第28話 ある軍人の最期


 砲声が鳴り止んだのは午前6時。日の出より僅かに前のことだった。

 ウィレ軍は猛々しく戦ったものの、それ以上に猛り狂ったモルト軍の前に駆逐された。


―夜が明ける。


 砲声はほぼ絶え、静まり返った海岸では生存の見込みのない敵兵に慈悲の一撃を加える銃声が響くだけであった。海岸へ降りるための丘にグラスレーヴェン部隊は集められ、整列したまま水平線を睨んでいる。鋼鉄の機体の足元の地面には、死と破壊が混在して転がっている。最早残骸か遺骸かの見分けがつかないほど踏み荒らされた戦場を見て、モルト兵たちは勝利の雄叫びも上げることなく、静かに思いを致していた。


―これでやっと終わった。西大陸は自分たちが"取り戻した"。


 2世紀の時を経て、西大陸はモルトの手に戻った。自分達は西大陸へと帰ってきたのだ。もうここは、余所者の土地ではない。故郷をウィレ軍から取り返した。喜ぶべき勝利だ。

 だが、そう思っても快哉を叫ぶ者はいなかった。見渡す限りの死、そして24時間に及ぶ戦闘が彼らの心を鈍らせていた。勝利の喜びを感じる以上に、彼らは思っていた。やっと終わる。眠れるのだと。


 手当もそこそこに出撃したため、戦傷が悪化したデュークと別れ、グラスレーヴェンを降りたキルギバートは、すぐに海岸を這う影を認めた。


「……あれは?」



 スミス・エドラントは波打ち際を這っていた。両肩、左足、さらに腰と腹部に銃創があり、額はざっくりと割けて頭蓋骨が覗いている。這うとはいっても、行き先はない。幕僚も部下も、全てスミスよりも先に死出の旅についた。感覚は気怠さと痛みに支配されている。息をすると穴の空いた肺から「ひゅう」と歪な音が漏れた。


 司令壕を出て、最期の抵抗を選んだスミスの敢闘は1時間ともたなかった。グラスレーヴェンを前にして、歩兵の小火器はあまりに無力だった。


 凄いものを見たものだ。スミスは橙色からやがて青に変わっていくだろう東の空を眺め、思った。戦争の歴史が変わった瞬間に、自分は立ち会ったことになる。それだけでも、死を前にした今となっては果報な事だとさえ思う。スミスは這うことをやめて、波打ち際の海水に腰を浸しながら座り直した。


「ごふっ」


 息を整えようとしたが、もはや肺にたまった血液が逆流して口から溢れ出すだけだった。ここで死ぬのだとスミスは覚悟した。背後に足音を聞いて、スミスは首を回して振り向いた。パイロットスーツを着たモルト兵がブラスターを提げて立っていた。


 抵抗するにも、這うのがやっとではどうにもならない。スミスは力なくうなだれた。もう心底、疲れていた。


<将官と、お見受けします>


 ぎこちないシュトラウス語が耳に入り、スミスはもう一度だけ後ろを振り向いた。


「若い、な。名は?」モルト語で答えてやった。

「―モルト・アースヴィッツ機動軍、キルギバート少尉。そちらは」

「ウィレ・ティルヴィア陸軍、西大陸防衛部隊司令。スミス・エドラント」


 モルト軍の青年将校の顔がこわばった。スミスは咳込みつつ、視線を海の彼方へと戻した。


「頼みがある」

「……承ります」

「もう目が見えん。私の目の前には、何がある」


 海水に自分の命が吸われていく。スミスは見えぬ目を見開いて前を向いていた。しかし灰色の靄がかかり、自分がどこにいるのか、何を見ているかさえ定かではなかった。キルギバートは波打ち際へと歩み出た。


 そうしてスミスの真横に立ち、一つ息を吸って口を開いた。


恒星たいようです。閣下。夜が明ける」

「我々の艦隊は、まだ、見えるかね」


 キルギバートは目を細め、水平線を凝視した。


 スミスにとっては永遠とも思える数秒の後、ぎこちないシュトラウス語が耳に届いた。


<見えません>


 キルギバートはスミスの傍らに膝を折り、静かに告げた。


<戦いは終わった>

「そうか。……ああ、よかった」


 今の安堵で、残された寿命の大半が削れた気がしたが、もはや些末な事だった。


<……最後に何か言い残すことは?>

「私の家族に。感謝と、愛している、と」

<必ず、お伝えします>


 スミスはそれを聞き、満足げに口元を綻ばせた。その口からごぼ、ごぼと血が溢れかえった。己の血に窒息しかけ、身体をのけ反らせて痙攣する将官に、キルギバートは眉根を寄せた。鉈剣を抜く。


「介、錯、を―」


 キルギバートは、鉈剣を額の上へと構えた。

 彼の故郷の国技であるモルト剣術の構えだった。


<一刀で>


 スミス・エドラントは頷いた。


―私も海へ。


 残された力を振り絞って折り曲げていた膝を伸ばす。目を開いた。キルギバートが柄にかけた指を握り込む。


 スミスの眼が、開かれ、本当に見開かれた。

 剣先が振り下ろされるべく、天を突いた。


―海へと還るのだ。


 目の前にあるはずの朝日を掴むために、両手を前に伸ばし―。


「―ッ!」


 スミス・エドラントの戦いは終わった。


 鉈剣を振り下ろしたキルギバートは、口元を抑えた。猛烈な吐き気が襲い掛かり、もはや残っていないはずの胃の中の物が喉元まで逆流する。

 だが、こらえた。ここで吐くことは、目の前の"軍人"に対して礼を欠くと思った。

 思い諸共、すべて飲み下し、瞑目した。

 静かに首を垂れた。

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