第36話 彼らがキルギバートを愛する理由


 夜が明けた。モルトランツには雲一つない青空が広がっている。


『全宇宙に中継します。モルト・アースヴィッツ国営放送がシュティ・アーシェ、モルトランツよりお送りします。国家元首グローフス・ブロンヴィッツ閣下は昨日、モルトランツに入城され、今まさに市中枢にて閲兵の準備に入られました……』


 市内の至る所にカメラが置かれている。昨日までいなかった国家元首親衛隊が、モルトランツを守っていた民間警察にとって代わり、警備についていた。

「皆さんを解放に来ました。共に祝いましょう!」

「ねえちゃん、ほんとかい」


 モルト訛りのシュトラウス語を話す女性が、年配のモルトランツ市民の男と会話を交わしながら、紙でできたモルト国旗を配布している。

「信用できないね」

「今に分かるわ」


 女性は胸を張った。


「どちらが正しいか。歴史が判断してくれる」


 キルギバートは群衆に目を光らせている。

 巨大な装甲車が走っていく。車体後部にローラーがあり、道路に大きな赤絨毯を敷いているのだった。


「なんだありゃ?」ブラッドが呟いた。

「グラスレーヴェンが大勢で行進したら、道路が傷むでしょう。ああやってベルベスト繊維の分厚い絨毯を敷くんだそうです」クロスが答えた。

「コクピットの床に着いてるやつ?」

「そうですよ」

「金かかってんなあ。お上のやることは」

「だから敷くための車はウィレのを奪いました」

「せこいねえ」

「なんでも……最終戦争のときにシュトラウス側が使った手らしいです」

「お前、何でも知ってるな」

「西大陸への上陸作戦で使用した手なんですよ。でも今回は上手く行かず、取り残された車両はモルト軍によって鹵獲されたんです。それが式典の準備のための工作車輌として活躍している、ということです」

「へぇぇ」

「なるほど……」


 キルギバートは感心したように腕を組んで作業を見守っている。


「隊長は分かってくれるんですねえ?」

「古い兵器でも馬鹿にしてはいけないということだな」


 キルギバートは博識なクロスに負けないようにメモをとった。


 「揃ったか」と後ろから声がかかった。キルギバートは声の主に振り向いて敬礼した。グレーデン連隊長そしてデューク隊長がいた。


「いよいよ本番だ。準備は良さそうだな」


 グレーデンの後ろでは多くの兵士が駆け回っている。


「グラスレーヴェンの速度は子供の遠足並みに合わせろ。それ以上遅くても速くてもいかん。できるな」

「お任せください、少佐」


 クロスの声は硬い。キルギバートはブラッドと目を見合わせて肩を竦めた。


「赤絨毯も結構だが、グラスレーヴェンから考えれば、ベッドの布団の上を歩くようなものだ。気をつけろ」

 デュークはそういうとクロスの肩を叩いた。


「お前ならその心配はなさそうだがな。下から見てるぞ」

「や、やってみせます」

 クロスの顔面は緊張からか、蒼白だった。

「助言できることがあるとすれば……。そうだな。しっかり胸を張れ」

「は、はい」

 面食らったように目を丸くするクロスの胸をデュークは遠慮なく小突いた。

「年少だ、不相応だなどと思うな。お前には今日この時、旗手を果たすだけの値がある」


 グレーデンも後ろで微笑している。クロスの頬にさっと血色が戻った。


「凄い奴だよお前は。この程度で震え上がってたらすぐ死んじまうぞ」


 言って、デュークは連隊長の後ろへと引き下がる。クロスは、震えながら、ブラッドとキルギバートを見た。しかし、目を反らされる。


 ケッヘルがグレーデンに「一言を」と耳打ちし、グレーデンが前へと進み出た。


「諸君、ウィレの飯は美味いか。敵はこんなものばかりを食っている。だからと言って我々がそれにならう必要はない。飯の食い過ぎは人間を太らせるだけだ。ベーリッヒ元帥のようにな」


 その場にいた全員が笑った。場の空気が和らいだのを見計らったグレーデンは気を取り直し、表情を整える。

「司令官って良い男ですよね」ブラッドがキルギバートを肘で小突いた。

「前を向け」キルギバートがブラッドの背中をつねる。


「我々はなすべきことをやる。今日も変わらん」

 グレーデンは両手を広げた。


「旗振り」

「はいっ」クロスの声が上ずった。

「やすめ」

「はいっ」動作は完璧だった。

「諸君、こんな学生みたいな奴もいる。それが旗振りをやる。我々のやることはほめられたものではない。敵地を破壊しつくし、そこで生きていた人の自由を奪い、そして旗を立てる。正気の沙汰ではない。が、後の世のためには必要なことだ」


 グレーデンは続けた。「悪者ではなく、できれば勇者でありたいだろう?」


「行くぞ、諸君」


 グレーデンの言葉に皆が敬礼で応じた。師団長はぴったりと彼に横付けされた軍用車(オープンカー)に乗り込んだ。惚けたように立ち尽くすキルギバートの背中を殴りつけるような衝撃が襲った。


