第三章 東大陸編~少年と戦鬼~
第1話 動き始めた地図の上で
大陸歴2718年6月上旬。ノストハウザンの戦いを経たウィレ・ティルヴィアの情勢は激変した。地上戦の均衡は新兵器ラインアット・アーミーを有するウィレ軍に大きく傾き、対するモルト・アースヴィッツ軍の勢力圏は大きく減少した。
ノストハウザンの戦いではモルト軍により1400機の-モルト軍全戦力の半数に及ぶ-グラスレーヴェンが投入された。そして、モルト軍の敗戦後に戦場から逃れたグラスレーヴェンはわずか50機。数の半減した機動兵器で戦線を支え切れるわけもなく、モルト軍は次々に後退を開始。後退させた軍制・官立工場から生産されたラインアット・アーミーは東大陸全土で跳梁を開始し、モルト軍は南北に分断された。
6月5日、ウィレ・ティルヴィア東大陸旧ノストハウザン市街。
ウィレ・ティルヴィア陸軍仮設野戦司令部。第一軍参謀本部。
「マールベルンのモルト軍部隊の掃討完了。第一軍第三機甲旅団、ハッバート高地に到達」
月の頭より、夏の酷暑となった。白い夏服に着替えたウィレ・ティルヴィア陸軍参謀将校らが慌ただしく一室を出入りする。その中心では少将の階級章をつけた太った男がぼりぼりと砂糖菓子を口にしながら指示を下している。
「全戦闘部隊に通達。敵軍の後ろに回りこむことを心掛けなさい。包囲が完了するまでこちらからの手出しはなしです」
ヤコフ・ドンプソン少将。アーレルスマイヤー大将の懐刀にしてノストハウザン戦勝利の立役者となった男は、決戦の翌日に少将に昇るや将官としての任務をあっさりとこなしてみせている。異形の将軍ともいえる彼は躊躇わず、決戦で疲労困憊したウィレ軍の将兵に鞭打ち、逃げるモルト軍の背後に襲い掛かった。
「第一軍第十五自走砲旅団は何をしているのです?」
きた、と部屋にいる全将校が凍り付いた。立体映像に表示される部隊図にわずかな狂いがあるとドンプソンから丁重だが容赦のない指摘が入るのだ。彼らはこれを、もう三日三晩休養もそこそこにぶっ通しで行っている。
「ハッバート高地南方20カンメルで給油中―」
「遅い。計算上、まだ燃料は残っているはずですよ。全部隊の給油には数時間かかるでしょう。後回しです。ガス欠してもいいからハッバート高地の第三機甲旅団に合流なさい」
息を切らせて報告に訪れる将校らに道化のような笑みを向けつつ、ドンプソンは畳みかける。
「いやぁ、皆さん疲れてますねぇ。でも敵はもっと疲れてます。ついでにいうと落ち込んでます。ボコボコにすれば諦める部隊も出てきます。頑張りましょう」
言い終わるや、参謀本部に通信が飛び込む。
『第一軍第八擲弾兵旅団から全作戦本部へ。マールベルンのモルト軍守備隊より入電。"全守備隊ノ降伏を受ケ入ラレタシ"』
室内がざわめいた。ドンプソンは「ほらね、諦めると言ったでしょ」と砂糖菓子を噛みながら頷く。
『なお、敵軍総司令官ブロンヴィッツは既に西大陸モルトランツへ移った模様』
「……でしょうね。適当な軍使を送りなさい。武装解除は2時間以内。先を急ぐんですから。それ以上待たせるなら白旗を上げようが総攻撃すると伝えてください」
この戦争始まって以来のモルト軍部隊の降伏は、ウィレ軍全体が湧きたつには十分な知らせだ。士気が上がれば今しばらく作戦行動は可能だと、すでにドンプソンは割り切っている。
「ドンプソン少将!」
部屋に女性の声が響く。振り向いた先では亜麻色の髪をした女性将校が入室したところだった。
「第二軍、第三軍への補給完了しました。北部での再展開が可能です」
「御苦労様ですシェラーシカさん。第四軍以下の状況は?」
シェラーシカは頬を伝う汗を拭いつつ頷いた。
「時間がかかります。アーミー部隊が予想以上に物資弾薬を必要とするので―」
「時間はありませんよ。マールベルンのモルト軍が降伏しました」
目を見張るシェラーシカに対してドンプソンは砂糖菓子を噛みつつ肩を竦めた。
