第35話 元首閣下を愛する理由


「元首閣下はな―」


 静寂を破ったのは(意外にもブラッドではなく)キルギバートだった。


「―俺にとっての一番の英雄であり、神様なんだ」


「俺にとっての英雄は、沢山いる。ラシン元帥は小さい頃から剣の師匠で、目標みたいな人だ。何より、俺よりも上の世代は皆、この国をつくるのに貢献した人たちだ。そんな綺羅星みたいな人達の一番上にいるのがあの人だった。言ってみれば俺にとっての恒星だ」


 「子どもの頃の話だ」キルギバートは前置き、思い返した。


 アースヴィッツで独立政府樹立10周年を祝う軍事パレードがあった。剣の兄弟子のシレン・ラシンに誘われて、少年キルギバートとその家族はそれを見るために大通りへと出かけた。


 既に数万の群衆が集まっていた。平民にも関わらず一家はラシン家の計らいにより、賓客用の高壇に座ってパレードを見ることができた。高壇はまるで翼のように大きく広がっていて、家族は左側の付け根部分に座っていた。中央には円形のドームがあり、そこにはテレビでしか見ない政府の要人―ゲオルク・ラシン将軍がいて、ベーリッヒ筆頭将軍(当時は大将)がいて、後に大臣になる政府次官で元首副官のケッヘルの姿も―がいた。ブロンヴィッツの姿はちょうど天井の陰に重なっていて見えなかった。


 パレードが始まった。キルギバートは数万の群衆と両親にならって起立し、敬礼した。当時はグラスレーヴェンはまだ無かったが、それでも白と黒の制服を着た数万の軍人が軍楽隊の演奏に合わせて一糸乱れぬ分列行進を披露し、群衆は熱狂した。少年もまた、目を輝かせて行進を食い入るように見つめていた。「なんてかっこいいんだろう!」その時、少年は両親に対して叫んだ。「僕、大きくなったら軍人になるんだ」と。両親は微笑んでいた。


 パレードが始まって半時ほど経った頃だった。国家元首親衛隊の分列行進が終わり、軍の最精鋭部隊の行進が始まる直前、大通りに10メル四方はある大きな国旗と軍旗が現れた。


 その時、壇中央で不動だった"影"が初めて動いた。


 少年はそこで、生まれて初めて国家元首ブロンヴィッツの姿を直接目にした。モルトランツの着陸場に現れた時と同じ、白い制服に身を包んでいた。ドームから道へと進み出し、国家の象徴に向かって敬礼する姿を見た。元首の姿は、風を切って進む旗よりも輝かしかった。少年の瞳にブロンヴィッツは国を創った一人間ではなく、国そのものとして映った。


 以来、キルギバートは一度でいいから彼の傍に立ってみたいと思うようになった。国技大会の剣術部門で準優勝した時もそうだった。優勝者はブロンヴィッツによって勲章を授かり、栄誉の言葉を与えられる。選び抜かれた数百の老若男女が木剣を手に、その栄誉を争った。


 モルトの剣技は荒々しい。防具といっても厚地の革服に過ぎず、相手が降参するか闘えなくなるまで打ち合い、組み合う。重傷者が出ることなど常だった。


 少年はただ元首に会いたかった。相手はことごとく自分より年上。審判さえキルギバートを気遣った。少年は答えた。「俺が勝ちます」と。


 全ての相手がキルギバートを生意気な少年と見て、ねじ伏せるために打ちかかった。目上であろうが流派が何であろうが、猛り狂う剣技で押して、押して、押しまくった。武道全般において当代無双を誇ったゲオルク・ラシンに鍛えられた少年の行く手に敵はなかった。


 気迫には気迫で応じた。相手が自分より熟練の剣士であろうが恐れなかった。組み伏せ、叩きのめし、薙ぎ倒して這い上がった。僅か14歳。全く有力視されていなかった少年が時に木剣を血で染め上げ、国技大会を席巻した。ブラッドが記憶に刻んでいたのも無理はなかった。その大会での少年はまさしくどうかしていた。他人の言葉を借りれば少年は鬼神の子だった。


