第39話 顛末:強くならないと-シェラーシカ-

 全ての戦闘が終わった後、シェラーシカ・レーテはウィレ湖畔の高台に立ち、変わり果てたノストハウザンを見渡した。


 そこに街はなく、真っ黒な大穴のような跡地が残るだけだ。うずたかく積み重なった瓦礫は、恐らく撤去に数十年を要するだろう。瓦礫だけではない。ウィレ・ティルヴィア軍の損害は深刻だった。この戦闘でウィレ・ティルヴィア陸軍だけでも30万人の死傷者を出した。惑星全土で行われた反攻作戦の犠牲者はこれを超えるものになるはずだ。

 息を切らしながら登ってきたアレンが、彼女に声をかけようとして踏みとどまった。


 彼女は静かに、しかし肩を震わせて泣いていた。


「……もっと」


 背中に気配を感じていたのだろう。シェラーシカは一人呟くように、喋り始めた。


「もっと、もっと短い時間で、もっと少ない戦闘で終わるはずでした」

「……ああ」

「敵の足を留めて、撃てなくして……っ、動けなくして……」


 しゃくりあげるように泣くシェラーシカの肩にアレンは手を置いた。


「ああ、そうだな」

「でも駄目でした……っ」


 肩を震わせながら、彼女は目の前に広がる焦土を見つめていた。


「私の作戦で、逆にたくさんの兵士を死なせてしまいました」

「……それでも勝った。俺たちの勝利だ」


 シェラーシカはアレンの手を振りほどいて叫んだ。


「こんなの勝利じゃない!」

「お嬢ちゃ―」

「味方を沢山死なせて、敵を生き埋めにして! 結局やったことなんて、虐殺や焦土作戦と変わらないじゃないですか!」


 こんなつもりじゃなかったのに、と呟きながらシェラーシカは背中を丸め、地面へと崩れ落ちた。アレンはただ瞑目して、彼女が反攻作戦を立案する時の言葉を思い出していた。


―兵たちが生きて帰れて、戦争を終わらせる作戦が必要なんです。


 理想と嘲笑われようが、その想いを遂げるために今日まで走り続けた。


「こんなはずじゃなかったのに……」


 ラインアット・アーミーもそうだ。重装甲で守られ、兵の安全を確保する戦闘補助システムも開発した。モルト軍のグラスレーヴェンが敵陣へ突っ込まされ、そして砂浜で散って行く姿を見ていたからこそ、味方の兵にはそんな思いをしてほしくはなかった。ノストハウザン直前、特攻同然にモルト軍に突撃し、反攻作戦を模した実験台となって死んでいった兵士に報いるためにも、完勝しなければならない戦いだった。


 結果、夥しい死と破壊を残しながら、戦争は続くことになった。


「う、うっ、ううぅ、うう……」


 子どものように嗚咽を漏らして泣きじゃくるシェラーシカに、アレンは何の言葉をかけてやることもできなかった。


 その時だった。


「もう止めなさい」


 声が響いた。振り返ると、そこにはぜいぜいと息を切らしながら坂道を登ってくる中年の太った男がいた。


「それでは兵たちの手前、大いに見苦しいだけです」

「ドンプソン大佐―」


 シェラーシカは袖口で涙を拭いながら立ち上がった。そうして、涙を拭っていた腕を持ち上げようとした。


「敬礼はナシで。少佐、これが君の能力の限界というやつです」


 アレンが目を丸く見開き、シェラーシカはじわりと大粒の涙を目じりに浮かべた。


「泣くなと言っている」


 静かに、ヤコフ・ドンプソンは目の前の少女を叱責した。有無を言わせない響きがそこにある。


「そうやってメソメソして何になるんですか? 死んだ兵が生き返るんですか」


 ぐすぐすと、直立不動で嗚咽をこらえるシェラーシカにヤコフは道化師のような面にある両目を丸く見開いて続けた。


「そうです。死んだのは君の作戦が稚拙だったからです」

「大佐、それはあんまりに―」

「副官、君は黙ってなさい。お嬢様を甘やかすことが君の仕事ではない」


 俯いて涙をこぼすシェラーシカの傍を通り抜け、ヤコフは頂上に立った。ノストハウザンの荒廃した姿を見て「いやはやなんとも」と間の抜けた声をこぼしながら立ち尽くしていたが、やがて彼女へと向き直った。


「スミスとの約束と言いましたね。それが、このノストハウザンでしたか?」

「エドラント将軍のために……でも、できなかったんです。もう将軍からは学べないから、一生懸命やったんです。だけど……っ」


 ヤコフはため息を吐いて大げさに首を振った。そして肩を竦めると、その首は肉に埋もれてなくなった。


「もうおよしなさい。これが君の限界です。師匠のいない弟子が一人であれこれやったって、結局この程度なんです。そして、もう二度と貴方はエドラント将軍から教えを受けることはできない。受け容れなさい」


 シェラーシカは何とか嗚咽をこらえようと、歯を食いしばり、肩を強張らせて俯いている。やがて、ヤコフは坂道を下って行きながら歌うように口を開いた。


「そーれでも、先生の代わりなんぞいくらでもいるじゃないですか」

「ぐすっ……、え?」


 ヤコフは振り返り、右手の指を立てると己へと指し示した。


「代わりならばこのヤコフ・ドンプソン、いくらでも務まってみせますよ」

「大佐……」


 言うと、ヤコフは己の肩に着いていた階級章を引き千切ってシェラーシカへと放り投げた。彼女は手を伸ばし、頭上に投げ込まれた金色の階級章を掴み止めた。


「それあげます。きっと近いうちに、貴方に必要になるから。そうなるように、私が鍛えてあげましょう。貴方が望むなら、ですけど」


 目を丸く見開いて立ち尽くすシェラーシカに、ヤコフは顎で丘の下を示した。


「涙の義理はもう果たしたでしょう。次に行きますよ、シェラーシカ少佐」

「大佐!!」


 言いつつ、歩みを留めずに降りていくヤコフにシェラーシカは叫んだ。


「ん~?」間の抜けた返事をしながら、道化師のような男は振り向いた。


「お願いします」


 彼女は腰を折って深々と頭を下げた。アレンはしばらく呆然としていたが、やがて微苦笑してシェラーシカの後ろに着いた。あくまでも副官の立場は譲らないらしい。


「ほい。じゃ、行きますよ」

「大佐、この階級章は―」

「もう必要ないんです。私、明日から将軍になりますから」


 シェラーシカは呆気にとられた様子で、ただヤコフの背中を追う事しかできない。

 

「だから大佐の階級章はじきにあなたがつけることになるんですよ。もっとも、それに見合った能力を身に付けなければ貴方は今度こそオシマイです。わかってますね?」


 ヤコフは黒煙に煙る平野へと降りつつ「二度も同じ過ちを繰り返す参謀は軍に要らないんです」と呟いた。不思議なほど、毒がなかった。


「さ、帰ったらすぐお勉強しますよ」


 言って、ヤコフは太った身体に似合わぬ軽快な所作で、さっさと参謀部本営の方角へと歩き去ってしまった。


 しばらく平野で煙に巻かれながら去って行ったヤコフの後ろ姿を見つめていたシェラーシカは、意を決したように歩き始める。


「強くならないと……」


 強くならなければいけない。賢くならなければいけない。


 惑星を守り抜くことは、きっと成し遂げられる。


 ならば次にやるべきことは決まっている。


「強くなりたい。戦争を終わらせるために」


 アレンもまた頷いた。


 三人が去って行った平野には、ただ荒涼とした大地を照らす青空だけが残っている。


 そして、彼女達の新たな戦いが始まる。

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