第13話 狂った男


「戦線の縮小は進んでいるか」


 グローフス・ブロンヴィッツは西大陸と東大陸を隔てる大洋上にある。彼は今、ウォーレに据えた最高司令部へと移動する最中だった。彼が到着すれば、モルト・アースヴィッツの国家元首が初めて、西大陸に足を踏み入れることになる。


 ブロンヴィッツは執務室に定めた部屋で、分厚い革張りの椅子に足を組んで座り、報告を聞いていた。


「万事滞りなく」


 ブロンヴィッツと対面しているのはアルベルト・シュレーダー親衛隊、軍政長官だった。彼の薄いつくりの顔には静かな憤懣が滲んでいる。


「……と申し上げたいですが、国軍の忠誠心は疑わしいものがあります。国家元首閣下」

「わかっている。散々に嫌がられたようだな」

「元首閣下の御言葉が無ければ、ラシン家も、それに同調する各将官も私の命令には従わなかったでしょう」シュレーダーは拳を震わせた。


 ブロンヴィッツは椅子の背もたれに重心を預け、沈思するように目を閉じた。その様子を認めつつ、細身で長身の護衛官(ボディガード)の長はさらに言葉を継ぐ。


「戦局が落ち着き次第、国軍の粛清を成すべきです。彼らは閣下の目が届かぬ場所で、好き勝手に振る舞うことを覚えつつあります。このままではいずれ閣下に害を―」

「 シ ュ レ ー ダ ー よ 」


 ブロンヴィッツは目を閉じたまま、まるで遠雷のような低い声を漏らした。彼の古くからの"臣下"は硬直し、すぐに踵を合わせた。


「我が忠臣よ。懸念は理解しよう。しかしあの者達もまた、我が国家の柱石。我らはそれを軽んじることを、為してはならん。無論、口に出すこともな」

「おおせのままに我が元首……!」


 シュレーダーは声を震わせながら頭を下げた。その彼に退出を促し、ブロンヴィッツは再び、ひとりとなった。


「御苦労が絶えませぬなぁ。我が主よ」

「相変わらず、気配が読めぬな、バデ―」


 バデと呼ばれた男は、薄暗い部屋の中で、明らかに闇をまとっていた。彼はドアの影に潜み、ただシュレーダーの憤懣を背景音楽に楽しんでいたのだった。


「バデ・シャルメッシ伯」

「軍人たちは何も理解していない。貴方がこれから如何な偉業を成し遂げようとしているのか。そしてシュレーダーさえも」


 陰から執務室の調光の下へと姿を現した男に、初めて色がついた。髪は黒と灰のまだらで、体はまるで骸骨のように細い。そして来ている服はモルト軍元帥もかくやというほどの豪奢さで、まるで古代貴族のようだった。


 バデ・シャルメッシ。モルト・アースヴィッツ唯一の"芸術伯爵"にして、ブロンヴィッツに見出されて今日の国家の形を作り上げた官僚。


「我が友よ」


 そして、モルト国家元首となった男の唯一の旧友だった。

 ブロンヴィッツはそこで椅子から身を起こし、指を鳴らした。それまで一執務室だった暗い部屋の壁が割れ、分厚い複合炭素硝子カーボングラスで仕切られた大窓が現れた。足元には雲海、周囲は青い空が広がっている。執務室は展望台へと姿を変えた。


 彼が居所を移るのではなく、彼の定めた所が、その形を変えねばならない。


 その概念を作り上げた男が、ブロンヴィッツと共にある。


「シャルメッシ伯。今の私を見て、どう思う」


 国家元首となった男は、旧友を振り返ることなく、後ろ手を組んで空に思いをはせている。


「思ったままを述べても?」

「許す。それができるのはお前だけだ」


 バデは両手をおもむろに広げて見せた。


「素晴らしい姿……。指導者の姿です。空を絨毯に佇むその姿こそが、ウィレに新たな秩序をもたらす者のあるべき姿なのです」


 ここに第三者がいたとして、この"臣下"の言葉を"賛美"、と断じていいのかは判断に迷うだろう。バデの話し方はどこまでも静かで、けして抑揚に富んではいない。


「20年前、名もなき芸術家であった私を見出し、今日のモルト・アースヴィッツの創造を一任くださった。そして今日、貴方はウィレを征服し、宇宙に真の平等をもたらす者としてここに在る。……グローフス・ブロンヴィッツよ。貴方は常に正しいのです。これまでも、これからも」

