第23話 ノストハウザン前夜-奪われた眼-

 モルト軍本国部隊の主力にあたる第一親衛機動軍(司令官:グローフス・ブロンヴィッツ)はマールベルンへと入城し、この地に仮本営を築きつつある。


「機動部隊、ウィレ湖畔南岸に到達。ノストハウザンに接近しつつあり」

「ゲオルク・ラシン元帥、ウィレ湖畔北岸を制圧。シレン・ラシン少佐の機動大隊が西岸に到達しております。また北部戦線にあったオルク・ラシン大佐の第九機動旅団、ライヴェ・ラシン大佐の第十六機動旅団がこれに合流中。西岸を取れば、ノストハウザンは目の前です」


 ブロンヴィッツは目と鼻の先にある主戦場をマールベルン市庁舎の大会議室で見つめている。彼の下には続々と勝利の吉報が届いていた。


「グレーデン師団を停止させ、ゲオルク・ラシン軍集団を合流させよ。ウィレ湖畔南岸を橋頭保きょうとうほ(…足がかりとなる拠点の事)とする」


 最高司令官が身に着ける白の制服を身に着けた彼は、参謀総長と共に来るべき総攻撃に備えていた。


「フーヴァー参謀総長。ついに来た」

「―元首閣下」

「我々の祖先はウィレ湖畔を前に敗れ、公都に攻め入ることは叶わなかった」


 ブロンヴィッツが静かに両手を広げた。戦場は彼の手中にあるも同然だった。


「歴史が変わる。今この時にこそ―」


 勝利への確信に染まりつつある大会議室に、情報参謀が入室したのはその時だった。


「何事だ」

「元首閣下……ご報告します」


 情報参謀の表情は硬く、その顔は青ざめている。凶報だと、会議室にいた全員が悟った。


「先ほど軌道上にあった16の衛星のうち、5基の衛星が敵特殊部隊の強襲を受け、手に落ちました」


 フーヴァーが手に持っていた情報資料のファイルを取り落とした。


「なぜだ!? なぜ敵が衛星を奪取できる!?」


 ほとんど叫ぶように、参謀総長はただした。


「衛星の中にスパイが潜伏していたと、報告が入っています」

「奪取された衛星は、何を司っていた」

「ノストハウザン以西の監視、及び西大陸のレーダー中継です!」


 フーヴァーの足が、がっくりと折れて椅子に座り込んだ。参謀総長は「終わりだ」と呟いた。攻撃は延期しなければならない。


「我が元首。シュトラウスまでの眼を失った以上、早期攻撃は不可能です……戦線の構築を行い、態勢の立て直しを進言します」


 その進言の途中から、ブロンヴィッツの首がゆっくりと持ち上がった。彼は天井の先にある空を見上げた。


「……破壊せよ」

「はっ?」


 ブロンヴィッツは後ろ手を組み、まるで茶を汲むような、平坦な口調で告げた。


「敵の手に落ちた衛星を残らず破壊せよ。利用されるくらいならば、破壊してしまうのだ」

「なりません閣下! 我が軍の情報運用に支障が出ます!」


 ブロンヴィッツはフーヴァーに向き直った。元首の相貌はいつもと変わらず、平静に見えた。だが、僅かに目が血走っている。そんな瞳を、フーヴァーは見たことがなかった。


「……軌道上を哨戒している第六艦隊に砲撃を命ぜよ」

「地上の兵士たちがノストハウザンを前に、迷ってもよいのですか!?」

「 参 謀 総 長 」


 ブロンヴィッツの遠雷のような声がフーヴァーの耳を打った。


「指導者は私だ。君は参謀総長として戦争大義の完遂に貢献すればよい」

「……き、聴けません。閣下」


 フーヴァーの言葉に、場が凍り付いた。ブロンヴィッツはそこで初めて目を見開き、目の前の参謀総長を見つめた。


「数か月で惑星ウィレ・ティルヴィア全土を掌握するなど、最初から無理があったのです。私は開戦前から、この戦争に、ローゼンシュヴァイク大将と共に反対して参りました。ですが、あなたはローゼンシュヴァイク大将を更迭したばかりか、拘禁し、開戦を押し通しました。そのツケが今回ってきたのです」


 フーヴァーは早口で言い切り、哀願するように片膝を屈してブロンヴィッツに頭を下げた。


「元首閣下、ご再考ください。今、この時に決断しなければノストハウザンに攻め入った兵士たちは屍を晒すことになるでしょう」

「わかった。参謀総長」


 フーヴァーはさっと頭を上げた。そして凍り付いた。ブロンヴィッツの表情は、酷薄、とさえ言えるものだった。自身にとって理解できない"モノ"を見る目は軽蔑一色に染まり、傲然と顎を反らしている。


「本国へ帰りたまえ」

「閣、下」

「フーヴァー。貴官の参謀総長としての任を解く」


 決戦前での、参謀総長解任の宣言。周囲の幕僚たちはただ凍り付いたように固まったまま、自分の足元を凝視するしかない。


「御苦労だった。君は優秀で、この戦争にはまだ必要だ。追って沙汰するまで待つように」

「閣下―!」

「出て行け、裏切り者」


 "元"参謀総長はよろよろと立ち上がり、しばらくブロンヴィッツを見つめた。その目は真っ赤に潤み、全身が小刻みに震えている。


「―命令に従います。我が元首」


 やがて彼は挙手の礼を取った。ブロンヴィッツは応じることなく出口を示し、フーヴァーは踵を返して足早に会議室から去った。


「諸君。ウィレ軍に応じた以上、決戦を避ける選択はないと思え。これより私自らが決戦の指揮を取る」


 賢者は去り、ブロンヴィッツの周りには追従者だけが残った。彼らは異を唱えることなく、一斉に踵を合わせた。


「「ディア・フェリーザスト―国家元首万歳―!」」



 モルト軍最高司令部で変事が起きていた頃、シレン・ラシン率いる"白鷹"がウィレ湖畔の西岸を制圧した。彼らの攻撃は苛烈であり、進んだ場所そのものが猛火による道路を造り上げている。業火に立つグラスレーヴェンの白い装甲は、焼けつくような熱を帯びていた。


『全グラスレーヴェン搭乗員は見よ』


 ゲオルク・ラシンの剣たるラシン家の後継者はグラスレーヴェンの指を掲げ、炎の先を示した。夕暮れに染まる遠景に、摩天楼と高層建造物が屹立する都市が陽炎のように揺らいでいる。言い終える間に、グラスレーヴェン部隊は西岸……ノストハウザン郊外へと集結しつつある。その中に、キルギバート達もいた。


「あれが―」クロスが囁いた。

「ああ。ノストハウザンだ」キルギバートが頷く。


 彼らを迎えるように、空を突く摩天楼が門のように佇んでいる。遠方からでも大きな威圧感を持つそれは、まさにウィレ・ティルヴィアの富の象徴とも言えるものだ。


『ここを越える』


 その言葉に、グラスレーヴェンが雄たけびを上げるように剣を掲げた。ウィレ湖畔西岸に、剣の森が完成した。

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