第7話 計画
東大陸侵攻を現実のものとしたモルト軍は宇宙からの降下部隊の前に、ウィレ・ティルヴィア陸軍を撃破。ウィレ軍は全線にって総退却を開始した。
急報は間髪入れず、惑星全体を駆け巡る。
「モルトの連中は海から来るんじゃなかったのか」
「東海岸は完全に連中の手に落ちた。新しい防衛線を築く必要が―」
「大陸鉄道をどこから遮断するか、交通部と図らなくては……」
公都シュトラウスもまた例外ではない。ウィレ・ティルヴィア軍最高司令部―城砦を思わせる巨大なビル内―に、敵が侵攻した旨が伝わり切るまで時は要しなかった。
ウィレ・ティルヴィア軍参謀部は混乱の渦中にある。侵攻からたった数時間。その数時間で何世紀もかけて築き上げたウィレ・ティルヴィア東大陸-トシュ・アーシェ-の防衛網が陥落の危機に晒されている。
その混乱を見つつ、このほど作戦参謀部少佐となったシェラーシカ・レーテは召集に応じ、アーレルスマイヤーのいる司令部へと向かっている。巨大な黒硝子張りのオフィスを抜け、無駄に広いロビーを通ってエレベーターに乗り、最高階より一つ下の階にいる上官の下へ。
「……エレベーター移動なのになんでこんなに息が切れるんでしょうね」
「知らん。平和な時代に造った最高司令部なんてこんなもんだろ」同行する副官のアレンが無礼極まりない投げやりな態度で応じる。
「だが、ベルツもこれで終わりだ」
「それも絡んでの用件でしょうね」
樫作りの扉を叩き、そのまま入室する。アーレルスマイヤーは既に執務机にあり、同室者と共に顔を上げて入室者を見やったところだった。
胃痛を持っていそうな神経質な顔立ちだが、頭の切れそうな中年の男性佐官と、意地の悪そうな笑みを浮かべている年配らしき女性佐官。男性佐官の方は、シェラーシカを見て驚いた表情を浮かべていた。
「よく来た少佐。一報は聴いているだろうな」
「はい、将軍。それで御用件は?」
「モルト軍の侵攻ペースはやはり想定以上だ。だが、知っての通りだ。上の階にいるお偉方はまだ自分の椅子にしがみつくつもりでいる」
アーレルスマイヤーは肩を竦めて見せた。同室者のやや年配の女性佐官は意地の悪い、魔女のような笑みを浮かべている。
「そこで"計画"の指揮所を前線に移す。必要であれば後方へ、あるいは前線へと移動させながら―」
「……計画が完了次第、"それ"を投入するおつもりですか」
「それしかないことは、君がよく知っているはずだ」
シェラーシカは踵を合わせた。それが肯定の代わりだった。
「君に、ここにいる二人を紹介する。アン・ポーピンズ中佐とロペス・ヒューズ少佐だ。いずれもこの戦争が始まる前にグラスレーヴェンを凌ぐ機動兵器の導入を唱えていた者達だ」
「演説は聴いたよ。随分な戦乙女っぷりじゃないか」アン・ポーピンズと紹介された赤毛の中年女性は意地悪そうな笑みを浮かべたまま、椅子から立つこともない。
その肩を叩いて立つように促している男の方は、彼女を咎めているのだがまるで意に介されていない。「ロペス・ヒューズ……少佐です。よろしくお願いします」
アーレルスマイヤーは椅子に掛け直しながらシェラーシカに席を勧めた。軍帽を脱いだシェラーシカの亜麻色の髪が揺れ、アンの表情が毛並みの良い猫を見るようなものに変わった。
「見ての通り、変わり者でな。だが、優秀だ」
そこに対して、シェラーシカも何か言うべきか迷ったようだが、ひとまず笑みを浮かべて会釈をするにとどめ、アーレルスマイヤーの勧めた席へとつく。
「……それで、我々はどこへ向かえばよいのでしょうか」
「ノストハウザンに向かってほしい」
ノストハウザンは公都の玄関口ともいえる大都市で主要幹線道路がここで一度集まり、さらに東部へと広がっていく。いわば"ジャンクション"だ。軍用施設も多く、都市部にはカジノなど娯楽施設が並び立つ。
