第37話 君に再び会えるなら


 全ての日程が完了し、キルギバートは第一ボタンを開けて駐屯地に戻った。グラスレーヴェンを駐機させ、ハッチを開いて機を降りるとすでに大勢の隊員が寝ていたり、話していた。


「終わった、終わった!」ブラッドが声を上げた。年上の隊員らが旗手を務めたクロスのヘルメットを引っ剥がし髪をくしゃくしゃに撫でまわした。

「大した男ぶりだったぞ。よくやった」


 デュークが彼の肩を叩いた。


 クロス達が高揚感に包まれている。幸せというものがあるのなら、今がその時なのだとキルギバートは思っていた。モルトランツからこのかた、コクピットという狭い空間の中で戦い続けた青年にとって、生まれて初めて隊というものを一体ホームに感じた瞬間だった。


「皆よくやってくれた」


 ケッヘルは笑みを絶やさない。この男が四六時中笑うということ自体が一種の異常事態だったが、それは隊員皆に言えることだった。


「夜から宿舎で慰労会だ。それまでは各自自由に行動して良い」


 デュークもキルギバートの肩を叩いた。


「通過儀礼も済んだことだ」

「通過儀礼?」

「戦場に立つには、背に何を負うて戦うか、それを想う心が大事になる。期待しているぞ。隊長殿」


 このとき、キルギバートはそれがいかなる意味なのか分かっていなかった。


 宿舎前で何かを話し込んでいたブラッドとクロスが、すぐにキルギバートに近寄る。デュークは肩を竦めた。


「お前達に課題を出す」

「なんでしょうか?」

「やり残しがあるだろ。キルギバート」

「私にですか?」

「お前のあらゆる事は俺の頭に入っている」

「デューク隊長、何ですか」


 やれやれと苦笑いし、デュークは口を開いた。


「あの子どもたちのことだ」


―会ってきてもいいんだぞ。


 キルギバートは目を見開いた。彼の上官はただ黙ってうなずくと、踵を返して宿舎に戻っていた。


「少尉―」


 銀髪碧眼の青年はその場に立ち尽くしていたが、やがてクロスたちに振り向いた。


「ああ。そうだな。やり残したことがある」


 キルギバートは機体へと駆けだした。歩いていては間に合わない。


「サミーに会いに行く。別れの挨拶をしないと」

「無茶ですよ。どうやって見つけ出すんですか」

「分からん。だが、このままだと、ダメな気がするんだ」


 キルギバートは夕暮れに染まる空を見上げた。


「今日会わないと、もう戻れない気がするんだ」

「俺も会いたいって思ってた」


 ブラッドの言葉に、クロスも頷き、それぞれの機体へ走り出す。


「動力どうするんです? 勝手に動かして推進剤食ったら怒られちゃいませんかね」


 クロスの言葉に、ブラッドは片目を瞑ってみせた。


予備電源バッテリー使えよ。それなら推進剤は使わねえ。怒られることはない」

「なるほど、充電ですか! それなら―」


 グラスレーヴェンに乗り込み、電力駆動で起動した。蓄えられた電力により稼働できるが、その稼働時間には制限がある。しかし、これなら燃料を食わない。つまり咎められることもない。一分一秒が惜しかった。


