第11話 ラシン家の三兄弟

 大陸歴2718年4月8日。午前5時。

 ウィレ・ティルヴィア東大陸、公都シュトラウスより800カンメル。

 ハッバート高原。東の地から公都シュトラウスに至る平原を最初に見下ろすことができる、三つの丘陵から成る高原地帯である。


「"大帝シュトラウスの芝生"とは、よく言ったものだ」


 モルト機動軍第一軍総司令官ゲオルク・ラシン。この地を突破すべくモルト軍部隊の総指揮を執る司令官は、周囲を見回しながら呟いた。その襟元には軍人として最上位たる元帥を示す"二本立て元帥杖と両刃剣"の階級章が輝いている。


 元帥服の大外套をなびかせ、第二高地の頂上から周囲を睥睨する姿は、まるで高木に止まった大鷹を思わせる威厳があった。

 稜線を横切るように歩く。不意に敵弾が足元で跳ねた。


「元帥閣下! 危険です、お下がりください!」

「狼狽えるな。流れ弾だ」麾下の幕僚が後ろから丘を登って追いついて来る。それに振り向くこともせず、平然とゲオルクは歩いていく。その足元で、灰が舞った。


 石灰岩と緑地に恵まれ、かつては酪農と避暑で繁栄を見た名勝の地は、4月に入ってからモルト軍機動部隊とウィレ・ティルヴィア軍の一進一退の攻防が続き、燎原と化している。


「……まるで"火山"だな」


 ゲオルクは懐から双眼鏡を取り出した。


 モルト軍は4月1日の降下と攻撃開始後に、ハッバート高原の第三、第二高地を手に入れた。残るは西端で最も標高のある第一高地。これを落とすため攻勢を続けていたが、一週間が経過してなおも陥落させられない。戦況は膠着状態に陥るかに思われた。

 しかし、熟達した指揮と、モルト軍屈指の戦略・戦術眼を持つ元帥である彼は、一週間に渡って無為無策に攻め続けたわけではない。彼は援軍を待っていた。


 この日の朝、その時は来た。


「―来たか」


 風が巻き、轟音が轟いた。

 元帥の頭上を白い飛行型グラスレーヴェン-ジャンツェン-が飛び過ぎて行く。


「元帥閣下」


 背後から声がかかり、ゲオルクは振り向くことなく頷いた。

 声の主……ゲオルクに劣らぬ長躯をパイロットスーツで固めた兵士が立っていた。その服、ヘルメットに至るまでが銀の装甲に覆われ、太古から顕現した騎士のような佇まいだ。


「シレンか」


 背後の男がヘルメットを取った。


「シレン・ヴァンデ・ラシン少佐及び第一軍機動大隊。本戦域に到着しました」


 後ろに撫で付けて整えた黒髪は首を伸ばした猛禽のようで、精悍な顔には苛烈とも言える眼光を讃えた黒眼が輝いている。


 シレン・ヴァンデ・ラシン。。モルト人は彼を"モルト最強の戦士"と呼ぶ。


「遅参の段、お許しを」

「よい。その様子では、北は落ちたか」

「北方州都ベルクトハーツは抑えました」


 これより前、シレン・ラシンは24機から成る機動大隊を率い、4月2日に北方州の中枢であるベルクトハーツを強襲し、翌未明までにこれを制圧した。


 東西横長の形をもつ東大陸の要は南北の州にある。北部を抑えたという事は、東大陸の奥から湧くように繰り出し、モルト軍に抵抗を続けているウィレ・ティルヴィア陸軍の喉首を掴んだに等しい。


「見事。牙城を奪われ、オルソンも慌てておることだろう。その後、ベルクトハーツには誰が入城している?」

「グレーデン師団が引き継いでおります」


 大隊一手で一軍に匹敵する武功を立て、事もなげに主戦場へを為している息子に対し、ゲオルクはさも当然かのように頷いてみせた。


「少佐。あれが見えるか」


 ゲオルクは元帥杖を差し上げて、眼前の戦場を指した。シレンは目を細めた。知らず、獲物を狙う鷹のような目になった。


「あれがなかなか落ちぬ第一高地ですか」

「グラスレーヴェンをもってしてもな。さて、少佐」


 彼の息子は顎を引いた。


「モルト軍史初にして、今日まで生き残りしグラスレーヴェン搭乗員。貴官に問う」


 軍神と謳われ、モルト最高位の軍人のひとりとなった父に、息子は踵を合わせて応じる。軍人としてこれ以上ない完璧な動作だった。


「あの山。何刻で落とせるか」


 シレンは目を眇め、やがてゲオルクに向き直った。


「一刻(二時間)にて」


 ゲオルクは頷いた。


「やってみせよ」

「ラシン家の武名、ウィレの大地に刻んでみせます」


 それ以上の言葉を、彼らは必要としない。

 第一橋頭保に布陣したシレン・ラシンの一隊は周囲の友軍の畏敬を受けて出迎えられた。言ってしまえば元いた兵らの持ち場を奪い取ったわけだが、白いグラスレーヴェンがもたらす武威を知っているモルト兵は、それを当然のように受け入れた。


