第33話 モルトランツの昼-少尉と部下の場合-


 市庁舎の一階を進み、彼らはかつて副市長が使っていた大部屋に入る。ここが作戦会議室だ。キルギバートは末席に座り、数拍遅れてやってきたデュークが入室するなり首根っこを掴まれて最前列への着席を促されていた。


「師団司令部の策定はこれからですか」と、ケッヘルが尋ねた。

「恐らく本日中にゲオルク・ラシン閣下より指示があるはずだ。施設の重要度からいけば、明日からこの市庁舎はラシン閣下の本隊専用になるだろう」

「であれば、また引っ越しですな。荷降ろしは最小限度にするよう部隊に通達します」

「任せる」


 ケッヘルが一礼して指示を下すために退出する。時計の針は0640時を指していた。ぞろぞろと士官が集まり始める。あっという間に席が埋まり、立ち聞きの者も出るようになった。モルトランツを最初に攻撃した際、壊滅した部隊を吸収しながら今日まで至ったのだから、士官の数もそれなり増えている。歩兵、砲兵、兵站士官など兵科も様々だ。


 定刻となった。部屋に戻ったケッヘルが号令をかける。全員が起立し、グレーデンに敬礼を送る。グレーデンも答礼し、着席を促す。もう何度目になるかわからないやり取りだ。


「知っての通りだ。西大陸は今や我々モルト軍が完全に制圧した。これは諸君らの奮戦の賜物だ。司令官のひとりとして礼を言う」


 休息をとった士官らにもようやく実感が湧いてきたようで、部屋には一種の高揚感が満ちている。時は良し。グレーデンは言葉を継いだ。


「モルト・アースヴィッツ総軍の最高司令部より伝達があった。グローフス・ブロンヴィッツ元首閣下が、本日夕刻、モルトランツに降下される」


 部屋にどよめきが起きた。前列の二人だけがさほど動じなかった。デュークにはグレーデンが既に伝えていた。キルギバートにはケッヘルが伝えているが、彼の方は背筋を改めて正すように身じろぎしている。


「元首閣下はここをウィレ・ティルヴィア侵攻の最重要司令部に位置付けられた。そして自ら我々モルト軍将兵の閲兵を行うとのことだ。そして、閲兵を第一に承る部隊についてだが」


 部屋が静まり返る。


「その栄誉は、ゲオルク・ラシン閣下の第一軍において先陣の任に当たり続けた、我々のものとなった」


 部屋中が湧きかえる。隣同士で肩をたたき合って喜ぶ者もいる。


「閲兵式においてはゲオルク・ラシン閣下と共に国旗、軍旗を擁して先頭を進む。これはモルト・アースヴィッツ独立後の有史において、最大の名誉だ」


 鬨の声に似た歓声と拍手が自然と沸き起こった。


「閲兵式は明日正午に執り行われる。モルトランツ市民も臨席させ、恐らく今世紀最大の閲兵式となる。これを上回る規模のものは我々が惑星全土を制圧したその時に行われるだろう。閲兵式の演習は無い。諸君らの指揮のもと、整然とした行軍を元首閣下にお見せできることを期待する。……キルギバート少尉!」

「は、はっ!」


 キルギバートが立ち上がった。喉元が引きつったように上下している。


「閲兵式の先導はグラスレーヴェンが務める。負傷した少佐に代わり、この隊の先導を務めるのは貴官だ」

「頑張れよ」


 にやりとデュークが笑い、キルギバートの背中を叩いた。はやす者もいる。


 その後の会議は閲兵式の日程、そしてその後の待命までの打ち合わせと続き、昼までに終了した。グレーデンは散会を宣言し、士官らはそれぞれ宿舎や配備に戻っていく。


「副官、少佐、少尉!」グレーデンは大声で呼び止めた。「昼食にしよう。この星の飯にも慣れておかねばな」


 侵攻より半月を経て、モルト軍の食糧事情は充実したものに変わりつつある。ウィレ・ティルヴィア東大陸の食料生産施設の接収や軍営化が進んだためだ。大陸一つを支配下に置いた恩恵は軍の予想をはるかに超えていた。100万の軍隊を養うに十分の衣食住を手に入れたのだ。


「これが牛の肉か。初めて見た」


 その恩恵が形となって目の前に現れた。

 目の前に差し出された分厚い肉のステーキを前に、グレーデンらは生唾を飲み込んだ。モルトにおける「肉」とは『合成肉(動物性栄養素で作られた繊維の塊)』か、安価な鶏や豚の細切れのことだ。値が張る牛の肉などは滅多に出回らない。出回ったとしてもすぐに身分ある者に買い占められてしまう。


