第30話 崩壊した計画


「北西部、南東部、両陣営の機が全滅しました」

「エクルスカジノ、敵の攻撃を逃れています。なおも臨戦態勢崩さず」


 シェラーシカは手当を受けた後、参謀部の復旧指揮を執っていた。


「まず立て直しましょう。生き残った各部隊を第3トンネル、2号線道路に誘導してください」

「中央広場の待機軍、敵新兵器の攻撃を受け全滅しています! 通信車輌がやられ、各部隊との連絡、途絶しています」


 シェラーシカは目を閉じて吐息をついた。想定外の宇宙からの直接攻撃により、策は破れた。


 明滅する両軍を表すマーカー全てがこの混乱を映し出している。都市の一角が円形の焦熱波によって消滅した。一回の砲撃によってだけでも、失われた命は甚大だ。


「シェラーシカ少佐。モルト軍部隊が反撃を開始! 総反撃を―」

「まだです、まだ立て直しが終わるまでは!」


 彼女は唇を歪ませ、それでも思考を止めようとはしなかった。その時。


「いやあ、敵も想定外なんでしょうな」


 通路の奥から、壮年の男の声が聞こえてきた。独特の間延びした語調が、その場の人の耳を打った。


 その男が歩みを進めると、応急用照明の白い光が彼の姿を浮かび上がらせた。まず太っている。それと、バリバリと何かを食べている様子である。見ると右手には菓子袋。中身は金平糖のような砂糖菓子。

 たぶついた体型に、肉がついた顔面は化粧を施した道化師のようで、短く太い眉が額の上についている。


「ドンプソン大佐―」


 ウィレ陸軍大佐、ヤコフ・ドンプソン。ウィレ・ティルヴィア軍反攻作戦実行役の大元締めであり、アーレルスマイヤーの腹心、そしてシェラーシカらアーレルスマイヤー麾下の参謀を束ねる責任者だ。


「ああ、気にしないで下さい。私はこういう人間ですから。毎日困るんだ。今日もまたベッドが壊れてね。……で、状況は―」


―ひどい。


 男は喋っている途中で、困ったように言った。そして次にはブッと吹きだして笑った。ベッドに吹いているのか、状況に吹いているのか分からない。気を取り直して彼は、シェラーシカに相対していた士官に声をかけた。


「ほい。北面道の封鎖は終ったんですか? もしかして、まだやってませんとか言わないよね。グラスレーヴェン部隊が突破を試みていますよ」


 士官は狼狽したまま言った。


「まだ……」

「まーた、そういうこと言う。さっさとやって頂戴。首都に敵の侵入を許すことになりますよ? ヘンテコな宇宙からの攻撃は無視です。どうせ手が届かないんだから」


 ウィレにおけるヤコフ・ドンプソンという人物の評価は一貫している。"優秀だが、変なおじさん"だ。のんびりした口調だが、ここまでの戦術が定まるまでに要した時間は一分に満たない。


「シェラーシカさんの策はどうやら失敗に終ったようなので、これ以降は私が第二参謀部を仕切ります。よろしいですねシェラーシカさん」

「ドンプソン大佐……! まだです、まだ終わっては―」

「シェラーシカさん。人間、諦めも肝心ですよ」


 シェラーシカは絶句した。短い言葉で、ヤコフはウィレ軍唯一の才媛を黙らせるとインカムを取り出し、指揮の準備を整え始めた。


「あの攻撃で、この戦争が続くことは既定路線になったんですから」


 インカムを首にかけ、ヤコフは首を竦めた。あった首が肉に埋まり、なくなった。

 シェラーシカは目線を下げた。


「……お願いします」

「君の策はなかなか妙案だった。もうちょっとでうまくいったんだろうがね」

「申し訳、ありません」

「そうくよくよしない。君が手回しした黒子仮面くんはいい仕事をしました」


 シェラーシカは目を見開いてヤコフを見上げた。"全て最初から知っていました"と言わんばかりの笑みをヤコフは浮かべている。


「彼らによってグラスレーヴェンは閉じ込められ、いずれ市街地は火の海になる。君の頑張りで、"あの部隊"も今のところ隠し通せています。心配ご無用、君の考えたおおよそに従って上手に扱いますよ。だって、あれを作ろうとした言い出しっぺは私ですからね」


 シェラーシカは言葉もなく、ただ項垂れた。


「……でも良いですか。まったくの犠牲を伴わない戦争など夢物語です」


 ヤコフは続けた。


「それに、これではっきりしました。モルトは狂ってます。敵だけでなく、味方にも犠牲を強いる。先は見えた」


 シェラーシカはその場に座り込んでしまった。ヤコフはピエロのような眉をハの字に畳んで共感してみせた。


「おや、悲観しないで下さい、失った命はあなたのせいではない。そもそも、くよくよしたって戻りませんからね。それと―」


 彼は一旦言葉を切り、鋭いまなざしを彼女に向けた。


「なぜ、私に言わなかった? 自分だけで事を進めようとした」

「申し訳ありません、ですが、これはエドラント将軍と私の戦いでもあるのです」

「死んだ人間の遺志を継ぐ。泣けますねぇ。でも、それでこうなったら意味がない」


 ヤコフはため息をついて考えだした。


 このご時世だ。こんな立派な若者もいないのだろうが。逆を言えばこんな滅茶苦茶な若者もいないであろう。シェラーシカほど無垢な軍人というのもいない。彼女を登用したアーレルスマイヤーもそこを考えての起用なのだろうが、それでは彼女の限界は見えているようなものだ。


 今のウィレ軍の上層部は、騙し、裏切り、欺きと陰謀の渦巻く魔界だ。そうした力の前では、彼女はどうしようもなく無力だ。

 しかし、この戦いではっきりした。世界はすでにバランスを失っている。


 真っ白な画用紙は黒く塗りつぶされるだけなのだ。そこまで考え、ヤコフは眼を閉じた。


「若いねぇ。もういいや。これあげる」


 ヤコフは自分の持っていた菓子袋をシェラーシカに手渡した。


「正座して見ていなさい。本当にやれとは言わないけど」


 シェラーシカはそうした。

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