第20話 ブリキの兵隊-1-



 同日払暁。マールベルン南西部の渓谷地帯。

 明け方の一帯は、湖畔から流れてくる霧もあって、視界が悪い。


 渓谷とグレーデン師団に見なされた地帯は、元はウィレ湖畔へと通じる枯れ水路だった。気の遠くなるような年月、水にさらされていたこともあって砂岩には切れ込みが入り、そこに狭く深い溝が連なり合って、まるで樹木の枝のような模様をウィレ湖畔近くの大地に描いている。



「センサーに感ありとは、まさかと思ったが―」


 マーカス・ブルンナーは見張りに立てた隊員からのグラスレーヴェン接近の報告を聞き、すでに渓谷の出入り口に機を伏せさせていた。枯れ水路はまさにガウストアーミィを伏せさせるに絶好の場所だった。


「まさか1機とはな。斥候か、それとも舐めているのか」


 ブルンナーはグローブに覆われた両手を硬く握り込んだ。公都近衛大隊にみせた傲慢さに似合わず、彼は今、的確な判断でモルトの人型兵器を待ち伏せ、牙にかけようとしている。


「モルトの害虫どもめ……」


 ブルンナーもかつては戦車搭乗員であり、優れた指揮官だった。士官学校では次席の座に甘んじながらも将来を嘱望される軍人として開戦を迎えた。


 すべてが狂ったのはそれからだった。彼が絶対の自信を持っていた戦車戦闘教義も、戦術も、全てがグラスレーヴェンの前には通用しなかった。

 そして彼は生まれ故郷が陥落し、モルト軍の旗が翻るのを見届けることしかできなかった。手塩にかけて育てた隊員も、全て鋼鉄で造られた巨人の顎で食い殺された。


 泥を啜る一方で、己と何の経歴も変わらない、士官学校時代の首席であった同期はアーレルスマイヤー将軍に認められ、今や公都を守る部隊の指揮官の座に収まっている。


 彼は悔しかった。士官が誰しも憧れる首席の地位を奪われ、注目を奪われ、地位を奪われた。そういう気分になった。


 それでも今は違うのだ。ガウストアーミィはグラスレーヴェン3機を撃破している。これがあれば、侵略者をウィレから追い出すことができる。後に続く兵士のためにも一機でも多くのグラスレーヴェンを屠る。


―鋼鉄の巨人を屠る諸君らは、英雄として称えられる。公都凱旋の暁には歴史に名を刻まれるだろう。


 自分たちを送り出した司令官は、ブルンナーたちをそう叱咤激励した。そうでなくてはならない。敗北によって地に塗れた矜持を、誇りを、ここで取り戻す。部下の仇を討ち、反攻への狼煙にするのだ。