 「痩せ犬」という言葉がある。ウィレ人がモルト人につけた不名誉な渾名の一つで、ウィレ人にとっては「犬の餌並みの食事」で日々満足している宇宙移民への蔑称でもある。当然、そうした食料で最大限に旨味を感じる食文化もモルトにはある。しかし物的な質の差は悲しいかな、覆しようがない。


 一時、ウィレ・ティルヴィアとモルトの関係が融和へと向かった時には食料の輸出は幾分豪勢になったが、それも短期間に終わってしまった。当然、恩恵にあずかったものはごく僅かだった。


 熱々の鉄板の上で油を跳ねさせながら香辛料の匂いを漂わせる肉の塊にはしっかりとした赤身がある。モルト人にとって、ウィレでの食事こそが最大の勝利の証だ。


「う……!」


 一人を除いて。キルギバートは牛肉を前に一時の空腹を感じたが、すぐに手洗い場へ駆け出した。


―しまった!


 呻くように言ったのはデュークだった。キルギバートは戦いの後の「修羅場」を見続けてきた。赤身と焼けた肉が何を連想させるか、考えるべきだった。


 キルギバートを追って足を引きずりながらデュークが中座し、ケッヘルはキルギバートの食べるはずだったステーキを調理員に頼んで「白身魚のスープ」に換えさせた。幸いにも食事が冷めるより早く、キルギバートは戻って来た。やはりひどい顔―朝からずっとだったが―をしていた。


 席に戻って来たキルギバートは、自分の席に置かれた食事が一度下げられたことに気付いてうなだれた。


「―お気遣い、ありがとうございます」


 やっとのことで呟くように言ったキルギバートが、グレーデンには哀れに思えて仕方なかった。彼にとって肉がご馳走であることに変わりはない。しかし、受け付けないのだ。


「少尉には代わりの食事を用意させております」ケッヘルの言葉に、グレーデンは頷くしかない。

「戦争を早い所、終わらせないとな」


 水を飲むよう勧め、キルギバートを落ち着かせたところに、代えの食事がやってきた。湯気を立てる潮の汁に、脂ののった白身魚が野菜と一緒に輝いている。養殖の生簀魚ではない。海魚―高級食品―だ。匙で口の中に食事を運んだキルギバートの顔に、いくらかの輝きが戻った様子を見てグレーデンは安堵した。


「肉はどうする?」

「……私の代わりに骨を折ってくれた部下に、持ち帰ってやりたいと思います」


 キルギバートの言葉に頷き、グレーデンは「可能か」と厨房員に問うた。ウィレ人の―恐らくは戦争前からこの食堂で働いていた―厨房員は青い顔をしながら「可能です」と答えた。肉はすぐに厨房で切り分けられ、保温容器に入れられて新しい主人を待つことになった。


「ウィレの食事は侮れませんな。これが士官だけでなく、下士官や兵に行き渡るようにしなければ」デュークは口いっぱいに肉の切り身を頬張り、舌鼓を打っている。

「ベーリッヒ元帥も同じことを仰っていた。特にグラスレーヴェンのパイロットには最優先に、とな。機動隊員の出撃時間は200時間を超えている」


 豪勢な食事をしながらも、話すことは普段と変わらない。そこに新たな人員が一人増えただけで。


「どうだ、少尉。ウィレでの食事は」

「肉も好物でしたが、魚はもっと好物になりそうです」


 グレーデンは声を上げて笑った。彼の上官も大いに面目を施した様子だった。


 昼食が終わった後、宿舎に戻って来たキルギバートを出迎えたのは例によってブラッドとクロスだった。既に皆、明日の閲兵式の事は聴いている様子だった。少々の生気を取り戻した銀髪の青年は二人に保温容器を押し付けて無愛想に「土産だ」と言うなり、割り当てられた部屋に帰って行った。


「なんだよ、つれないなあ」

「昨日、床で寝たんで機嫌がよくないんですよ」

「クロス、なんでお前知ってるんだよ」

「少尉の部屋の扉が開けっ放しになっていたんで……。とはいえ、寝床に運べるだけの体力もなかったからそのままにしておきましたけど。なんか寝る前にブラッドさんと揉めたそうじゃないですか? あれで少尉も限界だったんでしょ?」


 悪いことしちまったな、と呟きながらブラッドは保温容器を開けて仰天した。


「お、おいおいおい、クロス!」

「何ですか……って、これ、は……」


 肉だ! と二人は叫んだ。

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