第31話 キルギバートのいちばん長い日-3-

 クロスは地面に寝ころびながら言った。地面に生えている草からは"お日様のにおい"がする。虫がいて、風にもにおいがある。日差しは温かく、陰ると涼しさを感じる。モルトとはすべてが違う。こんな環境にいられることが貴重な経験だから、易々とウィレから離れるのは惜しい気がする。


「次はいつウィレに来られるんでしょうね」

「……そうだな」


 俺もクロスにならって仰向けに寝転んだ。モルトでこんな事をしようものなら変人扱いされるか、道を走る車両に轢かれてしまう。が、ここには何も拒むものがない。


 視界いっぱいに青空が大写しになり、白い雲が時折煙のように流れていく。何とも言えない、素朴な気分に浸りながら時間の経過を忘れる。


「少尉」

「んー?」


 思わず間の抜けた声が出た。起き上がると、クロスがこちらを見ていた。顔は笑っていたが、目が笑っていない。


「隠し事してるでしょう?」

「―何の事だ」


 言いつつ、俺は表情を隠すために携行していた飲料水のパックを口に含んだ。


「戦争続くんでしょ?」

「まじで!?」ブラッドが叫んだ。


 ぶっ、と俺は口に含んだ水をいくらか吐き出した。その拍子に気管にも水が入り込んだらしく、むせかえりつつ胸を叩く。こいつは人の心が読めるのかと恐ろしく思う半面、隠しおおせる自信はなかった。これでバレたかと観念するしかない。


「嘘が下手なんですよ。会議が終わった時、少尉の顔を見てからずっとそんな気がしてたんです」


 クロスがそう思った理由は他にもあった。大体が、司令の話したことと同じだった。ウィレに住む人間にとっては、ここが故郷なのだから。


「いや……うん。まあ、そういう事だ」


「いや違う」そう言いたかった。自分にはそう言えるだけの図太さがないのか。それとも臆病なのだろうか?


「いやあ、カマかけたんですが大当たりでしたね。でも、それで良いと思います。少尉らしいし」


 俺がこれほど悩んでいるのに! 口に出すのは我慢したものの、幾らか頭に血が上るのを感じる。


「お前、上官を測るつもりか」

「そりゃまあ、確かに上官ですが同期ですし。言いたいことが言える時にずばっと言わないと駄目になるでしょ。少尉って」


 昨日の砂浜での様子を見られた後では何も言えず、黙り込んでしまう。自分がもっと口の達者な人間であればどんなによかっただろう。でも、それはそれでクロスともブラッドとも上手く行かなかった気がする。結局、自分のことをよく知っているからこそつるんでいるのだ。そしてたまに階級の垣根を越えて踏み込んでくれるからこそ、今この瞬間にもちょっとした安堵感を抱いてしまうのだろう。


「そっかぁ。続くのか、戦争」


 ブラッドは幾らか驚いていたが、それでもクロスの言葉を聞いて幾らか納得した様子らしい。


「ま、こうなりゃ行くところまで行くしかないでしょ」

「我々はそのためにウィレに来たのですから」


 俺は流れる雲を見つめていた。はじめに感じていた息苦しさはどこかへと去っていた。

―それよりも。


「それより、あのモルトランツの子どもたちは大丈夫かなあ」


 クロスの呟きだった。何かと思っていることを先回りする奴だと苦笑いしたくなるが、つまるところ同じことを考えていたのだろう。悩みが一つ減るたびに、心配事が一つ増えていく。俺はモルトランツで出会い、遊んだ子供たちの顔を思い浮かべていた。サミーは元気だろうか? 激しい戦いだったが、市街地はあおりを食っていないだろうか。


「落ち着いたら、会いに行こう」


 帰りもまた過酷だった。市の中枢に至るまでの道が全てモルト軍部隊で埋まっていたため、至る所で大渋滞となった。一番幅を食うのがグラスレーヴェンであることは言うまでもない。跳躍で一っ飛びと行きたいがブースターの噴射で味方を吹き飛ばすわけにはいかない。結局、俺も、隊員たちもコクピットでぐったりしたまま一日かけて西大陸の都にたどり着いた。俺達がモルトランツに帰還したのは翌23日の昼のことだった。じっとしていて死にそうになったのは、後にも先にもこれが最初で最後だろう。


