第38話 顛末:モルト軍総退却-グレーデン-

 グローフス・ブロンヴィッツは、本営のあるマールベルンから炎上するノストハウザンが地の底へと沈んでいく様子を眺めている。紅く照らし出されていた街の影が、小さく、平たくなっていくのを見届けるとやがて踵を返した。


「―この戦いは終わった」


 この日、モルト軍シュトラウス侵攻部隊全軍はマールベルンから南北、東方面へと後退を開始した。撤退を指揮する指揮官の地位にある者はほとんどが戦死したこと、あるいはゲオルク・ラシン元帥の更迭による混乱により、整然で知られたモルト軍の進軍はただ無様をきわめた。


 ただ、その最後尾で全軍の撤退を支え続ける部隊があった。


 この日の夜明け、最後尾の部隊は未だ、ノストハウザンにあった。


「勝負あったな」


 モルト機動軍第一軍第二師団の長であるグレーデンは呟き、部下らに向き直った。ウィレからの砲撃、追撃は熾烈を極めているが、それらをいなし、あるいは逆襲しながら、すでに12時間以上にわたって彼らは戦い続けてきた。

 

「負け戦だ。撤退戦を戦うぞ」


 グレーデンは傍らのケッヘルを振り向いた。死人のような顔をしている。


「どうした?」


 尋ねるグレーデンに、ケッヘルは静かに口を開いた。


「第一機動戦隊、第二機動戦隊ともに全滅」

「デューク大佐は?」


 ケッヘルの首が横に振られた。


「戦死なさいました」

「キルギバート大尉は?」

「通信は途絶しています」


 グレーデンはヘルメットを取り、それを車輌の床に叩き付けた。それから突っ伏して数秒、何事かを呟いていたが、すぐに顔を上げた。目が僅かに充血している。

 全てがウィレの策のうちだった。衛星の奪取、グラスレーヴェン部隊を市街地へ誘い込むのも、全てウィレ軍の策略だったのだ。


 自分が彼らを死地に送り込んだようなものだった。


「味方が、我々の陣地線を越え帰還するまで交戦する。ひとりも置いていくな」


 グレーデンは奥歯を噛んだ。涙が一筋、右目から流れ落ちた。


「すまん大佐……」


 作戦の失敗は将官である自分が負うものだ。無理やりにでも後詰として機動戦隊を残しておくよう差配しなければならなかった。多くのグラスレーヴェンと共に、彼らを市街地へと詰め込み、身動きすらままならない状況に追い込んだのは自分の過失だ。

 この作戦進行に無理があることを、命を張ってでも主張すべきだった。行うべきことを行わず、大勢の部下を死なせてしまった。

 その目の前を、多くの兵士たちが遁走していく。だが、皆がグレーデンに帽子を振り、敬礼をし、持てる敬意の全てを払って戦場から退いていく。


「……っか」


 ふと、その人垣からパイロットスーツを着たモルト兵がよろよろとこちらへ歩いてきた。


「閣下……」


 グレーデンはその兵士に見覚えがあった。キルギバート隊に身を置く、少年兵。


「カウス、リンディか!」


 全身傷だらけで、特に側頭部にひどい傷を負っていた。顔は煤で真っ黒で、見える肌は血が巻いていた。


「キルギバート大尉より、報告。市街地は炎の海で、脱出は困難。市街の至る所に伏兵がいて、大尉は、このままでは機動戦隊は……!」


 少年の体が前へと崩れた。グレーデンは装甲車の天蓋から飛び降り、カウスを抱きかかえた。


「伝令よくやった! 救援は出す。後ろで休め」


 言葉を聴いて安堵したのか、カウスはがっくりと首を後ろへ折った。失神している。

 後を追って車外に出てきたケッヘルに、グレーデンは向き直った。


「指揮官機を出せ」

「閣下」

「ノストハウザンへ行く」

「なりません、閣下。デューク大佐すでに亡く、敵の新兵器がひしめく戦場へ赴くなど自殺行為です」


 ケッヘルの言葉を背に受けて、グレーデンは歩き出した。肚は決まっている。


「閣下が!」


 ケッヘルが、初めて怒鳴り声を上げた。


「閣下がここを離れれば、師団は、モルト軍はどうなるのですか!!」


 グレーデンの足が止まった。


 ここで指揮を放り出してキルギバートたちの救援に赴けば、万に一つの確率で彼らを救い出すことはできるだろう。だが、戦場からの離脱は? 恐らく無理だ。


「包囲に抗う司令官がいなければ、モルト軍の将兵全てが屍を晒すことになるのです!!」


 グレーデンは片膝を着いた。足元の砂に爪を立て、鷲掴みにする。手の内が焼けるように熱い、炎熱を帯びた砂が掌を焼いている。だが、この程度の苦痛など取るに足りなかった。最良の戦友は死に、部下の救援には行けない。命を張って伝令に帰還した少年の想いに応えられない。


