第42話 顛末:「生きて帰ろう」-キルギバート-
力を振り絞り、目を開けた。鮮やかな緑色が目に入る。雫が強く顔を叩き、しばらくして雨が降っているのだと気付いた。
日の光に導かれて帰ってきたはずが、目を開けたら土砂降りだったとは納得がいかなかった。流れ続ける涙も何もかも、空から降ってくる水の前に押し流されていく。横殴りに降りしきる雨の前には木陰も全く役に立たない。
それよりどうにもならないのは、金髪に紅い目をした部下が胸の上に馬乗りになっていることだ。しかも胸を無遠慮に殴りつけている。
「この馬鹿野郎ぉ、なんで死にやがったんだよ……」
しゃべろうと口を開いた。途端、稲妻に撃たれたように身体が痙攣した。足先から指先、頭の先まで稲妻に撃たれたような衝撃が走り抜ける。失っていた五感が身体を破裂させる勢いで流れ込んでくる。
気が狂いそうになった。息が詰まり、吐き気と悪寒が同時に襲い掛かる。激痛などという言葉は生易しい。
「ぐっ、はぁっ!?」
反り返った身体によって胸の上にまたがっていたブラッド・ヘッシュは濡れた地面へとひっくり返り、おいおいと泣きぬれていたクロス・ラジスタは跳ね起きた。
「大尉!?」
「か……は……っ」
しゃべろうと口を開いたが、声が出ない。胴体の具合はだいぶ酷い。肋骨がぐさぐさに折れ、胸が潰れている。胴体のあちこちを貫く銃創のせいで声が出ない。
「は、ぐ……!」
そうこうしているうちに息が出来なくなって意識を持っていかれる。
生還して数秒でまたあの世行きかと観念した―。
「待っててください、今呼吸器を」
「死ぬんじゃねえ、おら、強心剤だ!」
―が、二人の部下はキルギバートを引き戻そうとする"死"より容赦がなかった。応急用の呼吸器パイプを口に突っ込ませ、さらにパイロットスーツを切り裂いて露わになった胸元に拳銃型の薬剤噴射器を押し当てて容赦なく引き金を引いてくる。
「おい、動かなくなったぞ」
キルギバートの痙攣が収まった。恐る恐る覗き込む部下ふたりと、彼の目が合った。青い瞳には僅かながら光が戻ってきている。
「……お、うう」
「何をしている」と言おうとしたのだが言葉にならなかった。
「あ゛あ゛ーん゛!! 大尉ぃぃ、よかった、よかったあぁぁ!!」
「馬鹿野郎ォ、死んだかと思ったじゃねえか!!」
泥まみれでずぶ濡れの二人に抱き着かれる。
「あぐ、お……!?」
激痛で一瞬のうちに心がくじけた。
「いっそとどめを刺せ」と呟いたが、やはり声にはならなかった。
ともあれ、ウルウェ・ウォルト・キルギバートは生還した。
☆☆☆
キルギバートとクロス、そしてブラッドは緑地にある洞窟に身を隠している。
「大尉、聞こえますか?」
キルギバートの容態の安定を待ち、クロスは腕時計型の端末を使って立体映像を投射した。彼らの隊長である男は負傷により声が出せず、目線だけを送って意思疎通を図っていた。
「私たちは今、ノストハウザンの南にあるデイロ山地にいます」
「炎に追われてこの山へ逃げ込んだんだ。火事のお陰で敵兵も手薄だったからな」
ブラッドが補足にクロスも頷きつつ、地図を展開させていく。
「ここを越えれば、向こう側はまだモルト軍の勢力圏です」
キルギバートは頷いた。声が出ないのでこうするより他にない。指示が出せない不安はあるが、いざとなればクロスとブラッドが持っている端末の機能を使えば意志疎通もできるだろう。(キルギバートが持っている分はカウスを助けた際に銃弾を受けて全損してしまった。)
「デイロ山地から勢力圏までは120カンメルです」
絶望的な数字だ。120カンメルならば平地であったとしても徒歩で休まず行ったとして二日はかかる。それを山地で、敵勢力圏内の密林を歩いていくのだ。
「何としてもここを越えるしかないです」
「……ぐ、う」
キルギバートは弱弱しく首を横に振った。瞬間、ブラッドが彼の後頭部を引っ叩いた。
「馬鹿言うんじゃねえ」
「ちょ、ブラッドさん叩かないでください。今の大尉はつまずいただけで死んじゃいますよ!」
「ちげぇよ。こいつは今、"俺を捨てて行け"って言おうとしたんだ」
本当ですか、とクロスは首を傾げる。キルギバートは項垂れるように押し黙った。
「ほらな、図星だろ」
キルギバートは頷いた。自力で動くこともままならない重傷兵を連れて山地越えなど無理がある。誰が考えてもわかることだ。だが、彼の部下はそれを受け容れるような者ではない。ブラッドは己の胸を叩いて誇るように頷いた。
「心配すんな。おぶってでも連れて行く」
ブラッドの言葉にクロスが頷いた。彼らは何としても見捨てる気はないらしい。
「夜を待って移動します」
キルギバートを背負うのはブラッドだ。有無を言わせずに腕を持ち、背中へと引き上げて、腰を抱え上げた。背負われたキルギバートは目を見開いた。ブラッドの左肩から胸元にかけて酷い火傷がある。ほとんど焼けただれていた。
降りようと身動きを試みる。しかしブラッドは何としても放そうとしなかった。
「おい」
ブラッドがおぶわれたキルギバートの背中を無遠慮に引っ叩いた。泥まみれになった銀髪の上官は痛みに呻いているが、それも生きているという証だろう。
「……」
「絶対に生きて帰るぞ」
キルギバートは観念し頷いた。顔を上げればそこには果てのない緑の迷宮が広がっている。ここを越えていくのだ。今や、緑美しい山々は彼らを飲み込もうとする「死」そのものとして立ちはだかっている。
それでも生き延びなければならないのだと、キルギバートは腹を括った。
―父さん、母さん、もう少しだけ待っててくれ。
日が落ちる。足下も、目の前も判別つかない暗闇が襲い掛かる。それでも、誰も怖いとは思わなかった。彼らは生き、そして今は戦友がいる。
「いきましょう」
泥濘へと歩き出す。かくて彼らの逃避行の幕が上がった。
―第二章 東大陸 ノストハウザン編 完―
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