 そして、ウィレを救った者として他者に認めてもらう。生まれが裕福だから。公都の出だからと恵まれた者が威張る時代は終わるのだ。


「皆、聴いてくれ。ガウストの戦闘記録はすべて、公都に送られる。俺たちの戦果によってウィレのグラスレーヴェンに対抗するための技術は革新される」


 ガウストの弾薬補充は終わっている。望遠はグラスレーヴェンを捉えている。ブルンナーは一呼吸置き、操縦桿を握り込んだ。


「打って出る!」


 隊員たちの短い呼応のあと、ブルンナー機は渓谷の入口から躍り出た。その背後で砲声が轟く。僚機の援護射撃を受けて、ブルンナーは吼えた。


「ここから出て行け、侵略者!!」


 グラスレーヴェンがこちらに気付いて、持っている銃火器を向ける。


「遅い!」


 腕の速射砲を向ける。一発。目の前の砂岩層の地面が砕けて砂煙が舞った。


「こいつの火力、味わったはずだ!」


 二発、三発。艦艇の速射砲を応用した装填機構は次々に砲弾を砲身へと送り込む。連射の間に、後続の機―前衛を担う者達―が3機。火力は倍加する。


「粉々にしてやる!」


 六発、九発、十二発……二十発を放ち終えた所で砲身が過熱し始める。


「これでは、記録を取る間もないか!!」


 爆散を待たず、グラスレーヴェンは粉々だろう。


「撃ち方止―」

『隊長、真上!!』


 ブルンナーは反射的に後ろへと飛びのきながら、カメラアイを上へと向けた。白刃を掲げたグラスレーヴェンがまっすぐに、こちらに向けて降下している。


「2機いたのかッ!?」


 三連装速射砲を、再び斉射する。だが、グラスレーヴェンは空中で跳ねるように砲弾を回避すると、ちょうどブルンナー機と僚機二機に囲まれる位置に着地した。


『う、撃―!?』


 グラスレーヴェンが、返す刃でブルンナーの右前方にいた僚友の機体を、また下から首元まで斬り上げた。


 搭乗員の短い断末魔を残して機体は縦に割られ、倒れると炎上し始める。


 まるで"思ったよりも柔らかいものを斬った"と言いたげに、白刃を見つめるグラスレーヴェン。


『隙を見せた、なぁ―ッ!?』


 その機を後ろから撃とうとして、左の僚機が腕部の砲身を向ける。


 その僚機の背後の砂煙から、もう一機のグラスレーヴェンが逆手に持った白刃を大きく振りかざしながら飛び出した。


『な、さっきの―!?』


 振り下ろされた白刃は、抵抗なく、さっくりとガウストの首筋に突き立ち、そのコクピットハッチをこじ開けるように胴体を縦に開いた。


「ガニー、プライブ!?」


 ここまで、数瞬。立て続けに2機を失い、ブルンナーは自失し、そして怒りによってすぐ立ち直った。


「よくも……ッ!」


 2機のグラスレーヴェンは、ヴェルティアを提げたまま、ゆっくりとこちらを振り向いた。


「殺してやる!」


 殺される、とは思わなかった。思えなかった。


「援護射撃、後続班はすぐに渓谷を……」

『た、大尉、後ろから―!』


 指示を出し終える前に切迫した声が、通信に飛び込んだ。


「どうした!?」

『後ろから水が……! うわぁぁぁっ!』



 その声が届くや、渓谷の入口から何か巨大な"うねり"が吹き上がった。


「水……!!」


 一瞬、それは透明な水流のように見えた。だが、やがて黒と茶が混じった土石流のようになり、ブルンナー機を掠めるように渓谷の出入り口となる部分から溢れ出し、付近の地面を舐め始める。


 ブルンナー機と、2機のグラスレーヴェンは渓谷の高台へと跳躍して逃れた。


「お前らッ!」


 ブルンナーは吼えた。連中はウィレ湖畔の堤を切り、この渓谷に水を流し込んだのだ。その悪寒を決定づけるように、目の前で渓谷に潜んでいたガウストが流されていく。助けを求めるように水から頭部と手を伸ばしたそれは、すぐにごろごろと転がりながら濁った濁流の中へと姿を消していく。


