第38話 ぼくのともだち-一章 完-
「サミーか!?」
『女の子に、男の子が三……かな?』
声には喜びが混じっていた。
数瞬遅れて、キルギバートのモニターにも子どもたちの姿が映し出される。低葉樹の生垣で遊ぶ子どもたちの姿、その中に蜂蜜色の髪の毛をした少年の姿があった。ハッチを開く。ヘルメットも取らないまま、地表へと降り立つ。
「サミー」
しかし弾かれたように、子どもたちが生垣の中に駆け込んだ。それが逃げ出したとわかるまで、数瞬を要した。
「知ってるか……? お、覚えてるか?」
生垣に一歩踏み込んだ瞬間。
「おっ―!?」
キルギバートは地面のくぼみを感じた。
「なんだ」
何かを引いた感覚を覚えた途端。空き缶が跳んできた
「うわっ」
キルギバートは顔を傾けるだけでそれをかわした。呆然と周囲を見る。
「少尉……」その視界に、クロスとブラッドが入り込んだ。
「罠にかかってあげてくださいよ」
「えっ?」
どうやら仕掛罠(ブービートラップ)だという。相手は生き埋めになればいいなと思ったのだろうか。キルギバートにはわからない。
「こんなの、跨げば済むだろう」
「子供相手ですよ?」
「冗談通じねえ……」
「ブラッド、俺に失望するのは違うだろう?」
昼間の凛とした立ち居振る舞いは捨てようとキルギバートは思った。
気を取り直して慎重に穴から片足を出し、サミーの姿を探す。
「サミー?」
きょろきょろと辺りを見回す。数秒間の後、おびえたような子どもの声が返ってきた。
「こ、ここにはいないよぉ」
サミーの友人で、気の弱い男の子の声だった。声の主は確か―。
「クンスか!?」
ブラッドが駆け出し、次の生垣に飛び込んだ。
ぐえっ、という悲鳴と共にブラッドが宙を舞って戻ってきた。
「どうした!?」
「縄を踏んだら丸太が降ってきた」
「本当に引っかかったのか……」
「引っかかってあげたんですよ」
「さすがだな」
キルギバートは感心したように頷いた。
その横で、不意にクロスが、あっ、とヘルメットのバイザーを上げた。
「顔が見えないからわかないんですよ。ソラちゃん、いるかい? クロスだよ、出てきてー」
がさがさと生垣が揺れ、ざわめき始めた。
生垣から、にょき、と小さな腕が飛び出した。手には白い布が握られている。
「あれなんですかね」
「しろ、はた?」
次いで、男の子と女の子が姿を現した。白いハンカチを持っていたのは男の子だった。
「ソラちゃんに、テッドくんだね」
「なんでしってるの?」
「あ、覚えてない……」
クロスは力無く手を広げて見せた。
キルギバートも顔を見せた。
「驚かせてごめん。……その布は?」
「あ、あのうちゅうおじさん!」
「おにいさんがいいんだが……」
「おとうさんがね、"外でセンソウが起きて、ヘンタイがきたら、これを出しなさい。そうすれば、うたれない"って教えてくれたの」
「変態かな?兵隊じゃないかな?」
「へんたい!」
といって、クンスがぶひっと笑いはじめ、テッドに頭を叩かれている。
クロスははっとして俯いた。
キルギバートも膝を折って、ソラの頭を撫でようと手を伸ばしたが、小さな女の子は怯えるように後ずさりした。
キルギバートの手が宙をさまよった。
「二人とも、ヘルメットを取っていい」
「隊長。規律は?」
「もういい。みんな、怖がってるだろう」
「その言葉を待ってましたよ」
ヘルメットを脱いだキルギバートは気づいていた。自分たちが、あの子ども達に無意識にしてしまった行為のことを。ヘルメットが手から滑り落ちた。
ソラとテッドが顔を上げる。本当は、目など合わせたくなかったのかもしれないと、ふと思っていた、自分がそこにいた。しかし安堵が、彼らに素顔を見せられるという喜びもそこには確かにあった。怖がらせたことは申し訳なかった。
キルギバートは、跪いて、子ども達に目線をあわせた。
「ごめんな」
「なあに?」
「こわかったろう。でも大丈夫。俺たちは、君らを傷つけたりしない」
「わかってた。おにいちゃんだから」
子どもたちと一緒に三人の兵士は最後の生垣に分け入り、越えた。
「これは……きれいだ」
クロスの声。目を見張った彼は、円形の広い空き地を見ていた。一面を白い
「まってて」ソラは言い置くと、木の根元に空いた洞穴に入って行った。それが木の根を利用して作られたトンネルであると知ったクロスはただただ目を輝かせていた。
「本当にこんなものを作ったのかい?」
「見張りのおじさんが来なくなって掘れたの」
「だから、秘密基地を?」
キルギバートの問いかけに、おどおどとクンスが答えた。
「う、ウチュウジンが攻めてきたら、たたかうんだよぉ」
