第8話 戦線を穿つ者-1-
大陸歴2718年4月。
春になった。
空は青く、雲は高く、風と陽光はいくらかの熱を持っている。砲声は遥か彼方で、耳に捉えるにはあまりに遠すぎた。
ウィレ・ティルヴィア東大陸公都シュトラウスより東へ500カンメル。
このノストハウザンから、戦場はまだ遥か東の彼方にある。
「地下施設もここまで複雑だとまるでアリの巣だねぇ。人間の住むところじゃない」
「ポーピンズ中佐。私語は―」
「誰か訊く人間がいるとでもいうのかい、ヒューズ」
「はぁ……貴方に言ったところで無駄でしょうが」
ウィレ・ティルヴィア軍の制服を着た中年の男女が急勾配の下り通路を降りていく。外の暑気から隔絶された狭苦しい下り坂は、ひたすらに暗い。
「そもそも、ここは軍用車で降りる通路でしょう。徒歩でなんて……」胸ポケットに入れたハンカチで汗を拭いつつ、ロペス・ヒューズ陸軍少佐は愚痴った。
「軍用車なんて一々使ってたら、今に健康診断で生活習慣病予備軍だよ。我らがタヌキ親父もついに引っ掛かったそうだ」
アン・ポーピンズ陸軍中佐は、顔色一つ変えず、嬉々とした様子で地下へと降りていく。遅れ気味の部下など気にも留めない。
「大佐が?」
「それにね。この通路で先週、部外者を乗っけた軍用車が右側壁に衝突し―」
「―乗っていた将校は即死。前も聴きましたよ」
アンは鼻を鳴らした。暗闇の中、それが鼻で笑ったのだとロペスが把握するのに、数瞬を要した。
「―乗っていたのは宇宙軍の将校……なんで部外者がこの通路を知っていて、しかも都合よくおっ死んだかをアタシらは考えなきゃいけない」
「ここは曰くつきだらけ。二世紀前から何も変わってない、ということですか」
かつては最終戦争の核攻撃退避壕。そして今はウィレ・ティルヴィア軍の数ある地下施設の親玉の一つ。
「そんな曰くだらけの
彼らは巨大な―歩兵一個小隊が束になっても開けられそうにない―鉄扉の前に辿り着いた。アンがカードキーを左手に持ち、右手にかざした。掌から右腕が幾何学模様の青白い光を放つ。
「ここは中でもとびきり曰くのある場所になるだろうさ。―起動」
アンの右腕に埋め込まれたナノマシンが巨大な鉄扉に開錠の指令を下す。
「こんなものが無いと入れない。ここは魔窟だ。―発信」
ロペスも倣い、左手を差し出す。同じように発光した
「さあ。御用だよ怪物ども。お勉強の時間だ」
アンとロペスは部屋へと踏み入り、暗闇を見上げた。視線の先には形容しがたい鋼鉄の塊が身じろぎもせずに鎮座している。
―パイロットデータ入力を開始―
☆☆☆
子どもの頃から
子どもの頃のことだ。テレビを見ていた。世界の悲劇を扱う、慈善番組か何かだった。画面の中の大人たちは飢餓や紛争に苦しむ人の映像を他人事のように眺めながら、我が事のように神妙な顔つきで頷いている。子ども心に、腹が立って仕方がなかった。
その画面の中で、飢餓により、がりがりにやせ細った子どもが、荒野のど真ん中をうつ伏せに這っている。周りには
「お母さん、どうしてこの人たちは、この子を助けようとしないの? カメラを撮っている人は、なんでこの子を助けなかったの?」
母はその問いに目を丸くしたが、やがて諦めにも似た微苦笑を浮かべ、自分を諭したのだった。
「世界には、どうにもならないような辛いことがあるのよ」
納得がいかなかった。突いて出た言葉は―。「―それなら、僕はこの人たちを助けるヒーローになる」
「そうね、あなたならきっとなれるわ。カザト」
幼い頃に立てた誓いと願いが、自分を導き始めた。やがて子どもの時代は終わり、少年は青年となった。そして、あの頃のようにモニターに映し出された光景は、恐るべき戦争の危機だった。
モニターを前にして、自分は決めた。
立ち上がるなら、今しかない。その時が来た。
そうして今から3か月前、自分はウィレ・ティルヴィア陸軍に志願入隊した。
結果、己の無力を痛感する羽目になった。一志願兵の自分などに人を救えるほどの力はなく、戦場にすら出してもらえない。故郷といえる惑星の大部分が頭上からやってきた侵略者の手に落ち、その事実に触れるたびに無力感に苛まれた。
そんな矢先だった。休憩室で無力感を抱えていた時。得体のしれない中年の女性佐官がやって来て、自分の襟首を掴んでまじまじと顔を覗き込んだのは。
女性佐官はにやりと魔女のような笑みを浮かべて言った。「いい面構えだ」と。その後に彼女はこう言い放った。
―ガキンチョ、英雄になりたいならついて来な。
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