「これまで防戦しっぱなしでしたが、今後のウィレ軍は攻撃が主体になります。状況はあなたを待ってくれません。だから貴方に後方参謀部に行ってもらい、人とモノの流れを把握してもらえるように兵站参謀を任せているんです。これがモノになるまで作戦参謀への復帰はないと思ってください」
シェラーシカは頷いた。少しきつい言い方をしたかとのドンプソンの配慮は杞憂に終わった。上官からの厳しい物言いにショックを受けるほど、この少女はやわではなかった。発言の中にある真意を汲み取れるだけの聡明さは持っているようだと分析しつつ、ドンプソンはシェラーシカに手をかざした。その掌が淡く発光する。
「今、貴方の端末に資料を送りました。第一軍第十五自走砲旅団に燃料が足りません。解決できるよう手配をお願いします」
シェラーシカに対してドンプソンは初めて笑みを見せた。
「仕事は実際にやってみて覚えるものですよ」
シェラーシカは頷いた。その背後で声がかかる。
「首尾はどうか」
ドンプソンとシェラーシカは振り向き、声の主へと敬礼した。室内の全員がそれに倣った。
「順調です、アーレルスマイヤー大将」
ドンプソンの視線の先、青と金刺繍に彩られた総司令官の軍服に身を包んだ男が答礼する。昔から精悍さには定評があったものだが、偉くなってなお絵になる男だと、ドンプソンは舌を巻いた。
「各員、任務を続けるように」
アーレルスマイヤーの一声によって、室内は元の喧騒を取り戻す。シェラーシカも任務のため何処かへと立ち去っていた。
参謀本部の中心にあってウィレ・ティルヴィア軍の総司令官はドンプソンと共に地図を見上げている。
「どうだ? シェラーシカ少佐は」
ドンプソンは唇を捻じ曲げてみせた。苦笑いしているつもりらしい。
「まだまだ。色々と若過ぎます」
「とはいえ、貴官も世話を焼いているようだが?」
「若さに妬くからほったらかす、というわけにもいけませんからねぇ。若者を大人にするのも中年の役目です」
アーレルスマイヤーは声を立て笑った。その間にも戦線図は前へ前へと動いていく。彼らの秘密兵器部隊がモルト軍の戦線を食い破っている証拠だ。
「ラインアット・アーミーは良い仕事をしてくれている。それも彼女の功績だ」
「良い仕事をしてもらえなければ、我々は今頃そのあたりで丸焼きになって転がっているでしょうな。その点では感謝していますよ」
アーレルスマイヤーは微苦笑をこぼし、軍帽を取り、ドンプソンは立体地図に向き直り、腕を組んだ。
「それにしても、北方州方面軍はいつまで油を売るつもりなんでしょうねぇ」
「オルソン大将が場所を譲らん。北部への反攻が始まるまで、動くつもりはない」
地図の中央、ノストハウザン北部にはベルツ・オルソン大将指揮下の部隊が未だ動かずに居座っている。ドンプソンはつまらないものを見るような目をしている。
「北方州をとっとと取り戻したいんでしょう」
「わかっているだろうが、一州すべてを奪還できるほどの余力は我が軍にはない」
「それは承知。ですからモルト軍の戦線を食い破り、回りこんで補給を断ち、衰弱させていくのでしょう。えらく時間はかかりますが損耗を考えれば合理的です」
モルト軍を包囲戦に持ち込み時間を稼ぐ間に、ウィレ軍の戦力は回復するはずだ。オルソン大将の見栄を優先して、兵たちに理不尽な犠牲を強いる真似は出来ない。その点においてアーレルスマイヤーもドンプソンも見解は一致している。その理不尽な作戦を強いる者に抵抗するため、彼らは手を組み、最終的にはウィレ・ティルヴィア軍の指揮権をオルソン大将の手から引き剥がすことに成功したのだから。
「オルソン大将を追い落とした以上、それに見合う戦争を展開しなければならない」
「ここからが正念場というわけですか」
アーレルスマイヤーは頷いた。ウィレ・ティルヴィア軍の反攻作戦はまだ始まったばかりだ。その彼らに対して些細ながら看過できない急報が入るのは、数分後のことだった。
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