 事実、殴られた。


「ブラッド、またお前か!」

「俺が拳法の達人なら少尉は死んでましたよ」

「土手で喧嘩したことしかないくせに!」

 おお、そりゃ結構、とブラッドは白い歯を見せた。

「そんなに強いなら助けてくださいよ……少尉」

「お前に美味い所を譲ってやったんだ。しっかりやってこい」

 クロスはがっくりと肩を落とした。


「さてクロスちゃん、お仕事やりましょうねぇ」

「ブラッドさん、叩きますよ」

「あん?」

「不真面目です」

「ブルってるやつに言われたかないね」

「二人とも、そこまでだ」


 キルギバートという銀髪碧眼の青年はようやく微笑した。


「総員、搭乗せよ」


 その言葉に全員が愛機へと散って行く。最後にクロス、ブラッドと「こけんなよ」「こけません」と言葉を交わし、キルギバートもコクピットへと上昇する。

「―よし」


 意を決して、キルギバートはコクピットへと飛び込んだ。




 出だしは散々だった。クロスの機体の手が震えている。発進が困難なことは一目でわかった。


「おまっ、クロス! なんとかしろ」

「油圧があ、落ちるぅ」


 連隊旗を持ったキルギバート機がクロス機の肩を叩く。グレーデンとデュークは口を開けて見上げている。

「クロス、油圧計器チェック、落ちてる方を確認してスイッチしろ」

「だめです。無理ぃ」

「蹴っ飛ばしてみろよ」

「馬鹿かブラッド、そんなことをしたところで―」

「あ、直った」


 これでクロスも機上の人となった。準備は整い、あとは発進するだけだ。


『なあなあクロス』個人間用の通信が入った。

「何ですかブラッドさん。さすがに本番直前の私語はよくないですよ」

『昨日肉食ったろ?』

「緊張してるんだから、集中力を削がないでくださいよ」


 この期に及んでますますお腹が減るようなことを言わないでください、とクロスは言おうとして、やめた。ブラッドの言葉には何かの意味がある……時とない時がある。その言葉に意味があるかどうか判断する耳を、旧友であるクロスは持っている。


『アレ、なんで俺達にくれたか、わかるか』

「嫌がらせですか? もう……いやな事を思い出すんで―」

『俺も思い出したんだよ。おお、やだやだ』

「私はそんな尾を引かなかったですけどね」

『そんなへっぴり腰なのに?』

「言うなです。戦ってる時は必死ですから。こういう場所の方がいくらか緊張しますよ」

 少尉は、繊細なんでしょうね。と、クロスはクローズ回線に乗せて溜息を吐いた。ブラッドが通信の向こうで頷く気配が、何ともなしに伝わって来た。


『俺うれしかったぜ』

「じゃあ、僕もブラッドさんも同じですか」

『まあな。故郷くににいてあんな上等な肉を食ったことがあるか? そんな代物をわざわざ土産に持ってきてくれたことが嬉しかった』

「普段そんなこともしないですしね」

『自分に一生懸命なんだよ。少尉は。まだ周りが見えてないまんま、もがきまくってる。だから、まあ、そういうもんだろ?』

「少尉を、支えましょう」

『だな』


 通信を切り、クロスは何ともなしに両手を膝に置いた。なるほど、そういう事かと呟いて、クロスは笑った。


『知らない人のことなんか知らない』


 何故昨日、ブラッドが"余計な事"を言ったのかがわかった。簡単なことだった。クロスはブロンヴィッツを偉大だと思っている。しかし、認識としてはブラッドと同じで有名人としか思っていない。


 キルギバートと比べたら、確かにブロンヴィッツは偉大だろう。


 しかし見知った者として、どちらかを選ぶなら? クロスはキルギバートに乾杯し、王冠を授けたいくらいだ。


 クロスもブラッドも結局、戦争という極限状態で背中を預けて戦う仲間にこそ敬意を抱いている。だからこそ、『知らない人のことなんか知らない』というセリフに、キルギバートが傷ついたことも分かる。部下としてではなく、旧友として。


「……それじゃ、お助けしましょうか」


 旗手はブラッド、クロス。

 先導はキルギバートの下、閲兵行進は成功裏に終わった。


 グラスレーヴェンの開け放たれたコクピットから、大閲兵壇上のブロンヴィッツへ敬礼を送る銀髪碧眼のモルト軍人。そして漆黒の大軍旗を掲げて従う2機のグラスレーヴェンの映像は、その日のうちに全宇宙を駆け巡った。


 華々しい閲兵行進の締めくくりにおいて、ブロンヴィッツは大閲兵檀の上から宣言した。


「我らモルト民族の都として、我が故郷のモルトランツ、そして西大陸をモルト・アースヴィッツに統合することをモルト・アースヴィッツ国家元首として、今日ここに宣言する!

モルトに栄えあれ、民族に未来あれ、闘争に勝利あれ! 

ディア・ファーツランツ―祖国万歳―!」


 この日、モルト・アースヴィッツは西大陸をモルト領としてした。

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