第12話 気でも狂ったのか!

「ノストハウザンを前に転進せよだと、正気なのか?」


 ウィレ軍から鹵獲した通信機の受話器を手に、グレーデンの疑問はほとんど叫ぶようだった。轟音、着弾、爆発、破壊。この輪廻サイクルが起きるたび、白く冷たい塊が土と共に空から降り注ぐ。


 ヨハネス・クラウス・グレーデン中将はゲオルク・ラシン元帥の麾下として師団を率い、既に降下地点ウォーレから1000カンメル、250里あまりも進撃していた。降り注ぐ土交じりの雪を、帽子を押さえてやり過ごす。毛皮のコートは敵弾と破片により穴だらけだった。


「何故だ! 我々は勝っている。ダラズ雪山の掃討は明日にも終わるんだ!」


 グレーデンの背後では地響きと、吹雪―否、跳躍から着地を終えた2機のグラスレーヴェンによるものだった―が周囲に轟音を響かせていた。


「……なに、元首閣下の命令だと? なおさらだ。これはいかなる存念あっての命令なのか!」


 異変を察し、グラスレーヴェンのコクピットから地面に降り立ったデューク大佐とキルギバート大尉は、パイロットスーツの上から毛皮の外套を羽織っている。技術の粋を集めたスーツでも、この酷寒を防ぐにはあまりに薄く、脆すぎた。


 二人は凍えながら、未だに見たことのない師団司令官の剣幕に顔を見合わせるばかりだった。


「シュトラウスは目の前だぞ! わからんのか馬鹿者が! それでよく我ら国軍の目付が務まるものだな!」

「……電話の相手は誰なのですか」キルギバートが小声でささやいた。

「シュレーダー親衛隊長官、占領地軍政長官だ。中将、ラシン元帥と仲が悪い」デュークが呻くようにいった。彼も寒さに耐えられない様子だった。


 周囲の轟音もあるだろうが、グレーデンの剣幕は相当のものだった。収まるどころか、時間が経つにつれて、それは轟音をやり過ごすための大声から怒声へと変わっていく。


「せめて後続の補給が間に合うまでは転進は……なに、元首閣下にお伝えできない? もう良い! 貴様では話にならん」


 吹雪いてきた。キルギバートとデュークはほとんど雪達磨と化している。


「元首閣下には私とラシン元帥より伝える。貴様ら政治屋は臆病者と追従者の能無しばかりだ! シャルメッシの絵描きと一緒に笛でも吹いてろ臆病者!」


 通信を切ると、グレーデンは左右を見回すように首を振ったが、やがて苛立たしさが頂点に達したようで帽子をむしり取って足元に叩き付けた。通信が終わった頃合いを見計らったかのように、書類かばんを脇に抱えた師団司令官付き参謀のケッヘル少佐が雪のベールの中から現れる。普段の物静かさもあるが、雪のせいで幽霊のような佇まいだった。


「一体どうなっている。東大陸に来てから何もかもがおかしくなっている」


 グレーデンは雪を蹴り上げて怒鳴った。


「元首は気でも狂ったのか!」

「中将閣下! それは不敬です」キルギバートは反射的に口を開いていた。「この決定は不合理でしょうが、それが元首閣下の御判断とは限りません」

「キルギバート大尉。口を慎め。師団司令官に対して上申できるのは佐官以上だ。貴官ではない」


 ケッヘルの叱責にキルギバートは眦を釣り上げた。


「少佐こそ不敬でしょう。元首閣下が失敗などありえない。現に、ここまで我々は勝ってきたじゃないか!」

「―なるほど」グレーデンは頷いた。しかしそれは肯定を示すものとは、やや声音が違っている。


 キルギバートは胸を張って踵を合わせた。


「大尉。貴官にとって元首閣下は全能の神のように見えるのだな。羨ましい」


 グレーデンの言葉は吹雪よりも冷たかった、キルギバートの姿勢はそのまま、棒を飲み込んだかのように硬直した。


「……閣下、若気の至りです」デュークが横から助け舟を出そうとしたが、グレーデンは彼と視線を合わせなかった。

「そんな妄言を許せば、大尉に預からせている隊員はいずれ全員死ぬことになる。そのような人間に指揮官は務まらん」


 キルギバートの顔は寒さで蒼白だったが、その顔が血色を帯びては青ざめていく。


「大尉。今の発言は貴官の主観であり思い込みだ。そのような薄弱な根拠を元に戦局を判断することを恥と思えぬなら、私は貴官への認識を改めねばならん」

「中将。私は―」

「今の貴官の言葉が本気なら、貴官に率いられる隊員が哀れだ。そのようではシュトラウスに入る前に全て死ぬぞ」


 グレーデンは踵を返した。


「私も迂闊にして不敬だった。しかし大尉。軍法は軍法だ。それに照らし君を罰する。戦闘終了後に、此度の発言に対する弁明書を提出せよ」

「閣下!」デュークは司令官の背中に声を投げた。悲痛と哀切の色を帯びていた。

「デューク大佐。貴官は大尉の弁明書の作成に立ち会うように」


 そのまま、司令官は穴だらけのコートをなびかせて、粗末な造りの幕舎へと戻っていく。


「―キルギバート」


 デュークは振り向いた。銀髪碧眼の青年はほとんど蒼白になっていた。唇は蝋のように青白い。ただ、司令官に叱責されたと言うだけでなく、"生まれて初めての体験をした"というように呆然としていた。


