第5話 トシュ・アーシェ侵攻

 爆発。破壊。切断。血が煙となって砕け、あらゆる生命が瞬時に断絶する空間。つまり戦場。今日も人間は戦場を舞台にし、いつものように戦(はたら)いていた。いつもと同じだ。もう何日も戦っている。昼も夜もない。


 それなのにこの日はいつもとは何かが違っていた。これまで惰性のまま流れていたとさえ言える慣れきった空気が、空間が、音を立てて崩れる。戦場のど真ん中、火の海と灰の山を蹴上げるようにして走った。目の前には上下真っ二つに両断されて崩れ落ちた鋼鉄の人形が擱座している。


―こんなことがあってたまるか。


 なぜなら、撃破された機体は紛れもなく自分の―。


「―!?」


 跳ね起きたキルギバートは、そこがコクピットの中であり、自分が微睡んでいたことに気付いた。背中を嫌な汗が伝っている。少々の悪夢の余韻にしては、あまりに胃が重たかった。手元のコンソールを操作し、中空に時刻を表示させる。


 大陸歴2718年3月2日午前5時。一日が始まる。


「閣下、時間です。ウィレ・ティルヴィア政府は休戦交渉の勧告に応じませんでした」


 微睡の中、現実へと浮上する一声が運命の始まりを告げる。目覚めた男、ヨハネス・クラウス・グレーデンは膝の上に置いていた軍帽を被ると司令用の席を立った。


 翼を拡げた鋼鉄の怪鳥、戦艦ヴァンリルの中枢司令部のモニターには深い闇に覆われた緑の大地が大映しとなっている。ウィレ・ティルヴィア東大陸トシュ・アーシェ


 攻略すべき敵国の最後の領土が目の前にある。


「気取られてはいないか」


 仮眠を取っていたグレーデンに声をかけた副官―パウル・ケッヘル―が踵を打ち合わせた。


「軌道上の衛星は全て手の中にあります。閣下」


 グレーデンは黒革の手袋に覆われた両手を打ち合わせた。


「―降下開始だ。ウィレに気付かれる前に突入部隊を送り込む。時間との勝負だ」


 ケッヘルは頷いた。


「コロッセス艦長!」グレーデンは傍らの大佐に振り返った。「秒針合わせだ」。花崗岩を思わせる重厚な風貌の艦長は承諾し、指揮所へと合図を送った。何もない虚空に青白い数字が浮かび、カウントダウンが始まる。


 ヴァンリルの艦隊の腹に当たる部分には刺々しい鋼鉄の塊が取り付けられ、その姿は卵胞を抱いた毒虫を思わせる。この鋼鉄の卵胞こそが、ウィレ・ティルヴィアへの大気圏再突入ユニットであり、その中にはモルト・アースヴィッツ軍の主力兵器が収められている。無論、その扱い手となる搭乗員と共に。


「決定的な打撃になる」


 グレーデンは重々しく呟いた。


 その再突入ユニットの中では、グラスレーヴェンのパイロットたちが出撃の瞬間を待っている。


 グラスレーヴェンのうちの1機―隊長機―が目覚めた。最初は瞳のような光点のカメラアイをぎょろぎょろと動かし、それが面となって起動する。視界良好。整備兵がカメラの異常がないことを手信号で伝え、何処かへ退避していく。


 隊長機の主、キルギバートはコンソールを操作し、青い瞳を上下左右に走らせ、機体の最終チェックに余念がない。その襟首には真新しい"大尉"の階級章がつけられている。


「惑星軌道上を周回している暇はない。ほとんどだと思え」

『キルギバート隊長、の間違いじゃねえですか?』

「黙れブラッド。舌を引っこ抜くぞ」


 キルギバートは頭を抱えた。戦場では猛々しい僚友―部下―は、どうしてこうも肝心な時に喧しいことしか言わないのだろう。


『不吉ですねえ』

「ああ、その通りだクロス。着地で何か起きればお前を足元に敷いて何とかしなければならんかもしれん」

『私は敷物じゃありませんよ』

『あ、あの、隊長殿……』


 遠慮がちな声が通信に交じった。「クロス、ブラッド、ちょっと待て」キルギバートはヘルメットを脱いで個人回線をつないだ。


「殿は余計だ……。どうしたカウス・リンディ上等兵。お前はこれが初陣だったな」

『い、いえ、その、戦場で生き残る心得みたいなものがあれば、今一度教えていただけませんか』


 失禁しそうな声だな、とキルギバートは頬を痙攣させた。機体に乗り込む前からこの少年兵は震えていたし、尿意を催して度々便所と待機室を往復していた。さらにグラスレーヴェン搭乗員としての訓練はたったの20時間で戦場に送り込まれたのだ。キルギバートが新兵時代に教練に従事した2年間―8000時間―とは天と地ほどの開きがある。


「……一緒にいろ。お前の機体は頑丈だ。ちょっとやそっとじゃ死にはしない。それでも危なくなったら助けを呼べ。泣き喚いたっていい。俺やブラッド、クロスがすぐに飛んでくる」