 市庁舎にたどり着いたのはさらにその日の夕方で、グラスレーヴェン部隊は市の目抜き通りに整列して駐機することとなった。


「なんで公園じゃないんですかねぇ?」と、クロス。

「盗まれることはないだろうな」これはブラッドだ。


 車泥棒じゃあるまいし、パイロット認証があるから大丈夫だろうと適当に返した。今は何より睡眠が欲しかった。駐機を終えて、ワイヤリフトでコクピットから地面に降り立つと、疲労から来る足の重たさで千鳥足になった。酔っ払いのように歩道を歩く。ブラッドもクロスも同じような感じだ。途中、すれ違う市民から幾度も嫌な顔をされた。戦場の臭いをぷんぷんさせて、しかも千鳥足だ。酔っ払っているとでも勘違いされたらしい。だがそんな事はどうでもいい。一刻も早く割り当てられた宿舎に辿り着きたい。


 歩いて十数分(俺達には永遠のように感じられたが)のところにあるホテルが俺達に割り当てられた宿舎だった。このホテルのオーナーが逃げ出し、軍が接収したという。戦争の前までは実入りの良い客が宿泊していたらしく内装は豪華だった。石英(クリスタル)で作られたシャンデリアや、金の押された燭台はモルトではなかなか見ない代物だ。このホテルが丸々、グレーデン師団の宿舎になる。


「なんで、なあんでぇ!?」


 ブラッドだ。部屋割りが気に入らないと喚いている。相部屋でしかもベッドが足りないので下士官までは一室に4人、しかも雑魚寝だ。士官は一部屋持ちだ。


「少尉ずるい! 俺だってふかふかのベッドで寝たい!!」

「やかましいっ!」


 俺もとうとう癇癪を爆発させた。ここでブラッドといつまでも喋っていたら夜が明けてしまう。こちらは早く眠りたい、ただ一心だ。クロスはちゃっかりとロビーのソファーを占有し、居眠りの体を装って眠りこけていた。ホテルのロビーはそこかしこに転がって眠る隊員たちの墓場と化している。


「馬鹿者ッ。何をやっているか!」


 そこへグレーデンの副官、ケッヘルがやって来た。眼の下にひどいクマを作っていた。理由を早口で話し終えると、目の前がふらふらし始める。


「不満があるなら営巣へ入るか」師団司令部付き副官のこの男に睨まれると、大概の下士官はおとなしくなる。ブラッドも例外ではない。

「少尉も副官殿も正士官だからいいですな! 俺も早く少尉になってやるもんね!」


 当てつけるように吐き捨ててブラッドはエレベータに乗って割り当てられた部屋に去って行った。ケッヘルは苦い表情を浮かべ、俺に向き直った。お互いにひどい顔をしている。


「部下と仲が良過ぎるのも考え物だ。少尉」

「申し訳ありません。副官殿」

「士官の権威、ひいては軍の秩序に関わる。気を付けることだ」


 踵を合わせて応じる。何か言おうにも口さえ重たく感じてきた。不意にケッヘルが耳元に口を近づける。俺は思わず硬直した。この手の内緒話はよからぬ兆候だったことが多い。


「国家元首閣下が、ウィレに降下される」


 なんだ、良い知らせじゃないか。そうか、国家元首閣下―ブロンヴィッツ閣下も、ここに。


「元首閣下がここに!?」

「声が大きい。……閲兵式も決定している。少佐が負傷している今、隊閲兵の指揮を執るのは貴官だ。この情報、連隊中枢以外には決して漏らすな。明朝0600時まで休息を取ってよろしい。0700時に司令部へ単身出頭せよ」

「りょ、了解しました。明朝0600時まで休養し、0700時に出頭致します」


 副官殿が去ると、俺は近くの壁に額をもたせかけてため息を吐いた。ごんごん、と何度か壁に頭を打ち付ける。悩み事がまた一つ増えた。頭を打ち付けたところで解決するわけでもないのだが。


 眠い。


 俺はエレベータに小走りで駆け込み、そのまま5階の部屋を目指した。エレベータの扉が開くと部屋は幸運にもその向かいにあった。ドアノブを開け、数歩の先には見た目だけでわかるほどにふかふかの寝台が俺を待っていた。兵営の簡易ベッドではない、まともな寝床で眠れる―。


 気付いた時、俺は仰向けに倒れたまま、目前のベッドを見上げていた。


 充電切れだ。


 ベッドまでのあと数歩が遠かった。遠すぎた。まさか俺まで床で寝る羽目になろうとは。意識が途絶える瞬間、せめて寝台で、と未練がましく思う。


 ちくしょう、ブラッド、お前のせいだ。


 脳が麻痺し、俺は暗く、黒く、深い世界へ引きずり込まれていく。


 俺にとって長すぎる数日間が終わった。

 そして新しい朝がやってくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る