第22話 決戦の時は来た

 危険が除かれたマールベルンにモルト軍が無血入城した。その日―。


 ウィレ・ティルヴィア公都シュトラウス。総軍最高司令部。


「―オルソン大将。ここまでです」


 ウィレ・ティルヴィア国防総省内、陸軍長官室に軍帽を被った女性将校が"儀仗兵"を連れて乱入した。部屋の主であるベルツ・オルソンは机を挟んだ幕僚達を前に、ガウストアーミィの全機投入の命を下す直前だった。凍り付いた長官室で、数秒、時間が流れた後、ベルツは全てを悟った。


「―アーレルスマイヤーの差し金か」


 ベルツはどさりと椅子に腰かけた。


「前線にいるはずではなかったのか……シェラーシカ少佐」

「あいにくと、公都も私の戦場ですから」


 平然と言い返すシェラーシカの背後には、陸海空軍の儀仗兵がいた。その手には小銃が握られている。なるほど、これだけの人数で突撃パレードされては、ベルツの誇る取り巻きにも止められない。


「私に総軍司令官の座を降りろと言いに来たのか」


 シェラーシカはゆっくりと頷いた。その右胸には参謀部ー司令官であっても無視できないーを示す金色の飾緒が煌めいていた。


「もっと早くに決断なさるべきでした。でなければ、ガウストアーミィの搭乗員、彼らは死なずに済んだのに」

「国家への叛乱だぞ。よもや、ウィレ・ティルヴィアに忠実なシェラーシカ家の人間のやることか」


 シェラーシカは僅かに、微苦笑した。否、微笑よりも苦笑の割合が強かったかもしれない。


「議長も、タカクラ委員長も、最高議会も承知の上です」


 ベルツの顔が青ざめた。己が絶対の自信を持っていたロビーの調略さえ、もはや何の意味も持たなかった。


「私はお前の父以上の軍人だ。この惑星の軍事を掌握している人間は私をおいて他におらぬのだぞ」

「だから試作品を己の一存で量産し、投入してもよいと? その生産に、己の息のかかった軍需重工を使い、公の物を私物とし、血税たる国家予算を勝手に割いて良いと?」


 シェラーシカはそこまで言うと、初めて将官に対する礼として軍帽を脱いで脇に挟んだ。覗いた瞳は怒りに満ちていた。


「何が不満だ。今回のマールベルン失陥でガウストの量産は潰え、貴様とアーレルスマイヤーの玩具ラインアットに、花を持たせたではないか」

「必要な犠牲? 花を持たせた……?」


 女性将校の声は静かだが、震えを帯びていた。


「マールベルンをご存じですね。モルト軍を迎え撃ったガウストの搭乗者たちはあなたを信じて死んでいったんですよ」

「一局地の兵士個人の信条など、知ったことではない」

「マールベルンだけじゃない!」


 シェラーシカは首を振って叫んだ。


「今日、ガウストが一斉投入されたために、こんな事が至る所で起きたんです。あなたが見栄を張るために戦場に放り込まれた四百名のパイロットは、彼らは、一人も生還できなかった!」

「シェラーシカ。何が言いたい?」


 ベルツの言葉には何の感慨もなかった。


「私に謝れと言うのか? 悔いろと? お門違いだ」


 ベルツは最早何の興味もないと、背もたれに重心を預けた。ただ椅子そこから動かない、という意志だけが感じられた。


「私には何の責任もない。彼らは、己の力不足により死んだのだ。自業自得だ」

「ベルツ……!!」


 シェラーシカは腰に、ベルツが机の引き出しにそれぞれ手を伸ばした、その瞬間だった。


「―そこまでだ」


 制止の声が、あと一瞬でも遅れていたら、長官室はどちらかの血に染まっていただろう。声の主、アーレルスマイヤー大将が"完全武装の陸軍兵と参謀部の将校"を連れて入室した。


「大した茶番だなアーレルスマイヤー。これで軍はお前のものか?」

「オルソン大将。あなたには最高司令官の椅子を降りていただく。しかし、元の北方州軍総司令官としての地位は保証する」


 シェラーシカは抗議の声をあげようとし、それを喉元で飲み込んだ。我々はベルツ・オルソンを"説得"しに来たのであって害そうとしていたのではない。もし怒りに駆られて銃を抜いていれば、その瞬間シェラーシカは反逆者となっていただろう。

 軍人である以上、[少佐]が[大将]に銃で歯向かうなど、あってはならない。そんなことをすれば、シェラーシカが盟主に仰ぐアーレルスマイヤー大将の顔に泥を塗ることになる。シェラーシカ家も、アーレルスマイヤー大将も、ともに軍に秩序をもたらす者であるべき以上、自分がそれを無視するわけにはいかない。


「軍はお前のものにはならんぞ」

「元より、自分のものにしようとなど思っていない。この戦争を早く終わらせる、それだけだ」


 アーレルスマイヤーの言葉に、ベルツは立ち上がった。そして、傲然と胸を反らし、ゆっくりとシェラーシカの横を通り、長官室を出ようとした。


「オルソン将軍」


 シェラーシカの声が飛んだ。


「ガウストアーミィの記録は、我々が救出サルベージします。絶対に」


 ベルツは一瞬だけ足を止めた。


「好きにするがいい」


 無駄なことに時間を費やす暇などない。そう言うとベルツは再び歩き出した。警護の兵が長官室を固めるために退出し、部屋にはアーレルスマイヤーとシェラーシカだけが残された。


 アーレルスマイヤーは、ベルツの座っていた最高級の皮張りの椅子に手を乗せ、しばらくそれを見つめていた。


「少佐」

「はい」

「よく、我慢したな」


 シェラーシカは顔を両手で覆い、膝を折った。


「君の過ちではない」


 泣き崩れるシェラーシカにアーレルスマイヤーは人払いを命じた。ウィレ軍の反攻を担いながら、優秀な兵士を数多、死地へ送ることを阻止できなかった。二度目の過ちは、シェラーシカに負いきれるものだろうか。

 「ごめんなさい」と、繰り返しながら咽び泣くシェラーシカに背を向け、アーレルスマイヤーは長官室から公都、さらに東の、存在するであろう戦場に目を凝らし、呟いた。


「過ちは、もはや不要だ。これで決める」


 かくして"新兵器"部隊投入失敗、マールベルン失陥によりウィレ・ティルヴィア総軍を束ねるベルツ・オルソン大将はついにアーレルスマイヤー大将に指揮権を委ねた。事ここに至り、議会は異もなくこれを承認し、一夜にしてアーレルスマイヤーの軍権は確立した。


 ウィレ・ティルヴィア総軍を束ねる最高司令官となったアーレルスマイヤーの最初の仕事は全部隊への訓示だった。


『覚えているだろう。

"ウィレは打ち負かされてはならない"。

我々はノストハウザンで全てを決する。以上だ』


 ウィレ・ティルヴィア軍がノストハウザンでの会戦を受けて立った、ということになる。この訓示は傍受され、速やかにモルト軍上層部へと報告された。


 報を受けたブロンヴィッツは叫んだ。


「軍神に感謝せよ。決戦の時は来た」


 同日、ハッバート高地に駐留していたモルト全軍の進撃が始まった。


 東大陸決戦の幕は、この瞬間に切って落とされた。

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