『了解しました。隊長殿』

「殿は勘弁しろ」


 通信を切ったキルギバートは髪を掻いた。調子が出ないのは良いことではない。トシュ・アーシェは激戦区だ。全てが振り出しに戻る。


「昨日の今日のでもう大尉か」


 階級章を指でいじる。部下を抱え、何とかやっていかねばならない。


『おいキルギバート』

「なんです、デューク大佐」

『カウスにおしめはつけさせたか』

「そう言っておくべきだったと後悔してます」


 通信の向こうで上官が笑い声を上げた。


『お前にも必要だったかもな』

「いえ。……西大陸で宿題は終えました。もう必要ありません」

『男も三日会わなければ何とやらだな。お前もいっぱしの男の面構えになったもんだ』


 「まだまだヒヨコですよ」とキルギバートは口元だけで笑い「当然だ」とデュークが返した。二人はほぼ同時にコクピットの秒針(カウント)を見つめた。30秒前だ。


『じゃあな。トシュ・アーシェで会おう』

「ご無事で」


 通信が切られて数拍。機体が揺れた。つい先ほどまで隣にあった降下ユニットが切り離された衝撃だ。すかさず、ヴァンリルの艦橋から通信が入る。ケッヘルの声だった。


『キルギバート大尉、たった今、第一ユニットを投下した。デューク大佐の一機戦(第一機動戦隊)が降下中。続けて投下するぞ。準備は良いか』

「了解。キルギバート大尉以下12名。第二機動戦隊(二機戦)、降下開始。出撃する!」

『武運を祈る。地上で会おう』


 機体が揺れる―空気振動が発生している―。大気圏への再突入が始まった。


 次にユニットのハッチが開いた時、きっと視界にはトシュ・アーシェの青空が広がる事だろう。歓迎の砲火も見えるはずだ。


 キルギバートは目を閉じた。


―あの街の子ども達は元気にしているだろうか?


『ハッチ開け、ハッチ開け』


 コクピットに緑色の証明が灯る。出番が訪れる。

 キルギバートは思う。舞台が西から東に変わっただけだと。それなのに、えらく遠い所に来て、えらく歳を取った気になった。


 コクピットシートから背中を離し、キルギバートは通信回線を再び起動させた。


「全機、武器は持ったか」

『こちらクロス、準備よし』

『こちらブラッド、右に同じ』

「武器を落とすなよブラッド」

『なんで俺だけなんすか!』


 返事のない隊員がいる。もっとも、無理もない。初陣がこのような大規模な侵攻戦では。


「返事は? おい、上等兵!」

『は、う、はい! 大丈夫です!』


 大丈夫かぁ、とブラッドが間延びした声を出す。黙れブラッド、といつものように刺し、キルギバートはこめかみを掻いた。


「……その機体の着陸操作は自動になってる。間違っても墜落なんてことはないだろう」

『は、はい……』

「だが、着地した瞬間に集中砲火が来ることだけは覚悟しておけ。グラスレーヴェンは優秀だ。簡単にやられはしない。焦って背中を向けたりせず、冷静に応戦しろ。それに―」

『―それに隊長がいるなら大丈夫ですよ。間違ってもやられません』


 キルギバートは項垂れた。そこは自分のセリフだったのに、と溜め息を吐く。


「おいクロス」

『人が言うからいいんですよ。自分で言ったら敵にヤられちゃいますよ?』

「……ならいい。ブラッド、お前はリンディ上等兵の援護をしろ。俺も見える範囲にいるときは全力でバックアップする」

『ヨークがいりゃぁこんな苦労はしないんですがね』

「黙れ」

『なんで俺の時だけ黙れなんすか!?』愚痴を垂れるブラッドを捨て置いて、キルギバートは通信画面上のカウス・リンディという新兵に目線を合わせた。


「これが我々ウチの部隊だ。こんなのでも今日までやってこれた。だから大丈夫だ」

『は、はい』

「生きて帰るぞ」


 大気圏再突入が終わり、振動が緩やかなものに変わった。目の前のハッチが開き、暗いユニット内に日光が差し始める。


「皆、よく見ておけ」


 キルギバートは機体乗り込み口に愛機の手をかけ、そして外を指差した。


「これがトシュ・アーシェの空だ」


 目の前いっぱい、遥か彼方まで広がる地平線を彩る緑、そして空と海を飾る青の世界。横開きになり、空気抵抗の軋みを響かせるハッチに、キルギバート機が身を乗り出す。


―高いな。


 見える全てが豆粒に見える。街など、ただの模様かシミにしか見えない。


 眼下で小さな光の後、黒い花が咲いている。対空砲火だ。まだ有効射程に入る前から乱射している。


 キルギバートはさらに上空を振り仰いだ。


 真昼の空に流星が見えた。全て、自分たちのような降下ユニットと、そして大気圏を移動できる艦艇群だ。


 ウィレ軌道宙域はモルトの手にある。制空権もモルト軍が完全に支配する日は近いだろう。


 この戦争はモルトの勝利だ。キルギバートは固く信じている。


 彼の機が、前へと踏み出す。ウィレに来た時と同じ、青い空が戦士たちを迎えている。


「行くぞ!」


 グラスレーヴェンの一隊が大空に舞った。

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