金に彩られた市街は"黄金都市"と称され、宇宙規模の観光名所にもなっている。
ウィレ・ティルヴィア公都シュトラウスの前にそびえたつ、最後の大都市でもある。
「ノストハウザンで、その兵器の開発を進めている。すでにパイロットの候補選定も済ませてある。後は君に見てもらい、現地に到着するまでに最終的な絞り込み、だ」
アーレルスマイヤーから分厚い書類の束を受け取り、シェラーシカは頷いた。目に見えて口数が減っている。少女だったころの面影もまるでなく、引き締めた表情は歴戦の参謀のそれと同じだ。
「隊長は―」
「そうだ。この兵器とその部隊を使いこなせるのは、その男しかない」
「……ジスト・アーヴィン大尉。対機甲歩兵」
ロペスとアンも頷いた。この部屋にいる者は皆、その名前を知っている。といっても英雄や切れ者としてではない。変わり者としてだ。
「上への態度が強すぎて、ベルツには特に疎まれて万年大尉と言われていた男だ」ロペスの親切すぎる解説に、アンが鼻で笑った。「基本、ベルツは追従者しか置かないからね」
資料を読み込みながら、シェラーシカは確信を深めた。ここにいる部屋の面々はみな、反ベルツ派と見てよいだろう。そして新兵器に携わるものについては軍部の現体制からは外れている者、あるいは"まったくその要素を持たない者"が必要とされている。
つまり。
「我々が扱う新兵器は、よほどの劇物ということですね」
「そうだ。恐らくこの戦争中も、その後も、その何十年先も、ずっと尾を引くものになる」
シェラーシカは悟られないよう、僅かに身震いした。この一室で進む計画はきっといにしえの禁忌-核兵器-の開発に匹敵するものになる。
「グラスレーヴェンが用いる武器そのものが、戦術兵器の枠を越えつつある。聴いたかね。敵は窒素兵器を使うようになったとのことだ」
「窒素兵器を? だってあれは―」
「そうともお嬢様。兵器となる窒素の安定化にウチでさえ苦労している品物だ。それを景気よくタマとして撃ち出すんだ。やがてウィレの技術はモルトに追いつけなくなる。そうなれば、どんなものを作ったってウチが負ける」
シェラーシカの中で全ての疑問に対する答えが繋がった。だからこそ、前線で技術を盗みながら兵器を完成させなければならない。
「それと……現地で計画を推進する重工業の人間と会ってもらう。我々にも我々の"アルスト機関"が必要だ」
「それは?」
「サムクロフト重工だ」
サムクロフト重工。ウィレにおいて人間工学、生体力学において右に出る者がいないと言われる重工企業である。平素はアンドロイド、疑似生体、義肢、義体を手掛けているのだが、なるほど、グラスレーヴェンを上回る"
「私からは、以上だ。私はしばらくシュトラウスに残らねばならんが必要とあれば貴官と密に連絡を取り合う準備はできている。よろしく頼む」
「……承知しました。では、シェラーシカ・レーテ少佐、これよりノストハウザンに向かいます。ポーピンズ中佐、ヒューズ少佐、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます」
シェラーシカは恭しく同階級の"人生の先輩"に頭を下げた。アン・ポーピンズはやれやれ、と首を振った。肚を括りきっているならば、小娘といえ馬鹿にしたところで手ごたえもない、という感であった。
その日のうちにシェラーシカは静かに、公都の大混乱を後にして自分の赴くべき前線へと向かった。グラスレーヴェンを迎え撃つ"計画"はこうして静かに動き出した。
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