第19話 ツチグモ


『くそッ、遅かった!』ブラッドが毒づいた。

『まだ追いつけます、追いましょう!』カウスの叫びに、キルギバートはそれを上回る剣幕で返した。

「深追いするな! 敵が何かわからない以上、追撃は危険だ。一機戦を救援する」


 クロスとブラッドらに周辺警戒を命じ、キルギバートは野営地があった場所に機体を乗り入れると、コクピットから降りた。遅れて、追撃を試みていた一機戦の機体が戻ってくる。そのうちの1機のコクピットから降りてくるパイロットへと、キルギバートは駆け寄った。


「デューク大佐!」

「大尉、来たか」

「お怪我はありませんか?」

「間一髪、というやつだ。こっちは3機、マティウスが殺られた」


 キルギバートは敵機が去った方角を見つめて歯噛みした。被害は甚大だ。グラスレーヴェン3機が大破し、経験のあるパイロットがその数だけ死傷したとなれば、師団の突破力は弱まってしまう。


「……間違いない。あれがウィレの新兵器だ。今の調子で奇襲を続けられたら、まずいことになる」

「わかっています。次は逃がさない」


 遅れて、グレーデンら師団司令部の要員が軍用車で乗り付けてきた。火勢はだいぶ弱まり、あたりは破壊の臭気さえ無視すれば落ち着いたといえる。


「大佐、やられたな」

「申し訳ありません。してやられました」

「―見たか」


 グレーデンの問いに、デュークは頷いた。


「間違いありません。あれはウィレのグラスレーヴェンです」

「ついに出てきたな」


 グレーデンも敵機が去った方角を見つめた。しかし、やがて気を取り直したようにデューク、次いでキルギバートへと目を向けた。


「臨時だが、ここで作戦会議だ。朝を待って追撃する。連中を放っておくわけにはいかん」

「追撃ですか」キルギバートの問いに、今度はグレーデンは頷いた。

「当然だ。連中は戦闘の度にデータを持ち帰るだろう。時間が経つほど奴らはグラスレーヴェンに対する戦術を学ぶ。それは防がなければならん」


 軍用車に居残っていたケッヘルが、グレーデンに駆け寄る。


「どうだケッヘル」

「急行した偵察機プフェナに座乗中のリッツェから、報告が入りました。連中は一瞬だけ森から出てきています。その時に確認された正体不明の兵器は8機とのことです」

「たったそれだけに、ここまで引っ掻きまわされたか」デュークは周囲を見回し、それから手袋を地面に叩き付けた。


 グレーデンは腕を組んだ。そして星空を見上げる。


「先ほどの戦闘は短時間の小競り合いに過ぎん。連中はまだデータを欲しがっているはずだ。そう遠くまで後退はしないだろう」


 グレーデンはケッヘルに、周辺の地形データを出すように命じる。本来であれば作戦会議室の暗闇に映し出す立体映像が、今は夏の夜空に浮かび上がった。


「このマールベルンを抜ければウィレ湖畔。そこを抜ければノストハウザンだ」


 連中がいるとすれば、と前置きしてグレーデンはマールベルン南西にある峡谷を指差した。


「……ここだな。衛星からの索敵でも入り組んだ地形なら発見は難しい。ここで、渓谷を通るグラスレーヴェンを待ち伏せする」

「なんだかツチグモみたいですね」いつの間にやら駆け付けたクロスが脇から声を出した。

「下がれラジスタ。これは指揮官以上の作戦会議だぞ」


 やはりケッヘルがそれをとがめた。クロスが肩を竦めて距離を取ろうとした、その時だった。


「待て。ツチグモ、と言ったな」

「え? はい、閣下」

「ツチグモの生態、ウィレ好きのお前なら詳しいだろう。話してやれ」


 問われたクロスは戸惑いながらも、いつもと変わらない様子でその知識を披露し始めた。


「ツチグモは壁に小さな筒状の巣をつくったり、狭い地面のひびとか、とにかく狭い所をねぐらにする節足動物の蜘蛛です。それで、ねぐらの入口に小さな昆虫なんかの得物がやってくると飛びかかって引きずり込み、食べてしまいます。好物はアリですが、天敵もアリです」

「……なぜだ?」キルギバートが首を傾げた。

「少数のアリなら襲い掛かって捕食するんですが、隊列を作って移動するアリの群れはやり過ごすんです。自分が襲い掛かられて殺されたり、ねぐらを占領されちゃいますから」


 なるほど、とキルギバートはただ感心するばかりだったが、グレーデンはその言葉を訊くなりケッヘルに何かを耳打ちしていた。やがて、クロスの説明が終わるころを見て、灰色髪の師団司令官は地図を指し示した。


「キルギバート大尉。デューク大佐。任務を言い渡す」

「―わかっています、中将」


 デュークは既に意図を察していた様子で頷いた。


「我々にツチグモの餌になれ、というのでしょう?」

「―!」キルギバートはデュークの言葉に、わずかに目を見開いた。

「師団において、練度の高い搭乗員は、搭乗、戦闘の経験にしても隊長である私とキルギバートの二人です」


 そのとおりだ、とグレーデンは肯じた。


「少数という点で囮になるならば、これほどうってつけの餌はない」

「待ってください閣下、それはあまりに危険すぎます!」


 クロスの抗議に対して、グレーデンの反応はどこまで静かで澄み切ったものだった。


「そう、これは博打だ。結果次第では指揮官二人を失う」


 グレーデンが振り向いた。視線は隊員たちを飛び越えて、後ろにあるグラスレーヴェンの残骸を見つめている。


「その危険も承知で、奴らをなんとしても誘き寄せる必要がある。こんな光景は二度と見たくない」


 デュークの意志は既に決している。

 大尉はどうするのだ、とグレーデンはキルギバートの青い目を見た。

 キルギバートは肚を括った。静かに頷き、踵を合わせた。


「お受けします。閣下」


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