。父も母も若かったので「家を継ぐまでの経験であれば」と入隊を許可してくれた。


 それが、全ての始まりだった。戦争は容赦なく、幸福な時代を奪っていった。


 この戦争が始まる1年半前のこと。最早、戦争が始まることは誰から見ても明らかだった。戦争の臭いが満ちる公都シュトラウスで、経営者を集めた非常時対策会議が行われたのもそんな時期だった。非常時対策とは名ばかり、各大手の企業に戦争協力をさせるため、圧力をかけるために政府と軍が開いたことは目に見えていた。


 公都シュトラウスで爆弾テロが起きた。会場となった交易ビルの入口に待ち伏せていた反政府主義者が出てきた経営者らに手榴弾を放り投げた。そして事件は一ヶ所だけではなかった。


 「アクスマン重工」本社ビル前で事件の一報を受けた両親は社内へと引き返すべく一度乗り込んだ乗用車を降り、正面玄関に繋がる階段を共に上っていた。その背後から、爆弾テロの共犯者である"親モルト派"の男が自動小銃を乱射した。


 憲兵隊として駆け付けた時、すでに父は物言わなかった。即死していた。母親は血の海の中でまだ息があったものの助からないのは一目瞭然だった。


―お父さん、軍需企業になるのを断るつもりだった。


―お願い、エルンスト。そんなことを言わないで。殺すなんて。


―お願い、憎むのをやめて。みんな、みんな同じになってしまうわ。


―お願い、お父さんと一緒、いやお父さんよりも強い人になって。


―この惑星の平和を守って。


 記憶にある母親の最期の言葉だ。目を見開いたまま動かなくなった母親の身体を抱きしめたまま、あの日の記憶はそこで止まっている。


 この日以来、自分は何に対しても怒らなくなった。


 この日以来、何者をも憎まなくなった。


 この日以来、何かを失った。


 そうして生まれたのが自分だった。


 足元の水溜りを見る。黒髪紫瞳の男がそこに映っている。髪と瞳は父から、その面立ちは母親から受け継いだものだ。


「行ってくるよ、父さん、母さん」


 少しだけ悲し気な微笑を浮かべて、エルンスト・アクスマンは雨の中を駆け出した。

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