「そうだったのか」
その言葉が、無邪気な戦争ごっこゆえなのか、本気で必要だと思っていったことなのか。今ならわかるような気がした。
子どもたちの、ただ、たった一つの大切な楽園だ。
そこに、キルギバートがいなかったとしても。そうであるべき場所だ。
サミーは出てこない。
「しかたねえよ」
ブラッドが呟くように言った。
「少尉、帰りましょう」
やっぱり、会わなかった方がよかったのかな、とでも言いたげだった。
クロスの言葉に、キルギバートはしばらく立ち尽くした。
「ああ。そうすべき、なんだろうな」
ぽつり、とキルギバートは呟いた。
「俺たちは、宇宙人だからな」
楽園の土は踏めない。
跪いた身体を立たせ、背を向けようとした。
その時だった。
「まって」
振り向いた先、木の根元にある洞穴から子どもが二人、顔を出した。
「サミー……?」
「ほんとに、ほんとにおにいちゃん……?」
ソラに手を引かれて、やっとサミーが姿を現したのだった。彼は、走ってきてくれた。
キルギバートは身体の緊張が抜けたようにへたり込み、結果、サミーを迎え入れようとしたが、そのために、取り付けられたものが、邪魔で、嫌だった。銃を、山刀を放り捨てた。ようやくサミーを胸に抱き入れることができた。
「そんなに喜ぶなんて思ってなかった」
「だって、おにいちゃんは、
キルギバートの目が潤んだ。自分が馬鹿だった。気付くべきだった。前触れもなく、空から鋼鉄の巨人が降りてくる。子どもの身体が収まるほどの巨大な銃を引っ提げた鋼鉄の巨人が空から降ってくるのだ。それを地表から見ていた子どもはどう思うだろう。ヘルメットで顔を隠したアーマーに身を固めた自分は、子どもたちにとって恐ろしい宇宙人だ。そんなこと、子どもたちの目から見ればわかることだった。最初からわかっていた。
「どうしたの?」
サミーは不思議そうな顔をして首をかしげるだけだ。
「いいんだ……」
キルギバートはそれだけ呟いた。
兵隊も子供も何も言わず、ベンチに座った。
そして夕日を見た。
そのうち、兵隊達を尻目に子供達は立ち上がった。
「なにかしようよ!つまんない」
「もう、帰らないと、お、おこられる」
「ばかねクンス、びびりー」
「なら、オレ、鬼ごっこ!」
わいわいと騒ぐ"友だち"を見て、サミーがキルギバートの背中を叩いた。
「おにいちゃんが鬼―!」
「……ああ。おれ、鬼か」
サミーは満面の笑みで頷いた。
「じゃ、10秒数えたらよーいどん、だからね?」
「ウィレの重力って変な感じですよね。全速力ってむずかしくて」
「おまえ軍人か?」
「冗談ですよ」
先の休暇で、子どもたちに軍帽を取られて翻弄されたクロスが意気込んだ。
「全員捕まえてやっからな!」
ブラッドが右肩をぐるぐると回した。
二人と顔を見合わせたキルギバートが笑って、口を開いた。
カウントを始めた。
子どもたちがわっ、と騒いで四方に駆ける。数え終わると、キルギバートはパイロットスーツを脱ぎ捨てた。白いインナーと、軍服のズボンだけの姿だった。ブラッドとクロスもそれにならった。
キルギバートたちは駆け出した。走り回り、飛びかかってはかわされて地面を転げた。疲れるまで駆け回り、気付けばキルギバートの方が息を切らしていた。ブラッドとクロスは遥か向こうで他の子どもたちと遊んでいる。
「おにいちゃん、どうしたの?」
「もう無理だよ、疲れた」
青年はどさりと芝生の上に腰を下ろし、空を見上げた。少し茜がかってきているものの、ウィレの空は突き抜けるように青く深かった。
「そっかあ。たくさん走ったもんね」
その隣に、少年がちまりと座り込んだ。
「ああ、走った」
胸いっぱいに息を吸い込み、腹筋と背筋に力を込めてキルギバートは起き上がった。
「もうすぐ、ここを出て行かなければならないんだ」
「どこ行くの?」
「わからない。でも遠くだ」
行先は口が裂けても言えなかった。
「そっかあ、ほんとに
「え?」
「
キルギバートは振り向いた。
サミーはただ、転校が決まった友だちのこれからを案じるようだった。キルギバートの息が詰まった。自分はもしかすると、本当はウィレの地でそう生きたかったのかもしれない。だが、引き返せないほどに、こんな遠くへと来てしまった。
「そっか」
サミーは芝生の上で足を伸ばし、ぱたぱたと上下にゆすった。
「どんなところに行くの?」
「そうだなぁ……まだ決まってないんだ」
「りょこうならね、お母さんが行きたがってた。写真とって、日にちつけてね。お部屋にかざるんだよ。いつか、おにいちゃんといけないかな」