 最終試合で立ちはだかったのは、同門のシレン・ラシン。兄弟弟子の闘いとなった。

 二人は一時間以上打ち合った。剛剣と剛剣がぶつかり合い、少年の眉間とこめかみが割れた。樫の木剣が砕けても小太刀のように扱って戦い続け、キルギバートは敗れた。(打ち込みに踏み込んだキルギバートの腕の上に"飛び乗った"シレンが彼の首筋に渾身の一撃を叩き込んだのが決め手になった。)血まみれになり、膝をついて動けなくなった少年は賓客席を仰ぎ見た。赤く濁った視界の中で、ブロンヴィッツがこちらを見ていた。彼は立ち上がり、敗れた方に拍手を送っていた。キルギバートは国技次位勲章を与えられ、最年少で「武卿」の称号を手に入れた。後日、病院送りとなった少年のもとに電報が届いた。


 「貴君の敢闘に敬意を表する。今後の活躍に期待する モルト・アースヴィッツ政府首班 グローフス・ブロンヴィッツ」。


 傷の痛みを忘れ、眩暈を覚えるほど感動した。


 そして数年後、両親が死んだ。その死が、キルギバートを今の道へ一層押し進めた。彼は望み通り軍人となり、グラスレーヴェンを授かった。


「そんなわけだ。……あの方がいなかったら、俺はきっと別の人生を歩んでいたと思う」

「どういう人生を?」

「わからん。だが、商人だろうな。俺の家はそうだから」


 カップの中身を飲み干す。黒茶はすっかり冷めていた。


「そういうお前たちは元首閣下についてどう思っている?」


 キルギバートの表情は、一種得意げだった。


「そうですねぇ」と、最初に口を開いたのはクロスだった。


「間違いなく偉大な方ですよ。モルトに国を創って、その人の下で僕らは今ウィレにいるんですから。国が国を征服した歴史はあっても、違う星から違う星へ攻め込み、大陸を制覇したのは、歴史の中でもあの人が最初です。言って見れば、この時代そのものですよ」クロスは言い終わり、退屈な言い方かもしれませんけど、と苦笑いした。

「そんなことはない。俺もそう思う。ブラッドはどうだ?」


 それまで黒茶を啜っていたブラッドは、天井を見上げた。まるで頭上を飛ぶ蠅を気にするかのように顎を上げていたが、やがて相棒(クロス)がいつもやるように肩を竦めた。


「よくわからんっすね。偉いってとこでは同感です」

「……どういうことだ?」


 ブラッドは黒茶を飲み干して頷いた。


「そのまんまの意味です。だって、あの人は俺が生まれた頃には元首をやってて、だからもういるのが当たり前っていうか。芸能人みたいな感じですかね」

「そんなもの、なのか?」


 ええ、とブラッドは臆面もなくうなずいた。


「会ったことない人なんて、わかんないっす」


 キルギバートは何かを言おうと口を半開きにしている。


「少尉もそうでしょ?」

「ん……、まあ、それはそうだ、が」


 キルギバートは言葉に詰まったままだ。ブラッドの発言より、反論できない自分が信じられない、という感の表情を浮かべていた。


 そこで初めてブラッドは「冗談トゥイーヅィ!冗談!」と大笑いして場の微妙な空気を打ち払うように手を振った。


「そういう意味では俺にとっては元首閣下より少尉のほうが偉いと思うんっすよ」

「ばっ、馬鹿!」キルギバートの顔が再び真っ赤になった。

「ま、でも本心ですよ。それじゃ明日は大舞台だし、さすがに寝ておきますわ。おやすみ、少尉殿」


 ブラッドは席を立つと、キルギバートが我に返るころには上階へと去っていた。やがてクロスも寝床へと戻り、キルギバートはまた一人になった。「ブラッドのやつ、何であんな事」


ブロンヴィッツほど偉大な人はいない。子どもの頃からそう教わって生きてきた。そして、直接この目で見た今も、その念は変わらない。それどころかますます強いものになっている。


 考えれば考えるほど、思考は泥沼にはまっていくようだった。


―やめよう。それに明日は間違いなく素晴らしい一日になる。


 思い直し、顔でも洗うか、とキルギバートは席を立って気付いた。カップが綺麗に三つ分、置かれたままだった。


「片づけていけよ!」


 部下への評価は複雑化する一方だ。

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