第4話 シェラーシカの言葉



 豪奢な、テレビでしか見たことのない議場の光景が目の前に広がっている。こちらを見ている議員の視線は凍てつくようだ。扉が背後で閉まり、もう後戻りはできない。


 頭がガンガンと痛み、心臓がばくばくと暴れている。今、体のどこかを針でつつけば、心臓の鼓動に合わせて血が噴き出すんじゃないだろうかと思うほどだ。アルカナ委員長がこちらを見て僅かに頷いている。強烈な照明により、目の前は白く靄がかかったようになっている。


「ご存じの方も多いでしょう。シェラーシカ・レーテ陸軍大尉です。彼女は西大陸奪還作戦で連隊指揮を執り、部隊長級で生還した数少ない軍人の一人です。その彼女に、報告として参考意見をお伺いしたいと思います。大尉、登壇してください」


 立っているのは、わたし。


 眩暈がする。口の中が乾いて、足の震えも止まらない。背筋を嫌な汗が流れている。


 それでも話さないといけない。私はそのために来たのだから。


 目の前の演壇の台上に置かれたゴブレットを取る、手の震えが抑えられない。無理やり、口をつけて唇を湿らせる。水の冷たさが、遠のきそうな意識を引き寄せ、現実に留めてくれた。安心……そんな場合ではない。話さなければならない。


 深く、深呼吸し、口を開く。話すことはもう決まっている。


「ウィレ・ティルヴィアの皆さん、私の声が聴こえますか。


 私はシェラーシカ・レーテです。今、議会議事堂をお借りして、皆さんに呼びかけています

 私の目の前には議事堂の壁があります。しかし、この目には、壁の向こうにある彼方の星空が見えます。そして、そのもとで暮らす全ての人たちの姿が浮かんでいます。


 私は今日この時まで、辛い出来事に出会いました。くじけそうになり、諦めそうになりましたが、それでも声を上げなければなりませんでした。

 西大陸で我々を守るために散った戦友のために……私は生き残ったのだと、彼らに伝えるために。亡くなられた兵士のご家族に伝えなければなりません。

 彼らは勇敢でした。一人として臆病な者はいませんでした。私は彼らに感謝しています。そして、私が生き残った責任をこれから背負って生きていきます。

 あの敗北の責を負う身として、石を投げられ、罵倒されることを覚悟で、私は、シュトラウスこのまちに還ってきました。

 石を投げられようと、嘲られようと、私は生きて帰って、皆さんに沢山のことをお伝えしなければなりません。それこそが、私がこの場に立っている理由です。



 私ができることなどたかが知れていますが、まず皆さんに、この声を贈ります。この行為にどれほどの価値があるものか、正直なところ私にもわかりません。


 ウィレ・ティルヴィアの軍事・民間衛星が破壊され、あるいは占領された今、私の声がどこまで届くかわかりません。でも皆さんにお話しします。そうしなければならないのです。


 繰り返します。私は、シェラーシカ・レーテです。この惑星にいる全てのウィレ・ティルヴィア国民と、これからお話しします。

 公家こうけとしてではなく、この惑星に生きる「シェラーシカ・レーテ」として」


 議場のざわめきが静まった。身を乗り出す議員もいて、目を合わすと怯みそうになる自分がいる。でも、負けている場合ではない。

 それに、もっと恐ろしい思いならば、西大陸で味わった。


「今度の戦争で、我々は歴史が始まってから最大の困難に直面しています。この惑星の半分以上がモルト・アースヴィッツの手の中にあります。モルト軍が東大陸へと踏み入った以上、迫る巨大な鋼鉄の人形、全てを焼き尽くす光と、我々は対峙するべき時を迎えています。


 今、宇宙は戦火に飲まれつつあります。ウィレ・ティルヴィア、モルト・アースヴィッツ、ルディ、ヒーシェ……人が身を置く全ての惑星が戦地となっています。

 自由と秩序のために戦うとアウグスト・シュトラウス議長は仰られました。戦う意味を見失い「何のために?」と、尋ねる人がいます。「全て無駄だ」と諦める人がいます。


 私の答えは簡単です。私は"自分のために戦わねばならない"のです。自分が何のために生まれたのか、自分が何者なのかを振り返った時、私も皆さんも、こう思ったはずです。


 『私はこの星で生まれ、生きてきた人間だ』と。


 戦うべき時が来て、私は選択しました。今、各地で戦うウィレ・ティルヴィアの民と同じように、私もこの星に生きる者として戦うと、そう決めたのです。


 ブロンヴィッツは言いました。「ウィレ・ティルヴィアが我々を引き裂いたために戦争は起きた」と。しかし、その答えは否です。決して、そうではありません。


 最終戦争の後、我々の祖先は長い年月をかけ、全ての国を束ね、星を一つにすることでより良い世界を築こうとしました。

 その過去を経て、我々は今という現在、そして未来を生きているのです。


 モルトもそうであったはずです。あの悲惨な不幸を繰り返すまいと、未来を思い、多くの人々がウィレとモルトを行き来することが出来る時代を築く。今なお続く悲しみと痛みを共有し、より良い未来をつくることが彼らの願いだったはずです。現に宇宙に暮らす多くの人々が、この戦争が始まるその時まで、平和を願って奔走していました。


