第2話 シュトラウスへ!


 そして公都シュトラウスより離れること、100里。

 公都へ急行する高速鉄道の車中では―。


「侵攻した敵の規模は?」

―公都への帰還の途にあったシェラーシカ・レーテも報告を受けていた。


「未だ不明ですが、敵の第一侵攻部隊ですでに五個軍50万ほど」


 であれば、その2倍は見ておくべきだ。報告士官の通信を受けながらシェラーシカは頷いた。


「これとは別に敵の2個軍規模の部隊が南側のヒルシュ軍港から攻め上りつつあります。グラスレーヴェン500機。飛行戦艦及び母艦は50機以上とのこと」

「西大陸からの部隊か?」副官アレンの言葉にシェラーシカは首を横に振った。

「侵攻路は宇宙からです。これだけ素早い侵攻で兵站も得るとなれば、敵の本国部隊でしょう」

「よくわかるな」

「ブロンヴィッツが西大陸にいるんです。本人の降下に合わせて軌道上に伏せておいたと見れば不可能ではないはずです」


 報告士官からの通信が終わると、シェラーシカは視力保護用の眼鏡グラスを外して溜息を吐いた。


「大丈夫か?」アレンの言葉にシェラーシカは微苦笑のみで答えた。大丈夫であるわけがない。しかし、何かを絶えず考えている方がよほど気が楽だと言う風だった。


 齢十七の少女は、この数週間で十も歳を取ってしまったように見えた。アレンは黒茶を自分の上司である少女に勧めながら、車窓の景色を見ていた。薄暮に煌びやかな照明が色めいている街並みは平和そのもので、すでに大陸に戦火が及んでいるなど、事実として突き付けられない限り想像もできない。


「ここはどのあたりですか」シェラーシカが尋ねた。

「ノストハウザンだ。もうすぐアーシェ湖が見えるぞ」

「であれば、水の都シュトラウスもすぐそこですね」


 会話自体は家路につく人のそれだった。しかし、空気は重い。シュトラウスに帰り着けば、さらに深刻な事態が待っていて、シェラーシカはそれに立ち向かわなければならない。


「ウォーレを守っているのは、ディートル・ローム将軍でしたね」

「ああ。エドラント将軍の同期だ。俺らの軍学校では教官だった」

「気性の荒い人ですね。私たちも士官学校でどやされたものです」


 ごん、と車窓が鳴った。シェラーシカが額を窓に押し当てていた。


「あのひとも、死ぬまで戦うでしょうね」

「……ああ。同期の仇相手だ。そうするだろうな」


 重苦しい空気が満ちつつあった時。列車が不意に停止した。


「なんだ?」


 アレンが様子見に席を立ち、シェラーシカはその間にハンカチを瞼に押し当てた。泣いている場合ではなかったと心に鞭を打つ。不測の事態に備えることが自分の役目なのだから。


「隊長」


 数分で戻ってきたアレンの苦い顔を見て、シェラーシカは頷いた。


「―不測の事態ですか?」

「停車命令だ。シュトラウスに入れない」


 シェラーシカは沈思した。この足止めは列車の終点である公都に関係している。向こうはかなり混乱しているようだと彼女はアレンに話し、車外へと出た。軍用の停車場に停められた列車を振り返る。ただの民間列車ではない。軍用の巨大な高速輸送列車だ。


 連隊ごと、即座にシュトラウスへ帰還できるように手配した人物の名前を、シェラーシカは思い出していた。


「―アーレルスマイヤー将軍」


 列車を見つめていたシェラーシカは我に返った。アレンが自分の肩を引っ張っている。停車場のプラットホームへと目を転じると、ロングコートを着た将校が歩いて来ていた。


「私を、そろそろ呼んでくれる頃だと思っていた」


 シェラーシカが息を飲んで敬礼した。

 それに対して、ロングコートの将校も敬礼を返す。


「陸軍大尉シェラーシカ・レーテであります」

「私が陸軍及び宇宙軍中将のアーレルスマイヤーだ」


 ロングコートの人物は自分が手配した列車を見つめて腰に手を当てた。


「手配が間に合っていたようで何よりだ」

「中将のご手配には心から……」

「大尉。堅苦しいやり取りは抜きにしよう。事は急ぐ。シュトラウスは待ってくれそうにない」


 車を待たせてある、とアーレルスマイヤーは告げた。事態が予想よりも切迫していると悟ったシェラーシカは頷き、副官へと振り向く。


「行ってくれ。部隊は俺や他の人間でまとめておく」

 アレンに頷き、シェラーシカは駆け出した。

「さすが若い者は元気がいい」アーレルスマイヤーが後を追う。


 プラットホームを出てすぐのところに、ボンネットに将軍旗が取り付けられた公用車が停められていた。シェラーシカはそれに乗り込もうと後部座席のドアに手を伸ばす。


 その腕に、誰かの手が重なった。


「おっと―」重なった手の主の声は若い男のものだった。「来てくれたんだね。大尉」


 シェラーシカは顔を上げた。黒い髪、紫の瞳を持った青年士官の顔を見て、シェラーシカが驚いた。


「アクスマン先、輩?」

「君を待ってたんだ。といっても、僕も将軍に拾われたんだけどね」


 にこにこと白い歯を見せる青年―エルンスト・アクスマン陸軍少佐―のエスコートを受け、シェラーシカは車へと乗り込んだ。アーレルスマイヤーがシェラーシカの対面に乗り込んだ。アクスマンもシェラーシカの隣に着席する。


