第24話 ノストハウザン前夜-黒鳥の道化師-
「……剣の森かい」
銀に波打つウィレ湖畔の岸辺を、ノストハウザンの摩天楼から眺める男がいた。軍人ではない。
体躯は低く、小柄。全身は黒ずくめで、着ている襟は互い違いになっていて、袖裾が広い。まるで
火の粉が黒子のような頭巾に触れる。彼はそれを握り、僅かな灰に姿を変えた破壊の前兆をしげしげと眺めた。
「火、か」
ばたと風が吹く。東からの風。この時期には吹かない風が、吹いている。
男は手を持ち上げ、掌を見つめる。その手の上で青い火の玉が躍った。それがナノマシンによる立体映像だとわかったのは、わずかに発光する彼の掌によるところが大きかった。
「そして風。街を叫ばせるのは、この風のようだね」
「筆頭家令様」
男の後ろに、男と同じ真黒な衣服を着た女性が立った。黒髪に暗茶色の瞳を持つ女は、優雅にも思える仕草で一礼した。
「我が当主、シェラーシカ様より連絡です。全て完了したと」
「承知した。追々、あたしらも引き揚げる。"共同戦線"とはなかなか面白いもんだったと、シェラーシカ殿にお伝えあれ」
承知しました、と声を残し、女はビルの屋上から身を投げた。死にはしない。そういう術を心得ている。
男は微かに苦笑した。
「しかし血と育ちは争えない。これほどの大戦に怖気づくどころか、気分が高揚するとは」
やがて立ち上がると、男は僅かに口元を緩ませた。
「さてモルトの
男は両手を広げた。それは奇しくも、ブロンヴィッツの道化師といえるバデ・シャルメッシが見せるものと全く同じ仕草だった。だが、この男は壊れていなかった。
真っすぐ湖畔を見つめたまま、一呼吸を置いて屋上の縁に飛び上がった。
「魔窟へようこそ、モルトの"お客様方"」
道化のように男は首を傾げ、片足立ちになる。そのまま湖畔にゆっくりと背を向け、そして体の力を抜いて後ろへと倒れ、落下する。
「星ひとつ溺れさせる富めるものの恐ろしさ。味わってもらおうかい」
落下する男の、逆さまになった視界で、景色が日没の色に染まる。剣の森は反射すべき光を失いつつある。
「ああ、いい眺めだ」
男の視界の端から、大きな鴉のような何かが飛来する。男は手を伸ばし、"鴉"はその手を捕えて飛び去った。
鴉の正体は無人機。それは男を回収しつつ、高度を上げてノストハウザンの上空をゆっくりと旋回し始める。
『筆頭家令様』
先ほどの女の声が、頭巾の中に仕込んだ聴音器から流れた。
『シェラーシカ様からご返答です』
「承る」
『"役者は揃った"。そうお伝えを、と』
「承知した。なら裏方は退場すべきだね」
男が首を巡らせる。周囲には同じように、人をぶら下げた無人機がくるくると、夕方の雁のように旋回していた。摩天楼の窓が怪しく輝き始める。
「ああ、本当に」
男の眼が細められた。
頭上では、複数の流れ星がゆっくりと輝きながら落ちていく。
「いい眺めだね」
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