第二章 東大陸-トシュ・アーシェ-編

第1話 風雲急の公都

 大陸歴2718年3月1日。ウィレ・ティルヴィア政府は非常事態宣言を下し、元老院と議会は議論の末、元議長を退任させ格下の委員長に下らせた。


 新しい指導者を決める必要に迫られた元老院と議会は、ある人物に白羽の矢を立てた。黒塗りの公用車が猛スピードでシュトラウスの大通りを疾走する。乗っているのは元ウィレ・ティルヴィア最高議会議長のアルカナだ。


「シュトラウス家公邸へ。急いでくれ」


 シュトラウス家には3人の若者がいる。長男のアウグスト、次男のシュスト、そして末子にして長女のアメリアス。いずれも国民から象徴として敬意を受けているが、人気も能力もずば抜けているのはアメリアスだ。才気煥発にして聡明で決断力に富む。しかし16歳では議長の任にはたえられない。また彼女は士官学校に在籍中で、軍部の影響力を受けることも避けなければならない。であれば、それより年上のアウグスト、シュストから選ぶしかない。


 元老院に席を持つアウグストは温厚にして篤実だが、政治に必要な胆力に欠けるところがある。年齢は27と若いが長らく公家の務めを負ってきただけに難は無い。しかし今は戦時で、政治に軍が関わってくる風潮は日ごとに増している。押しの強い軍部を時にははねのける強靭さには不安が残る。


 開戦直前に最高議会の末席に加わったシュストは今年22歳になり、活発で決断力がある。しかし粗野で、名家の出自にありがちなわがままなところがあった。癇癪持ちで側近の手を焼かせることも一度や二度ではないが、馬鹿ではない。アウグストに比べれば強固たる自我がある。しかし独断専行に走りがちな彼が惑星の政治を握る状況は出来る限り考えたくない。


「……御長子しかない」


 議事堂から南へとたっぷり1時間をかけた郊外に、シュトラウス家の公邸はある。公都近衛連隊の1小隊が屋敷を警備していて、まるで第二の国家元首官邸の感がある。


 屋敷の主のアウグストはちょうど屋敷でお抱えの整体師からマッサージを受けているところであった。執事や家政婦の制止を詫びつつ振り切り、アルカナはその一室へと踏み込んだ。寝台にうつ伏せになったままのアウグストは乱入者を見とがめた。


「突然の訪問、御無礼をお許しください」

「アルカナ議長、いや、今は委員長であったな。すまんがちょっと待ってくれ。この整体は欠かせぬのだ。腰痛に効く」

「誠にあいすみませんが、お待ちする暇がありません。元老院からの要請で罷り越しました」


 その言葉にアウグストが跳ね起きた。用件に察しがついたらしい。


「元老院は新議長にアウグスト様を推挙されました。これは総意であり、惑星からの上意です」


 たっぷりと時間を置き、部屋に沈黙が満ちた。アウグストは咳払いするとガウンを着込み、それから整体師を断って退出させた。


 続いてアルカナは仰天した。アウグストが端正な顔をゆがめ、涙を流し始めたからだ。高い鷲鼻には涙と鼻水が伝っている。


「これからどうすればいい……?」


 唖然と口を開くアルカナとロッシュの前でアウグストは鼻をかみ、それから両手で自分を示した。


「だが、惑星の総意であるなら仕方がない。この、私が、議長を務めなければ……」


 「受けるんかい」とロッシュが呻き、アルカナはそのあばら骨に肘鉄を食らわせた。


「及ばずながら私や元老、そして議会が貴方を補佐します。気を強く持たれますように」

「まず何を行えばよい?」

「速やかに議事堂に御出頭すべきと存じます。今すぐに」


 着替える。と言い置いてさらにたっぷり1時間。整髪料で髪をてかてかにし、後ろに撫で付け、むくんだ顔に薄く化粧を施し、絹製のスーツに身を包んだアウグストを車に押し込むようにしてアルカナは議事堂へと取って返した。