「日没までに、彼らと会わなければ―」


 時はかからなかった。

 彼らは、サミーのいる住宅地に足を踏み入れた。

 廃墟にグラスレーヴェンを置いたキルギバートは少年がいたはずの民家の前で立ち尽くした。そこは他と同じく、廃墟になっていた。


「これは……」


 人気もなく、生活感も消え失せた、かつて民家だった建物の前でキルギバートたちは立ち尽くす。そこにサミー達はいない。彼の友だちだった子どもたちの姿もない。


「マーフィンさんなら退去したよ」


 しわがれた声に振り返ると、この街の住人らしい杖をついた白髪の老婆が立っていた。声は静かだが、皺の向こうにある瞳は険しい。


「退、去……?」

「この侵略者ども」


 投げつけられた言葉は切りつけるような辛辣なものだった。


「あんたらのせいだ」


 怒りを隠さない老婆にブラッドが前へと出て、それをクロスが制する。


「強制退去せよ。以上。それだけ。あんたらの新しい国は何もしない。お前たちも人でなしだ。人を大勢殺した鉄人形を歩かせ、悦に浸ってるだけ。さぞ気分が良かったろうさ」

「なんだとこの……」


 突っかかろうとするブラッドを、キルギバートが腕で制した。顔は相変わらず、蒼白なままだった。


「ブラッドよせ。ご婦人……モルトは言論の自由を許しています。大丈夫です。我々はあなたに危害を加えたりしません」

「そんなもの、ウィレ政府の頃からそうだった。私が望むことは一つだけだ。家を返して欲しいもんだね」


 キルギバートは、何も聞こえなかったかのように、尋ねた。


「彼らは、どこに?」

「役所にでも聞けばいい。私は知らないよ」


 キルギバートは立ち去ろうとする老婆の肩を掴んだ。そして枯れ木のような薄さに気付き、すぐに力を緩めた。


「せめて一つだけ。サミーという少年を知りませんか」

「サミー……、マーフィンさんちの男の子かい」


 老婆は強張った表情のまま頷いた。


「あんたらのせいで死んだよ」


 キルギバートは立ちつくした。老婆が去っていくのも、そのままにした。


「嘘だ。俺は昨日見たんだ」

「……そういえば、あそこどうなったんでしょう」

「あそこ?」

「モルトランツで子ども達と出会った時のことですよ。遊具がたくさん並ぶ、広い公園があって」


 何を言って、とキルギバートの動きがしばらく止まった。

 思い出した。


「ああ、俺たちが壊したよな、そこ」


 ブラッドがぽつりと言った。みな、眩暈がした。


「だが、それもこれも元首閣下のためだ」

「本当にそうですか?」


 クロスの言葉に、キルギバートは俯いた。子どもたちと、その家族の住まいを奪い、遊ぶ場所を奪い、平和な生活を奪い取った。それがすべて元首のため、大義のための行いとして、誇れるものだろうか。


 重苦しい沈黙の中、日は暮れていく。


「いいや、まだわかんねえぞ」


 ブラッドが呟くように言った。


「スタジアムも公園もぶっ壊れたけど、緑地はある。そこにいるんじゃないか」


 言って、ブラッドは「まあ、保証はできねえけど」と頭を掻いた。


「少尉」クロスが気遣わしげに声を声をかける。

「そうだな……行こう」


 キルギバートはグラスレーヴェンを飛翔させる。車では一〇分かかるのに、この機体は一分とかからない。


『公園の南は戦火でも大丈夫だったはずです。いるなら、そこに』


 クロスが告げる。

 グラスレーヴェンが再び地面に足をつけたときブラッドから入電した。


『こいつの目ってのは、望遠だと猫と子どもの違いが分かるか』

『こんな物騒な代物に、見分けられるわけないじゃないですか』

「見つからなければ降りて、ギリギリまで探そう」


 キルギバートの言葉に二人も頷いた。


『あ、そうだ。ヘルメットとらなきゃ』

「クロス、それは止めておけ」

『何でですか?』

「俺たちは、軍人だ」

『友達として会ったのでいいんじゃないですか。この大陸じゃ、戦争は終わったんですよ?』

「いや。ブラッド……やめておこう」


 元々は敵地であることに変わりはない。

 キルギバートは上官としてあらゆるリスクを考えなければならない。


「……」


 それもきっと言い訳だ。

 ただ、ヘルメットを取ることが怖かった。

 自分が子どもたちの平穏を奪い取った。子どもたちと直接、向き合えるか自信がなかった。

 彼らは自分をどう見るだろう。あの老婆のように憎しみに煮え滾った目で、こちらを見つめるのだろうか。


 それとも―。


『待ってください。センサーに反応。今そっちに位置を―』


 クロスの通信と同時、コクピットモニターに位置と画像が表示される。生体センサーにより浮かび上がった人間の像は、子どものそれだった。


『やるじゃねえかグラスレーヴェン……!』

『いた!』


 クロスが叫んだ。キルギバートは目を見張った。

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