「やりやがったなぁ!」


 2機のグラスレーヴェンが、一斉にこちらへと突進する。速射砲を構える。


「ッ!?」


 だが、その左腕が切り飛んだ。抜き打ちの一撃、放ったグラスレーヴェンの肩にはモルトの文字で"第二"とあった。


「―、く、そ……ッ!」


 その後ろから、"第一"と肩に書かれたグラスレーヴェンが迫る。


「やられて、たまるかぁっ!」


 折りたたんでいた右腕を、伸ばした。そのひじに付けられた巨大な鉄杭が、轟音を立てて射出される。


「―、あ」


 グラスレーヴェンはそれを、払うようにして切り捨てた。右腕が落ちる。


 そして、目の前に第一と書かれたグラスレーヴェンが、目一杯に迫っていた。


 ノイズ、そして混線。


『"部下の仇"ッ!』モルト語の咆哮。そして文字通り、体がバラバラになるのではないかと思える衝撃が走った。


 機体の上半身と下半身が真っ二つに切り割かれ、ブルンナーの目の前の計器が真っ赤に染まり、スパークと炎がコクピットに押し寄せ始める。


「く……ッ!!」


 ブルンナーは脱出しようとコンソールを操作し始める。だが、その手指で、何度画面を触っても、脱出システムが作動しない。


「なんで、電気回路は生きて―!?」


 そのコンソールが、やがて青画面に変わる。


「え……?」


 画面には"機密保持 全記録消去"の文字が、不必要なほどに大きく映し出されている。


「う、うそだ、うそだろ……!」


 単純なメッセージの意図、そのたった一つの意味は、誰にでもわかるものだ。


 何もなかったことにされる。ブルンナーは頭を抱えておののいた。


「こんな終わり方ってあるかッ!?」


 絶叫する。青画面には戦闘記録だけでなく、"搭乗員記録抹消"の文字が下に連なっている。


「俺は、こいつらと戦った。そして勝ったんだ! なのになんで、なかったことにされるんだ! おい、本部、聞いてんのかぁ!!」


 今までの戦いの意味さえ、もはやブルンナーにはわかりかねていた。そして、そのコクピットに蛇の舌のような炎が迫っていた。


「部下の仇だと!」


 そして画面は消失した。脱出システムは作動しなかった。機体の振動はすでに極限まで達している。


「俺の部下を殺しておいて、お前らがそれを言えるのか!」


 目の前の仇……グラスレーヴェンを映し出す画面も消え、ブルンナー機の電気系統は死んだ。


「チクショウ、俺はまだ戦えるんだアッ」


 そしてスパークがブルンナーのジャケットを切り刻んだ。


「俺たちは実験体だったのか? 違うよな、そう言ってくれ、誰か!」


 ブルンナーは絶叫した。顔面を鷲掴みにするように抱え、身悶えする彼に死が迫る。


「誰か!」


 最後の最後になって、通信機が息を吹き返す。ノイズにつぶれた音声の向こうで、叫び声が聞こえた。


『ブルンナー!』


 通信機から、ほんの数時間前まで自分が憎悪してやまなかった青年の声が聞こえた。


「アクスマン―」


 感じたのは驚愕、そして安堵。

 あれほど憎み抜いた相手が傍にいると言うのに、自分が救われた気分になっていることに、彼は気づいた。


「お前は―」


 炎がコクピットに噴き上がった。それが彼を包み込み、焼き尽くして一切を灰に変える寸前、ブルンナーの断末魔が渓谷に響いた。


「アァ―ッ!!」


 爆発。次いで大爆発。機体の四肢が吹き飛び、その場に爆炎と黒煙が吹き上がった。



☆☆☆


『終わったな』

「……」


 キルギバートは、爆発の炎を背にしてヴェルティアを静かに納めた。


「大佐、奴らは」

『ああ。想像していたより、弱い。奇襲はこたえたが、グラスレーヴェンと殴り合うだけの性能には達していない』

「マティウスは騙し討ちでやられたようなもの、か」


 キルギバートは歯噛みし、炎上するウィレ製のグラスレーヴェンを睨みつけた。


『よくもグラスレーヴェンの形を借りたな』


 キルギバートの視界の先、流れの緩やかになった泥流から、生き残った何機かの"偽物"が這いあがろうとしている。


『キルギバート、クロスに感謝だな。水攻めとは俺たちには思い浮かばなかった』

「ええ。……敵兵に告ぐ。聴こえるか」


 キルギバート機が再び白刃に手をかけた。抜きながら、キルギバートは這いあがってくる敵機へと距離を詰めた。


「戦いは終わった。降伏しろ」


 岸壁へと這い上がる敵、見下ろすグラスレーヴェン。誰が敗者で、誰が勝者か。居場所の違いが結末を明確に物語る。


 偽物が、こちらを見上げている。そして左腕を掲げて、砲身を向けた。


 キルギバートの顔が、憤怒に歪んだ。


「偽物め……!」


 刃を振り上げる。その時、コクピットに警報が鳴り響いた。


 次いで衝撃が機体を襲う。着弾の衝撃と気付き、キルギバートは機外を睨んだ。


「な、にっー!」

『キルギバート、敵増援、機甲部隊だ!』


 キルギバートは牙を剥いた。

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