 議事堂の入口を潜るなり出迎えたのは次男のシュストだった。そして、その後ろにはなるべく見たくない顔があった。ベルツ・オルソン大将。ウィレ・ティルヴィア軍の最高司令官だ。どうも自分の伝手を利用して元老院の動きを探り、シュストに情報を漏らしたらしい。軍人のやる事ではない。これは政治家のやることで、そこにオルソンの狙いが透けて見えた。


 ベルツは、このどさくさ紛れに惑星の政治に一枚噛みたいのだ。彼は西大陸が失陥しても責任を取らず、未だ軍と政治の一線に腰を据え続けるつもりでいる。


「兄上が議長に就くとは真か、アルカナ殿」

「シュスト様。これは元老院と議会の要請です」

「最高議会議員の経歴で言えば私の方が上だ。兄上は元老院に席を置いているが最高議会議員ではない」

「弟よ、長幼の序、というものもある……」


 激するシュストに、おろおろとアウグストが取り成し、それに対してアルカナも同意して同じ言葉を繰り返し、経緯は悲惨の一方を辿っている。


「異なことを言うな! 卿は普段、人の要は出自の貴賤や年齢ではないと、その才気こそ肝心だと常々説いているではないか!」


 シュストは顔を真っ赤にして怒鳴った。さらに畳みかけたのはベルツだった。


「そもそも議長の任を負われるならば、御本人とその御兄妹には真っ先にその情報が伝えられてしかるべきであろう。しかし、委員長はシュスト様にそれを知らされなかった。議長はアウグスト様が負われるにしても、シュスト様にも然るべき立場が与えられなければ惑星の象徴たるシュトラウス家の沽券に関わるではないか」

「オルソン将軍、あなたには訊いていない!」


 アルカナは目の前の将軍の顔を張り飛ばしたい衝動を抑えながら、今が危急存亡の秋であり、事態が迅速に運ばれるべき点を説いた。


「その上でシュスト様の御立場についても議会に図りますので、この場は我々を議場にお通し願いたい」

「私への待遇が定まるまでは、私は議事堂から動かんぞ!」


 背中にシュストの怒声を受け、アルカナの胃痛は増すばかりだった。


「良いではないか。議長殿も若年なれば、その副席を設けてシュスト殿に補佐いただこう」


 議場に帰還して早々、元老の言葉にアルカナは耳を疑った。


「そうでなくてはシュスト殿も収まるまい。ここは速やかに、穏当に事態を収め、早く政府を復旧せしむことが、総委員長の責務ではないか」


 船頭多くして船なんとやらだな、とロッシュが呟き、アルカナは足を後ろに蹴り上げて、ロッシュの股間を打って黙らせた。


 言われてみればもっともに思えるが、早い話「よきにはからえ」で、その決断は委員長である自分自身に責任があって、元老院は責任を負わぬと宣言したようなものだ。

 しかし最初から万策も尽きている以上、彼らに取れる手段は他になかった。


 同日、アウグスト・シュトラウスは最高議長に、シュスト・シュトラウスは副議長に推挙された。翌3月2日、議会の賛成多数により、正式に二人の議長が就任。ここにアルヤ・アルカナを代表とする和平派が擁するアウグストと、ベルツ・オルソン大将を筆頭とする戦争継続派の後ろ盾があるシュストの奇妙な二巨頭体制が出現することになった。また同日中に士官学校にあった末子アメリアスも仕官候補生のまま少尉に任官し、シュトラウス家が惑星を代表する姿勢は鮮明となった。


 事態が動いたのはその日のうちだった。


「ウォーレに敵が侵攻しただと?」議場で報告を受けたアウグスト・シュトラウスと―。


「東大陸東岸は防備の要だ。敵も海上戦力を用意していないのではなかったのか!」―最高司令部で報告を受けたベルツ・オルソンの顔面は蒼白となっていた。

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