キルギバートの瞳が宙を見据え、やがてこらえるように揺れ始めた。
「それは、できないよ」
「なんで? ぼくとおにいちゃんは、友だちでしょ?」
「……友だち?」
「うん、友だち。そうだよね?」
「……ああ」
キルギバートは遠い景色を眺めているようで、子ども達と目を合わせることができなかった。これ以上は、自分の感情を押さえられない気がして、このまま頬を涙が伝ってしまったら、子ども達になんて言ってあげればいいのか分からないから。
「よかった」
そうやって喜んでくれる。小さい友達。
きっと戦争が終われば、本当の友だちになれる。
精一杯の虚勢かもしれないけど、それしか思い浮かばなかった。
小さな手が肩に触れた。
「おにいちゃん、ぼく、何かヤなこといった?」
「違うんだ、ごめん、そうじゃない」
キルギバートは首を振った。
「うれしくて泣いてるんだよ」
「へえ、うれしくて泣くことなんて、あるんだね」
「俺も人間だ。サミーと変わらないよ」
……でも時々、生きていることがとても辛くなるんだ、と、言いたくても言えない兵隊の口から、サミーは毎日、幸せかな、なんて人間の言葉がこぼれた。
「お父さんと、お母さんは好きか?」
「うん、こないだも海つれてってくれた。きれいなとこだよ」
「そうか……。それは、よかった」
サミーは続けた。
「みんながんばるってさ。だから僕もがんばらなくちゃあ。だって、おにいちゃんも、こんなにがんばってるんだから」
ああ。と、キルギバートは頷き、心の底から祈った。
この少年が誰も裏切らず、誰も傷つけない大人に育つように。
「また会えるよね?」
自分はこれからもサミーが与えてくれた「がんばる人」という純粋な言葉を裏切り続けるだろう。そして、「
―正しい人が増えれば、悪いものはなくなる。
サミーが恐怖しなくてもいい時代が訪れるはずだ。そうにちがいない。夕日の光を頼りにそう思った。
「ああ、必ず会いに行く。約束だ」
夕陽が沈む。
早く親元に帰さないと、全てが台無しだ。
「子どもは家へ帰る時間だ。暗くならないうちに、お帰り」
うん、と元気の良い返事を残してサミーは丘を下っていく。ブラッドとクロスと遊んでいた友達を引き連れて、公園から自分の家へと帰っていく。
その後ろ姿を、キルギバートは黙って見送った。涙が、後から後から止まらず流れ落ちた。
背後にクロスとブラッドの気配を感じた。キルギバートは俯かず、夕陽が沈み切るその時まで立ち続けた。
「隊長どうしようもねえ、涙もろいっすね」
というブラッドも泣いていた。
「少尉、帰りましょう」
クロスが言った。
「ああ、みんな待ってる」ブラッドも頷いた。
「もう少しだけ待ってくれないか」と、キルギバートは空を仰いだ。
彼は泣いた。
その日の夜、キルギバートもまた
輪の中に入ったキルギバートは、いつもと変わらぬように過ごした。
「グラスレーヴェンがさしたる用もないのに、3機稼働していたようです」
おかしくなった時計を見るような眼をしてケッヘルが呟いた。黒茶の杯を傾けながらロビーで書類に目を通していたグレーデンは目を細めた。
「そのままにしてやれ。動力は電気だったのだろう。充電させておけばいい」
グレーデンは変わらず書類に目を通すばかりだった。
「堀りさげない事がいいこともある」
「は?」
「あくまで人であれ。ということだ。我が副官」
その夜やっと落ち着いたキルギバートも、やり残したことを終えた。それがいいことだったのか悪いことだったのか、今もよく分からない。
「隊長、戻らないんですか」
「ちょっと一人になろうかなと、思ってな」
「風邪ひきますよ。気をつけてください」
クロスはそう言い、ロビーから去った。
キルギバートは、月明かりの元で、紙を開いた。
そこには、こう、書かれてあった。
「我が友」ウィレ、モルトの人が共通して知る、古い歌だ。
どこかで、四弦奏の音色が聴こえる。その歌だった。
別れの夜 眠るのがとても辛い
夜なべしてお前のことを考えよう
おお友だち ぼくの親友
お前ほど得難く 別れ難い者はないというのに!
まるで人生はお天気! 晴れた日の次は土砂降りだってあるさ
おお友だち ぼくの友だち
今日はこれで別れなければならないけど
おお友だち ぼくの親友よ
お前ほど信じられる者がどこにいる?
おお友だち ぼくの親友
愛を込めてさよならを送るよ また会う日まで
キルギバートは、彼にとって大切なその文を、胸のポケットに入れて、そして軍靴の足音を残して、そこから去った。
西大陸編 完
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