 グレーデンが呪詛の言葉を吐こうとした、その時だった。


『その援護、我らが承る』


 耳慣れた声がして、グレーデンは上空を見上げた。飛行型グラスレーヴェン指揮官機「ジャンツェン」。それを扱える搭乗員は数えるほどの者しかない。


「ゲオルク元帥!!」

『今はただのゲオルク・ラシンだ。グレーデン中将』


 どういうことかと問おうとし、グレーデンは全身から血の気が引くのを感じた。


「まさか―」

『罷免された。時を待たず、私は本国へ送還される』


 衝撃、困惑の後、グレーデンの心中にブロンヴィッツへの怒りが沸き起こった。彼は何を考えているのだ。機動軍の総司令官を罷免する? この戦争で元帥がどれほどの功績を祖国のために上げたか、どれほどの犠牲を払ったか、ブロンヴィッツは知らないのか。


「元帥、私は―」

『言うな。軍人は主に忠を尽くす者。それは今も変わらぬ。変えてはならぬ』


 ゲオルクが、遅れて通信画面に現れた。いつもの眉根を寄せた厳めしい顔つきではなく、憑き物が落ちたような表情をしていた。


『……すまぬ。市街地に飛び込んだ兵らを、救えなかった』


 グレーデンは言葉を飲み込んだ。


「閣下……。では」

『貴官の機動戦隊は崩落に巻き込まれたか、それ以前にウィレの新兵器の手にかかった。第二機動戦隊のキルギバート大尉も勇戦したが、通信が途絶している』

「閣下は、まさか、あの中に!?」

『今からまた突き入るつもりだ。北部ではシレン、オルク、ライヴェが戦うている。今や私も一兵卒に過ぎぬ。ラシン家の総力を挙げてモルト軍の矜持を守り抜かん』


 グレーデンが振り仰ぐ先で、白いジャンツェンが上昇していく。


「元帥閣下!」

『グレーデン、また会おうぞ』


 ジャンツェンが飛び去る。数拍遅れて、親衛隊の一団が遁走する兵の流れに逆らうように馳せ参じた。


「何事か!」グレーデンは怒鳴った。

「ゲオルク・ラシンに反逆の疑いあり! ジャンツェンはどの方角に去りましたか!」


 ゲオルクが何故単騎で参じたのか、そしてそのままノストハウザンへ消えたのかがわかった。彼は親衛隊の包囲をかいくぐりながら戦場へ舞い戻ったのだ。


「馬鹿者どもが!!」


 グレーデンは満身の力を込めて怒鳴りつけた。親衛隊員たちが雷に打たれたかのように凍り付く。


「モルト軍の元帥、将軍は反逆など企てぬ! 戻ってシュレーダーと元首にそうお伝えせよ! この場はグレーデン師団が守るゆえ、今のうちに落ちられよとな!」

「しかし―」

「貴様らの役目は元首の護衛だろう! 帰れ! 軍の持ち場に踏み入るなら、撃ち捨てる!」


 グレーデンの周囲に控えていた兵士たちが一斉に銃を向けた。親衛隊の一団はすごすごと、来た道を引き上げていく。


「シュレーダーめ」


 グレーデンは唾を吐き捨てた。そして深く息を吸い込むと、再び大声を放った。


「ゲオルク・ラシン元帥が増援に戻られた! 何としても撤退戦を遂行するのだ!!」


 兵から鬨声が上がった。士気は上がる。


 撤退戦の遂行を確信したグレーデンは指揮車輌の天蓋の上へ、どかりと腰を下ろした。流れ弾が頬を、肩を、頭をかすめるが微動だにしない。


 時間だけではない。勇気がいる。グレーデンはそのまま、指揮車輌に根を下ろしたかのように微動だにせず、陣頭で指揮を執り続けた。


 彼は、この戦いの後に「鉄の狼」の異名を取ることになる。


 大陸歴2718年6月2日正午。グレーデン師団はノストハウザンからの撤退を開始。

翌週9日にハッバート高地へ後退するまでに、その戦力は旅団規模まで半減していた。

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