「副官、出してくれ」

「承知しました、閣下」


 公用車が急発進し、シェラーシカたちは公都を目指す。


「慌ただしい出会いになってすまんな。二人とも」

「いえ、閣下。それほど急ぐことなのでしょう」アクスマンの表情は柔和だが、語気には一種の精悍さがある。

「そうだ。時間がない。状況を説明しよう」


 スミス・エドラントは最期の瞬間までに多くの物事を引き継いでいた。ひとつがシェラーシカとアーレルスマイヤーを無事に出会わせること、そして彼女の協力者を確保することだった。エルンスト・アクスマンはまさにその協力者だった。


「アクスマン少佐、君を見込んで最初に頼みがある」

「私の力の及ぶ物であれば、微力ながら尽力します」

「君に公都近衛連隊の2代目指揮官となってもらいたい。君の任務はシュトラウスを目指す敵のグラスレーヴェン部隊を足留めすることだ。一日でも長く、な」


 エルンスト・アクスマンが軽く目を見張り、アーレルスマイヤーが頷いた。シェラーシカは交互に二人を見ていた。


「君の機甲部隊指揮官としての優れた戦術論と腕前を見込んでのことだ。それと、断らせるつもりはない。是が非でも受けてもらいたい」


 アーレルスマイヤーの眼光に怯む様子もなく、エルンスト・アクスマンはそれを受け容れるように頷いた。


「非常時です。祖国のためにもお受けしますが、今の隊長であるシェラーシカ大尉はどうなるのですか?」

「彼女には別に頼みたい事がある。重要な仕事で、これこそがエドラント将軍の遺志でもある」


 シェラーシカが背筋を今一度正した。


「シェラーシカ大尉。君を少佐に昇進させ、参謀部へ配置するよう手配を進めている。特務号の保持も許される」


 シェラーシカの表情が強張り、アクスマンは将軍と目の前の後輩の顔を交互に見た。特務号は非常任務に就いている限り、実階級より二階級上の権限を有することが許されている。


 つまり、ということだ。これは歴史上、最も若い女性佐官が生まれる、ということでもある。


「当然、まだ極秘のことだ。他言無用を徹底してほしい」

「私に……参謀部で何をせよ、と?」

「この戦争における最大の脅威は、モルト軍の人型機動兵器―グラスレーヴェン―だ。これを破る兵器こそが、我々の勝算だ」


 アーレルスマイヤーはシェラーシカの瞳を見据え、口を開いた。


「君にグラスレーヴェンに対抗する兵器の開発を任せたい」

「私が、ですか?」

「君はグラスレーヴェンとの戦闘経験がある指揮官で、しかも数少ない生き残りだ。開戦までのモルトの内情にも詳しい。軍歴の長い将校より捨てがたい強みがある」

「私などただの小娘に過ぎません、将軍。買い被りすぎです」

「そうかね。君の強みはエドラント将軍を通じて把握している。君の強みは組織運営、そして"読み"の鋭さだ。直感、あるいは本能とさえ言えるな。立案した物事を形にし、実行する能力に優れている。"おもちゃの軍隊"に過ぎなかった近衛連隊を実戦にたえられるよう作り変えたのは君だ。また犠牲を最小限に抑え、この東大陸に帰ってきた。そのような能力は参謀部においてこそ発揮されるべきだ」


 シェラーシカは苦しげに胸を押さえ、首を横に振って否定した。


「私はそんな言葉通りの有能な人間ではありません。西大陸に帰って来られたのも……多くの仲間が私を庇い、犠牲になりました。それで帰って来ることができただけ、それだけです。エドラント将軍だって助けられませんでした。私はそんな―」

「―であれば、君は彼らに生かされたのだ。彼らは君を帰して死んだ。それは君が彼らにとって命を託し得る存在だったからだ」


 シェラーシカは言葉に詰まった。


「ならば、君は彼らの死が無駄ではなかったという証を、これから立てねばならない。それは軍人としてではなく人間としてそうすべきだからだ」


 少女の亜麻色の瞳が宙を彷徨った。


「そのことをよく心得ているのは君自身のはずだ。そして、それを願っているはずだ。そうではないか、大尉」

「……その通りです。将軍」

「であれば、君は参謀部に行くべきなのだ。わかるか、大尉」


 シェラーシカはしばし瞑目し、それから顔を上げた。


「承知しました。全力を尽くします」


 迷いのない返事にアーレルスマイヤーが頷き、傍らの少佐は安堵したように息を吐いた。そこへ、運転席から声がかかった。


「将軍、シュトラウスより通信が入っています」

「繋いでくれ」アーレルスマイヤーは個人宛ての通信端末を取り出し、耳に当てた。「なんだと?」


 短い会話のあと、アーレルスマイヤーは通信端末を傍らに置き、眉間をつつくように押さえた。


「将軍、なにか?」

「―ウォーレが落ちた」

「防衛司令官のローム将軍は?」

「戦死した。司令官を失い、守備隊は降伏した」


 アクスマンが天を仰いだ。


「さらにマズい事が起きている。シュトラウス議会が降伏論に揺れているらしい」

「そんな!」

「いや、シェラーシカ大尉。君が考えているより議会は脆い。骨の太い精神を持つ議員など一握りだ。ウォーレが数時間で落ちた今、彼らの心が折れたと勘繰っても不思議はない。ともあれ、急がねばならない。このままでは始まる前に全てが終わってしまう」


 三人の考えは一致した。シュトラウスへ急がねばならない。

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