 私もかつてはモルトとの平和を願い、その懸け橋になろうとしました。そして失敗しました。


 告白すると、私は絶望したまま戦争を迎えたのです。

 今一度モルトとの平和が実現すれば……どんなに良いだろうと、今でも思います」


 涙が後から溢れて止まらない。泣いていることに、気付かれたかもしれない。でも、もう止めることはできない。


「しかし、そうするには、我々は取り返しのつかない所まで来てしまいました。


 かつて、我々の祖先である大帝シュトラウスは言いました。「すべての人々が兄弟として地を同じくするためにこの国を築く」と。その信念が形となったのが、ウィレ・ティルヴィアなのです。我々の祖先が築き、守ろうとした世界を、あっさり明け渡してもよいものでしょうか? 答えは決まっているはずです。平和を望まなかった者達に、この惑星を明け渡すことはできません。力による征服とその前に屈服することは新たな戦争の火種にしかならないのです。


 モルトの皆さんから敵だと思われることが、私は怖くてたまりません。悲しくてたまりません。

 ですが、それ以上に、自分が自分であることを捨て、戦うことを止めることほど、恐ろしく、悲しいことはないと気付いたのです」


 許嫁の顔が脳裏に浮かんだ。幼い頃の幸福な日々が浮かんだ。


「だから、私は過去の自分に別れを告げます。それが私の戦いであり、贖いなのです。そして、私は皆さんに呼びかけなければなりません。それが新しい戦いを引き起こすことになったとしても―」


 涙を拭うことなく、声を張り上げ、吼える。


「我々が生きる限り、"このふるさとに生きる者として、全ての人と共にあるために、戦うことを選ぶべきだ"と! ウィレ・ティルヴィアという一つの惑星国家が歴史の上に立てられた以上、我々は断じて歴史の再来に、今ある現実に打ち負かされてはならないのです!」


 顔を上げる。議員の多くが泣いていた。背後から鼻を啜る音が聞こえた。


「議会に、私はウィレ・ティルヴィア人として望みます。


 歴史を巻き戻さないために、戦い続ける道を選ぶことを。


 私の声を聴いている皆さん。一人ひとりの力は無力に等しいと、けして打ちひしがれないでください。

 我々は孤独ではないのです。頼るべきは武器だけでないのです。

 己の持てる最良の道具を手に、この惑星を絶えず回して行くことが我々にできる戦いなのです。


 さあ立ち上がりましょう。そして歩き出しましょう。


 全ての人に願います。ウィレ・ティルヴィアに光を与えてください!

 そしてその光が占領地の皆さんに届きますように。

 勇敢に戦った戦士とともに、今はただ休息を取り、光を受ける瞬間まで英気を養ってください。

 陽は、また、昇るのですから」


 手を高く差し上げ、空中で握る。失ったものはきっと取り返せない。でも、ここから歩き出し、取り返すのだ。


 我々はけして負けない。


 そうでしょう、教官?


「自由と秩序のために。我々の祖先に、そして先に往った戦友に、議会に願います。我々にウィレ・ティルヴィアを守らせてください!


 聴いてくださってありがとうございます」


 その瞬間、議場は総立ちとなった。


『『ヴィーラ・レ・ウィレ・ティルヴィア(ウィレ・ティルヴィア万歳)!』』


 拍手と歓声が天井と壁を跳ね返って木霊する。拙かったかもしれない。未熟だったかもしれない。それでも私の言葉は伝わった。


 目頭から溢れ出す涙を止められず、うつむいた。視界が下がり、目に映るのは自分の両足。

 その景色に、死んでいった恩師の顔が浮かんだ。かつて想い合った男の顔が浮かんだ。


 目を閉じる。


 顔が今一度、くっきりと浮かんだ。しかしそれもやがて浮かばなくなった。

 二度と浮かばなかった。


 踵を返す。オーギュスト・シュトラウスが鼻を啜って泣きじゃくっていた。体格は立派だが気弱で優柔不断な従兄も、これで覚悟を決めるはずだ。ハンカチで鼻を噛む従兄に思わず苦笑いが浮かんだ。出番を取られたと言わんばかりに唇を捻じ曲げているシュストには……これからも悩まされることだろう。


 だが、やれることはやった。これでいい。この場に灯した小さな火は彼らがおこしていくものだから。


 足早に壇上を降りる。賞賛に駆け寄ろうとする議員を引き離すようにして歩いて、振り向かずに議場の出入り口を潜った。


 アルカナと、すれ違う。


「君の言葉は忘れない。我々は戦う」


 その一言で十分だった。何も言わず、そのまますれ違う。あの議場(せんじょう)はもう彼に任せるべきなのだから。


 外では自分の新しい上司-アーレルスマイヤー将軍-が待っていた。


「まったく君は恐ろしいな。議場の空気を、こうも変えるとは」

「……ご心配をおかけしました」苦笑いとともに返す。涙は流れ続けている。

「―いや、君にはこれから、さらに苦労をかけることになる」


 アーレルスマイヤーは物憂げに頷いた。覚悟は決まっている。


「行きましょう。将軍」

「もう行くのかね?」

「ここは私の仕事場ではありませんから……私が赴くべきところに赴きたいのです」


 アーレルスマイヤーは頷いた。


「では、行こうか。大尉」

「はい。参謀本部へ」


 涙は止まった。議事堂を出ると澄み切った夜空が目の前に広がっている。


 その真ん中に、青い月が冴え冴えと浮かんでいる。一瞬輪郭が滲んだが、それを見据えて歩き出す。


 戦いは始まったばかりだ。


 私は諦めない。

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