「バデ、いやシャルメッシ伯。このウィレを、眼下にある世界をどう見る」


 おお、とバデは嘆きを漏らした。


「全てが偽り! 平等はなく、我らを虐げることを是とした世界。その色はあくまでも仮初め、その景色はすべて偽り。そこに真の美―、正しさなどありますまい。そうした正しさがもたらされるとすれば―」


 バデは静かに、まるで歩くことなく立ったまま床を滑るように、ブロンヴィッツの耳に口を寄せた。


「貴方が、それをもたらすのです」

「私にできるか」

「何を恐れるのです? 貴方は既に為している。貴方はこの星の半分を、あるべき姿へ塗り替えた」

「世界は元よりそうあるべきだった」


 ブロンヴィッツは静かに頷いた。


「仮に、世界がそれを拒むのであれば―」バデの口角が徐々に吊り上がり始めた。「破壊の中に創造を見出すしか、取るべき道はないのです。ブロンヴィッツ、我が指導者」


 そう言うとバデはまた先ほどまでの場所に身を置き、正しいと、ブロンヴィッツが判断するであろうだけの距離を取った。


「……バデよ。お前にしか、私の心はわからぬ」

「私という存在が、元首の心によって導かれたのです。察するに何の不足がありましょう」

「モルトランツの"創造"は変わらず、伯に一任する」


 ブロンヴィッツにバデは膝を屈し、まさに王が臣下に対する礼を取った。全ての者が挙手の礼を取る中、この礼を取るのはバデしかいない。そして、それこそがブロンヴィッツの欲するものだった。


 退出を促した王に恭しく一礼すると、バデは退室して通路へと足を踏み出した。途中に親衛隊士官と出くわしたが、彼らは全て、バデを恐れるように道を譲り、踵を合わせた。ブロンヴィッツにとって、数少ない"友"であり"臣"の男を、元首に近い護衛者たちですら恐れた。


 そんな彼らを笑顔のまま静かに、横切り、あてがわれた部屋へと戻る。

 後ろ手に鍵を閉め、そしてたっぷりと謁見の余韻に浸った。そして、灯りを付けた。


「ふ、―」


 部屋には、ブロンヴィッツの肖像、胸像、首都アースヴィッツの模型、モルトそのものの模型、官邸の図形が壁や机上にびっしりと並べられていた。


「ふはは、あははははは」


 全てを制作したのが、バデだ。そして国家元首の姿を作ったのも彼だ。ブロンヴィッツが作り上げたもの全てが、バデの芸術品だ。政府も、軍も、国民も、支配の及ぶところ、塵芥に至るまで全てがバデにとっては自分のものだ。


「あはははは、アハハハハハハハ!! 素晴らしい! さすがは我が友!」


 狂ったようにバデは笑う。いや、ブロンヴィッツの崇拝者は、すでに久しく壊れていた。


「貴方は私の思うところを正しく見抜かれた! そうとも! あなたをそうしたのがこの私だから! ハハ、アハハハハ!」


 先ほどまでの静けさはなく、ただ口から内臓をぶちまけんほどの勢いで、バデは歓喜に笑う。


「貴方は私の意図を完璧に理解した! そう、最初からこの世界は間違っている! だから作り変える。それを母なるウィレが拒むならば―」


 くく、きき、とバデは笑う。その姿はまさに、幽鬼か亡霊、さらに形容すれば"悪霊"のようだった。


「そうとも、ブロンヴィッツ! 貴方は惑星にある全てを滅するより他ない! 無地の絵紙にこそ、新たな世界は描かれるに値する!」


 げたげたとバデは笑う。


「何故ならあなたは創造者たる者の……いや、創造そのもののカミなのだから!」


 両手を広げ、何かを讃えるようにバデは笑い続ける。


「穢れた画板―ノストハウザン―の上で、創造はかいは頂点を迎える。そしてあなたは宇宙において最も輝ける芸術作品となる! アハハハハハハハハ!」


 バデは後ろに尻もちをついた。それでも止まらない。奇怪な笑い声はこの日が終わりを迎えるまで止むことはなかった。

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