第27話 紅い凶星

「本隊が?」


 キルギバート隊が急報を受けたのは市街地東面からノストハウザンに突入した折だった。


『どうしたもんですかね、大尉』ブラッドの声もいつになく切迫している。

「引き返す」


 キルギバートの声に迷いはない。カウスも同意した。


『後ろを襲われたと言うことは本営が最前線になっているということですよね。急いで戻らないと……!』

『そう、上手くいきますか?』


 クロスだけが、低く静かな声を立てた。


「どういうことだクロス?」

『周りを見てください。後ろからも何十というグラスレーヴェンが続いているんです。ここからうちの隊だけ引き返せると思いますか?』


 キルギバートは我に返ったようにしてレーダーとセンサーを見た。市街の外までグラスレーヴェンが全部の路地を塞いでいる。方向転換などできるわけがない。それどころか、全ての部隊が自分たちの方向転換によって進軍できなくなる。


『それなら跳躍で―』

『それは無理ですよカウスさん。周りを見てください』


 高層ビルが大多数を占める市街地は、まるで檻のようになっていて抜け出せない。跳躍してもビルに激突するだけ、後ろへは方向転換もままならない。


「くそ……!」


 前へ進むしかない。


『待ってください』

『どうしたんだよカウス、まだ何かあんのか!』

『生体反応、多数出現!』


 カウスの言葉とほぼ同時に、センサーに次々と小さな赤い点が浮かび上がった。そして左右のビルの窓ガラスが次々に砕けた。


<撃てぇッ!>


 シュトラウス語が響いた。至近距離、耳を澄ます必要すらない。足元で火器の銃声、砲声が轟き、ばたばたと歩兵が倒れた。何機かの友軍機(グラスレーヴェン)がビルに向けてディーゼを乱射し始め、キルギバートは直感し、絶叫した。


「待て、撃つなーっ!!」


 手遅れだった。キルギバート隊の左右にあるビルの低階層部分が砕け散り、少し遅れて建物全体が手前へと傾き始めた。


『まずい』


 ブラッドが地を這う程低い声を出した。


『うわぁぁ!?』


 カウスが悲鳴を上げた。ビルは将棋倒しになって崩れ落ち、歩兵の断末魔の悲鳴と轟音が周囲を満たした。グラスレーヴェンの全身に瓦礫の暴流が襲い掛かる。埃と炎と猛煙が路地という路地を舐めつくしていく。キルギバート隊だけではない。同時に、同じ状況が市街地の至る所で発生したのだ。


 キルギバートはコクピットの中で衝撃をやり過ごし、それからセンサーに目を通した。


「罠だ―!」


 センサーに点在していた赤い点が集まり、四方を囲んでいる。


 グラスレーヴェン部隊はノストハウザンという、摩天楼の檻に閉じ込められた。さらなる異変はすぐに起きた。


 目のくらむような光が、グラスレーヴェン部隊に襲い掛かった。


「街が、光っている?」


 まず、眼を奪われた。それは、夜に投げかけられた真昼の陽光のようだった。


「これが、ノストハウザンの、夜景―」


 ノストハウザンの街全体が輝いている。宝石のように蠱惑的か、魔界のように幻想的な風景がそこにあった。装飾された立体サイネージ、街燈。それらが一体となって繰り広げる光の渦。道路は真昼のように明るく、路地に落ちた髪留めの一つさえ見止める事ができる。どれもこれもが、モルトにはなかった。兵士のことごとくが、その風景に圧倒され、吸い込まれる。


『しっかりしろ!』


 どこからか、デュークの声が響いた。一瞬、戦闘中であることを忘れてしまった。頭の中の危機と街の美しさがぶつかり合って、脳がグラグラと揺れる。動揺したグラスレーヴェン数機が、そのまま姿勢を崩してビルにしなだれかかった。焦燥と危機感にかられ、誰もが周囲をうろうろと見回した。


 その背後に、ウィレ軍の歩兵が展開した。


「―、カウス!?」


 キルギバートの声にカウスが我に返り、振り向こうとした。刹那、彼の機体は派手に横転し、カウスは声を上げた。


『わぁ、っ!?』


 パイロット達は横転したカウス機を見つめ、汗のにじむ腕を何とか押さえつけた。クロス機がカウス機に近づく。


「クロス! 止めろ!」


 キルギバートの声は叱責に近い鋭さを帯びていた。クロスの視線の先には、黒い破片をあたりに散らしてマシン部分を露出したカウス機があった。


『どうしてです!?』

「カウスをやったのは歩兵じゃない!」


 キルギバートが歯噛みし―。


『ブリキ野郎に包囲されてるぜ』ブラッドが代弁した。


 眼を疑った。ガウストアーミィがすぐ先の路地に3機、左右のビルの上に2機。そのうちの1機はモルトランツでグラスレーヴェンを上下に引き裂いた長砲身機関砲を向けている。

 ブラッドはすでに、1機のガウストアーミィに砲を向けられていた。


 ☆☆☆


 ゲオルク・ラシン本軍の最精鋭部隊、ラシン家の一族もまた包囲の中にある。


<モルト軍全グラスレーヴェンに告ぐ。銃を捨て、搭乗機から降りなさい>


 凛とした女性の声が響いた。


「シェラーシカ・レーテ……!」

『シレン―!』オルクの声が響いた。

『ウィレのブリキ部隊が背後に回っている』ライヴェが忌々し気に呟く。


 北面で同じ状況に陥っていたシレン・ラシンは彼女の隙のない、しかし武人としては屈辱的な策略に、顔を歪めた。彼もまた、ガウスト=アーミィに包囲されている。モルト兵は殆ど虚を突かれ、目の前の理解不能な状況に混乱している。

 市街地は狭く、グラスレーヴェンに思うがままの機動を許さない。ビルの屋上から、サーチライトが地上に伸び、それは彼の機体の肩にある白き鷹のエンブレムを照らしたまま止まった。彼を激憤させるには十分だった。


「気安く触れるな、下郎ッ」


 モルト兵の誰もが最悪の事態を予感していた。


 ☆☆☆


 その様子をビル上から眺める集団がいた。開戦前に都市のあらゆる建造物に"何か"を施した黒ずくめの男たちだった。ビルの縁から文字通り高みの見物と洒落込んでいる。その中心にいる頭目らしき小男は、足元に広がる黄金の光の絨毯を眺めやっていた。表情は頭巾のような面具に遮られて読めない。


「"巨万の富に目が眩む"ってのはこの事かね。ちょっと違う気がしなくもないが……」


 頭巾の中の目を細め、小男は頷いた。


「見事だよシェラーシカ殿」


 ビルの屋上縁に足をかけ、黒い頭巾のような面具で顔を覆った小男が立ち竦むグラスレーヴェンを見下ろす。激戦が行われているのは最早ウィレ湖畔だけだ。物量で勝るウィレ軍部隊に、戦神の加護は傾きつつある。


「ここまでの段取りは上々。このままいけば、数を頼みにといきたいが―」


 小男はちらりと夜空を見上げた。


 赤い、深紅に近い星が四つ、夜空に瞬いている。


「少々、厄介な事になりそうだね」

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