 出撃の時を待っている。

 シレン・ラシンは最精鋭として出撃を控えている。白い機体の足元で戦場を眺める彼の耳に、灰を踏む足音と、声が響いた。


「シレン!」


 鋭さの残る眼が声の主を認め、そして丸く見開かれた。


「オルク長兄上あにうえ、ライヴェ次兄上あにうえ!」


 ラシン家の兄弟が一堂に会するのは、戦争が始まって以来初めてのことだった。


「久しいな。壮健だったか」


 ラシン家の長男、オルク・ラシン大佐はまさにゲオルクと瓜二つの風貌だった。少し面長で、髭はなく、その代わりに長髪をたたえているところだろう。


「シレンも元気そうで何よりだ! また父上に似てきたんじゃないか?」


 そう言う快活な次男、ライヴェ・ラシン中佐は父や兄、弟とは少々風貌が違う。整った端正な風貌ではあるが、髪は金色で母親の血が濃く出ている。


「御二人ともご壮健そうで、シレンは嬉しく思います」


 ノストハウザン突入直前のひとときであり、郊外の丘の上で三兄弟は固く握手を交わした。


「いよいよだな」感慨も尾を引くまま、オルクは低い声で促した。

「この様子だ。恐らくこの戦、この場では収まらないだろう」


 二人の兄の言葉にシレンは頷いた。表情は険しい。


「ラシン家の武名を高みに導く絶好の機会だ。シレン、兄上」言いつつ、ライヴェは右の拳を反対の手のひらに打ち付けた。


「……長兄・次兄上、私は―」


 シレン・ラシンの表情は冴えない。

 その意味を、二人の兄は知っていた。オルクはシレンの肩に手を置き、力を込めた。


「言わぬ約束だ。シレン。お前が家督を継ぐことに我らは何の不服もない」


 オルクは腕を組み、目の前の戦場を見据えながら続ける。


「お前に与えられた裁定により、我らの結束が乱れることこそ、あの男が望んだことであろう。しかし、それしきでラシン千年の血の絆、揺るがせはしない」


 二人の兄は頷き、それぞれシレンの両肩に手を置いた。


「「ラシン家の武名を挙げられませ、次期当主」」


 兄たちの言葉に、シレンは大きく首を縦に振った。


「相分かった!」


 シレンが指揮官長剣を抜き、それに二人の兄が続いた。

 夜明け空に、三兄弟の剣が交差する。


「ラシン家が三兄弟、いざ参る!」


 4月8日午前8時。ハッバート高地制圧のため、モルト軍の総攻撃が始まった。

 ウィレ・ティルヴィア軍は機甲部隊を繰り出し、高地にある塹壕、要塞線を活用しようと試みた。しかし、ウィレ軍の戦術は振るわなかった。防戦一方で疲弊したウィレ兵たちは恐ろしいまでに統一されたモルト軍の攻勢の前に薙ぎ倒された。


 ウィレ・ティルヴィア軍の高地を活用した要塞に、黒い装甲服のモルト歩兵が殺到する。地上を舐める大津波のような突撃の前に、ウィレ兵の士気は砕け散った。


「道を開けよッ!!」


 シレン・ラシンの大隊が戦線に躍り出る。地を走り、高地を一跨ぎに飛び越えるジャンツェン24機の前に、ウィレ陸軍の地上戦力は壊乱した。


 同日、午前10時。勝敗は決した。


 第一軍ゲオルク・ラシン、その直属である機動部隊の猛攻の前に、ハッバート高地は陥落。南北ではグレーデン師団が北方州ベルクトハーツを抜け、南部ではゲオルクら第一軍の将兵が海軍総司令部のあるノストフォーバッハに迫った。


 ウィレ軍の戦線が乱れたこの日こそ好機であった。モルト軍はついに、公都シュトラウスへ向けて攻勢を開始せんと動き出した。

 しかし、その日の午後のことだった。事態が動いた。戦勝の報告を行うべく、通信衛星の前に立ったゲオルク・ラシンは元帥杖を掲げたまま硬直した。


「我が、元首。今なんと仰せになられた」


 ゲオルクの元帥杖を持つ手に、不要なまでの力が込められた。


「全軍停止ですと?」

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