第10話 戦線を穿つ者-3-
ノストハウザン陸軍基地の主軸棟。その上階にある一室の窓から、連れ立って赴くべき場所に向かう若者たちがいる。
遅れて、屈強な士官に引きずられるように、やさぐれた灰色髪の青年が続いていく。
その様子を見下ろしながら、男は煙草を吹かしている。
ウィレ軍のフライトジャケットに身を包んだ黒髪の中年男はゆっくりと紫煙をくゆらせた。その後ろで勢いよく、部屋の扉が開く。
「ジスト・アーヴィン、仕事だ。アンタの部下が決まったよ」
「……知っている。ポーピンズ中佐」
ジスト・アーヴィンと呼ばれた男は、彼の女ボス、あるいは魔女たる中佐へと振り向いた。およそ狼を思わせる精悍な横顔、険しさに研がれた黒い眼はくすんでいて、濁っている。だが、その瞳から放たれる殺気にも似た圧は、常人の者ではない。街のチンピラが出会えば裸足で逃げ出すか、跪いて許しを請うようなすごみが、ジストにはあった。
「ここんところ、アンタに任せてきた仕事はどうだったね」
「くだらない。子どものお守りと、デスクワーク。こんなことで俺を西から呼び戻したのかと笑いたくなる」
「そうかい。でも、そいつも今日でしまいだ」
アンは指を鳴らした。魔法のように部屋の照明が落ち、ひとりでに部屋の天井に据え付けられたブリーフィング用の投影機が起動する。
「アンタの部下だ」
モニターに浮かぶ履歴書に、若い部下の顔が映っていた。
カザト・カートバージ
ファリア・フィアティス
リック・ロックウェル
ゲラルツ=ディー=ケイン
エリー・サムクロフト
ジストは煙草の火をつまみ、その指で火をねじ消した。
「これは」
「おうさ、基地にやってきたガキンチョは全て、適正アリと見なされた。脱落者は一人もいなかったってことさ」
「これはあの"お嬢様"も……いや―」
ジストは初めて、「埒もない」と微苦笑した。アンは鼻を鳴らして笑った。
「―当然。最終的な裁定を下すのはアーレルスマイヤー将軍だが、権限を持つのは窓口のあの娘だ」
「……相変わらず突拍子もないことをやりたがる」
「だが、アンタはあの娘に応じ、そして信じた。そうだねグラスレーヴェン殺し? あの鉄人形をバラせるのは、陸軍歩兵数多しといえどアンタくらいだ」
ジストは何も言わずに窓の外を見た。虹が、雨上がりの空にかかり始めている。
「アンタが打ち込んだ訓練システムは仮想上だが、あのガキどもはグラスレーヴェンのバラし方を習得してる。恐らく、ウィレ軍初のグラスレーヴェンにぶつける殺し屋になる」
「そいつは違うな。中佐。あのお姫様は"殺し屋"なんかを望んじゃいない。救世主をお望みだ。それもブロンヴィッツが"天からの兵士"と呼ぶ、グラスレーヴェンを上回る特大級のな」
「アハハハハ、職業軍人が救世主ってツラかね」げたげたとアンは笑う。ジストは否定しない。だが肯定もしなかった。
お姫様との回想に浸っている場合ではない。「時間がない」と言い、ジストはネクタイを首にかけた。
「どこへ行くんだい」
「決まっているだろう。俺の部下に会いに行く。それに約束してしまったからな」
「何を?」
「それを訊くから、アンタは意地悪バーサンなんて言われるんだ」
アン・ポーピンズは笑い、そしてジストの代わりに窓に立ってポケットから取り出した煙草に火をつけるとふかし始めた。
西から帰り、地獄を見て朽ち行くしかなかった自分を、さらなる地獄に放り込むことで蘇生させた魔女。その女佐官にジストは一瞥をくれると、軍人らしい動作で踵を返して外へと歩みを取り始めた。あんな魔女を従えているのが、あんな小娘だとは、信じたくもない話だ。
―ジスト・アーヴィン大尉。私と一緒に、もう一度戦ってくれませんか。
なぜだ、何の意味がある、と、かつてジストは問うた。「アンタもそうして地獄を見たはずだ。それでも何で次の地獄を見たがる。俺には理解できん」
―この戦争に勝つためです。地獄を見る者を、これ以上生み出さないためにも、救世主が必要なんです。
その小娘は世界をひっくり返した。己の言葉で諦めかけていた人々の心に火をつけた。まったくばかげた話だ。平和を望んでいたはずの御姫様が、今や戦姫と化している。事実は小説も奇なり。だが、これほど傑作な物語が生まれることは二度とないだろう。
後にも先にもこれきりだ。
「戦争に勝つ方法があると言ったな」
その"お姫様"に、ジストは訊ねた。「そんなものどこにある。救世主がどこにいる」と。
だが、そのお姫様は嘘を吐かなかった。ジストをこのノストハウザンの地下に案内して、その可能性を示して見せた。そうして、口を開いた。
―戦争に勝つ方法があるとしたら、それは"モルト軍……グラスレーヴェンに打ち勝つ兵器"を完成させることです。
その兵器は、いまだ歴史に登場すらしていない。まして、実験兵器とさえ呼べるかわからない代物だ。
これに最初に乗り込む兵士たちは、間違いなく"実験体"となる。
―だからこそ、"彼ら"を導いてほしいのです。そして必ず、欠けることなく生きて帰ってください。
彼女にそう言われ、ジストはその時、自分が何を想い、何をしたかを思い出そうとした。だが思い出せなかった。今考えれば笑えてくる。自分は呆気に取られていた、言葉が出なかった。
「なぜそれを俺に」辛うじて、そう問うことができた。
―決まってます。大尉にしかできないことだから。
ウィレ陸軍ノストハウザン基地、地下施設。その巨大な一室に、青い制服に身を包んだ4人の兵士が揃っていた。彼らの前に立った黒髪の大尉は、四人の完璧な敬礼に対して無造作な答礼を投げ、そして口を開いた。
「状況はクソッタレだ。俺たちはずっと負け続けている」自己紹介もへったくれもない、無愛想な一言だった。「俺たちは負け犬だ。ずっと後ろにこもって、今日まで無駄に息を吸って、吐き続けてきた。そのツケを払う時がやってきた」
ジストは右腕を掲げた。その腕が青白い光を発する。
「反撃するぞ、今、ここから」
暗闇しかなかった一室に、はじめて光が灯った。そこには深い深紅で塗装された鋼鉄の巨獣がうずくまるようにして鎮座していた。扁平な頭部、そしてずんぐりとした胴体と太く短い手足。頭身にして三つ半しかない、しかし人間の十倍の大きさはあるその魁偉な外見はまさに"怪物"だった。
四者四様の反応を見せる"部下"たちに、ジストは言葉を継いだ。
「お前たちに武器を与える。こいつがその武器だ。名前は―」
ジストが手を開く。掌に埋め込まれたナノマシンが赤く発光した。
『パイロットデータ照合完了、承認。起動開始』
目の前の怪物は流暢なシュトラウス語で、目覚めを告げる。ジストは初めて口角を釣り上げた。これから起きる"地獄"が職業軍人にとって、そうそう経験し得るものでない、"面白いもの"になるという確信に満ちていた。
「こいつの名を覚えておけ。こいつの名はー」
怪物が眠りから目覚め、唸り声のような起動音を挙げる。早くも楽しくて仕方がないといった様子で、牙を剥くような表情を浮かべ、ジストは言葉を継いだ。
「ラインアット・アーミー。戦線を穿つ者。
そして、グラスレーヴェンを殺す者、だ」
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