「俺たちは軍人だ。確かにアレはやり過ぎだ」

「大佐、俺は」

「言うな。しゃんとしろキルギバート。まだ、戦闘は終わってない」

「わかっています。……でも大佐。俺には、どうしても思えないんです。元首閣下が過ちを犯すなど」


 だが、それならばどう説明すればいいのかがわからない、とキルギバートは額を押さえた。東大陸に来て、何かがおかしくなっている。


「俺は、俺はあの子たちに約束したのに―」


 デュークはただ吹雪に閉ざされた戦場を見渡した。司令部の命令が覆る可能性は皆無だ。この戦闘が終われば、勝ち取った戦線を放棄しなければならない。何のためにここまで犠牲を払いながら進んできたのか。デュークはキルギバートを伴って愛機へと足を踏み出した。その足取りは重たい。


 撃ち出した弾と同じだ。払った犠牲は戻ってこない。


「おいカウス、怪我してるやつを見つけたらすぐ助けてやれよ」

「はい、わかってます。早く見つけてあげないと。ここでは―」


 ほどなく戦闘が終了した後。今やキルギバート隊の最古参となったブラッドは再降下前に入隊した新兵ひとりを連れ、戦闘糧食をかじりながら戦場だった雪原を歩き回っていた。


「はがっ!?」

「どうしました?」

「糧食がカチンコチンだ。俺は決めたぞ! 寒いのは嫌いだ」

「好き嫌いって、決めるものですっけ?」


 しょうがないだろとブラッドは吐き捨て、凍った糧食をポケットへとしまい込んだ。


「こんな寒いとこがあるなんて、知りもしなかったんだからよ」

「クロス准尉も最初は喜んでたけど、今じゃ外に出たがらないですもんね」


 ブラッドは含み笑いした。雪原に至った初日、クロスのはしゃぎようはすごいもので、夏の高山に降る雪の神秘性について延々と語り上官であるキルギバートを呆れさせるほどだった。だが、10日も経つと外に出たがらなくなり、しまいには―。


「うう、寒い……。なんで春なのにこんなに雪があるんだ。帰りたい……」

「お、いたのかクロス」

「西大陸に帰りたい……あっちの方がずっと過ごしやすかった。帰りたい……」

「……重症ですね」カウスが微苦笑まじりに呟いた。こいつも随分と隊に馴染んでくれたなと、ブラッドは少しだけ安堵した様子で息をついた。


 それにしても、とブラッドは前置きした。


「にしても、どうしちまったかね。これは」

「この気候はどうしたもなにも―」

「ばーか、クロス。違ぇよ。うちの隊長さ」


 皆が一様に静まり返った。カウスのみが、言葉の意味が分からずにきょとんとしている。


「どういうことですか?」


 クロスが震えながらも答えた。


「ウィレに来てから、ずいぶん変わったなって」

「そうなんですか? 僕にはずっと厳しいけど、軍人らしい人だなとばっかり」

「真面目なんですよ。ただ、こうなんていうか―」

「暗くなっちまった。すげぇ重いものを背負ったっていうか。自分で背負い込んじまったっていうか」


 カウスにはその意味がわからない。だが、何となく察することだけはできた。


「……西大陸で、何かあったんですか?」

「色々な。でも、あそこまで背負い込む必要なんてないっていうか、そういうものじゃなかったんだけどな」

「あの人にとっては意味が変わってくるんですよ、ブラッドさん。私たちにはわからない責任とかがあるじゃないですか。大尉には」

「そんなもんかねぇ」


 一瞬の沈黙を見計らったかのように、通信を知らせる電子音が鳴り響いた。


『お前ら、開放回線でなに喋っているんだ』キルギバートの声だった。

「え、あっ、すす、すみません隊長!」カウスは今までの会話が全て、本人に筒抜けだったと知って慌てている。

「げ、聴いてた?」ブラッドもばつが悪そうだったが、それほど動揺しているようには、カウスには聞こえなかった。

『今度余計な事を言ったらヘルメットを胴体に溶接するぞ』


 遅れて通信画面が開かれた。目の前のモニターの中に額を手で押さえた隊長の顔が現れる。どうも、少し前までと様子が違い、目の前の隊長の顔は蒼白だった。


『―リンディ上等兵』

「は、はい」

『今のは忘れろ。こいつらの"おふざけ"だ』

「え。あ、はい、わかりました!」


 キルギバートは頷くと、伝達事項を述べ始める。どこか口調は機械的で抑制され、何か爆発しそうなものを押さえようとしているのが、カウスにさえわかった。


『俺たちは撤退する。軍司令部の命令で、師団はハッバート高地へ進軍することになった』


 皆、静まり返っている。


「冗談でしょう? すぐ目の前にシュトラウス、ノストハウザンがあるのに回り道ですか」ブラッドの声が硬い。

『本当だ。日が改まると同時に撤退を開始する。ウィレ軍に気取られないように、夜に紛れてだ』

「……我々は勝ったんでしょう。大尉。なのにどうして?」


 クロスの声は低く、そして明らかな怒りが混じっていた。


「このウィレを、ただ前へ進むだけのために踏み荒らして、進んできたんですよ。それを今更って! ブロンヴィッツ閣下は頭がおかしく―」

『言うなッ!!』キルギバートは上を向いて絶叫していた。


 通信は、開放されたままだった。しかし誰もそれを咎めることはなかった。


 モルト軍部隊はこの夜、何もわからず、理解もできないまま、あれほど粘って居座り続けた雪山から去った。

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