第3話 混迷の議場


「私にはもう何もできない」


 同日の夜、シュトラウスへと帰還したアーレルスマイヤーとシェラーシカ(エルンスト・アクスマンは陸軍省へと戻り、アーレルスマイヤーと目論見を同じくする将校の取りまとめに奔走していた)を出迎えたのが、カルヤ・アルカナの一言であった。


「委員長、あなたまで折れてはモルトとの対決など不可能です。そもそも、なぜ、誰もモルトへの抵抗を呼びかけていないのです」


 アーレルスマイヤーの声は低い。だが、呻く委員長の声はさらに地を這っている。


「アウグスト殿下……もとい議長は腰痛で議場に長時間留まることを嫌がっている。しかも怖気づいている。シュスト副議長も同じだ。声明を発すれば、その主がモルトから敵視されるのは必定だ」

「であれば、政府次位のあなたが声明を発するべきだ」

「議長を降りた私の言葉など誰の心にも届かん。元老も匙を投げつつあるのだ」

「やってみなければわかりません」

「結果など見えている」


 喧々とやり合う二人の傍らで、シェラーシカは立ち尽くしていた。

 このままでは、本当に終わってしまう。


―まだ何も始まっていないというのに?


 そんなことを許していいはずがない。しかし一方は諦めていて、委員長を頼みとするアーレルスマイヤーには議会での発言権がない。自分は一士官に過ぎず、何もできない。


―本当に?


 シェラーシカは自問した。「考えろ、諦めるな」と己を叱咤し、脳を限界まで稼働し一手を探す。


 数瞬の後、解が見えた。


 それが効果的な事かはわからない。所詮ちっぽけなことかもしれない。それでもシェラーシカ・レーテとしてできることが一つだけある。


「私が、議場に立ちます」

「なに?」アーレルスマイヤーとアルカナは硬直した。

「大尉。いかに古い付き合いとはいえ、軍人である君に議会に発言する権利など与えられない」

「いいえ委員長。証人喚問で私を呼んでください」


 アルカナは悟った。

―ウォーレが落ちた今しか、軍人を議会に呼べる機会は今この時以外にない。


「委員長は今、声が届かないと仰いました。それが本当か、私が確かめます」


 アーレルスマイヤーは思わず襟を正した。目の前にいるのはただの少女ではない。彼女は惑星唯一の公家こうけ嗣子であり、議長と副議長の従兄妹だ。


「であれば、演説の原稿をロッシュに―」

「必要ありません」


 絶句するアルカナに、シェラーシカは表情を変えずに頷いた。


「私の言葉で話します。ですが委員長―」

「なにか?」

「私が精一杯やった事、これからやろうとしている事を忘れないでください」


 アルカナは雷に打たれたように立ち尽くした。目の前の少女はそのまま議場へと向かう。

 遠ざかるシェラーシカの背を見つめたまま、アルカナは動けなかった。頬を打たれたような気分だった。否、彼女の言葉はそういう類のものだったのだろう。


 アーレルスマイヤーは深々と帽子の庇を下げ、呆然とする目の前の政治家に一礼した。


「委員長。若者だけに戦わせるおつもりなら、あなたも議会の愚人と同じだ」

「私は……」

「議場へお戻りください。そこがあなたの戦場だ。私は、私の戦場に戻ります」


 アーレルスマイヤーも去り、アルカナだけが残された。心折れたかつての水の星の最高権力者はただ、廊下に立ち尽くしている。だが、だらりと垂れ下がっていた両手が再び握りしめられ、指先と指の節は赤く変色していた。


 そして時がやってきた。


 大きな樫造りの扉の前に、シェラーシカは立った。議場はやかましく、がやがやとした喧騒が扉越しに漏れてきている。


『一同静粛に。ここで私は委員長の権限を持って証人を呼びたいと思います』


 アルカナの声だ。


『証人の声をもってウィレ・ティルヴィアが武器を下ろすべきか、せざるべきかの判断の参考としたいと思います』

『アルカナ委員長、それは事前の予定に―』シェラーシカにとって従兄であるアウグストの声も聞こえた。

『証人は議場へ!』


 議場のざわめきがピークに達した時、目の前の扉が軋みながら開いた。シェラーシカは迷わず、その中へと飛び込んだ。



            

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