第27話 シェラーシカの生きる意味

 西大陸におけるウィレ・ティルヴィア軍は、組織として崩壊した。


 依然として砲声は激しさを増しているが、その大部分はモルト軍の火砲によるもので、ウィレ・ティルヴィア軍の抵抗は絶え絶えとなっている。

 通信すら機能せず、兵士たちは互いに声で励まし合って意志疎通するより他にない。

 引き揚げる者も、どの艦艇に乗り込めばいいのかさえわからず、満載になった上陸艇は兵士たちが舷側にぶら下がったまま砂浜を離れたり、運の悪い所では転覆したり、グラスレーヴェンに目敏く捕捉され海上で粉砕される例が相次いだ。


 その砲火の中で身を寄せ合うようにして陣形を組み、抗う一個の集団があった。ウィレ・ティルヴィア陸軍大尉、シェラーシカ・レーテ率いる一個大隊であった。


「隊長。もう駄目だ。エドラント将軍の命を聴いたろ。退くしかない」


 砂浜を掘って作った簡易な壕の中で、彼女の副官のアレン・リーベルトがヘルメットを抑えながら言った。


 大隊は防御陣地を構築して重機関銃や迫撃砲での抵抗を続けているが、それも弾が尽きれば潰えてしまう。しかし、シェラーシカは迫りくるグラスレーヴェン部隊を見据えたまま首を横に振った。


「私は残ります。兵士たちを見捨てることなどできません」

「将軍の意志を無下にするつもりか!」


 シェラーシカは苦悶の叫びを上げてヘルメットを砂浜に叩き付けた。ヘルメットが脱げた途端に海水と血漿、炎に傷んだ亜麻色の髪が風になびいた。


「兵士たちをここに連れて来たのは私です! 命を預かると言ったのも私です! ここで逃げ出すくらいなら死んだ方がマシです!」 


 着弾の爆発が至近で次々に起こるも、シェラーシカはその場を離れようとしなかった。破片が次々に襲い掛かり、身体には多くの傷が刻まれ、血も滲んでいる。


―こうなれば殴り倒して昏倒させるしかない。


 アレンが拳を握った時であった。


「ごたごた抜かすな! 女のお前に何ができる!」


 壕の後ろで迫撃砲を撃っていた兵士がシェラーシカに人差し指を突き付けて叫んだ。それに和するように無反動砲を持っていた別の兵士が喚く。


「良い恰好したがりの小娘が! お前みたいなのはとっととシュトラウスに帰れ!」

「な……!?」


 棒を飲まされたように立ち尽くすシェラーシカに、次々と容赦なく「帰れ」の声が浴びせられた。


「高貴なお生まれのお嬢様! 俺たちはアンタをずっとずっと羨んできた! 俺たちはどんなに努力しても将校になれない。それをアンタは! シェラーシカの家の生まれと言うだけで、17の分際で大尉だ! そんなお嬢様を上司に押し付けられ、俺はずっとアンタを憎んできた! 戦場で死んでしまえと思っていた」


 貴様、とアレンが叫び、そして気付いた。


 兵士たちは涙を流していた。


「だがアンタは違った! 俺たちと一緒に砲弾の嵐の中でもビビらずについて来てくれた! 他の連中が我先に逃げ出す中で、アンタは最後までここに残ったんだ!」

「アンタは立派な人だから! だから、俺たちはアンタに生き延びてほしいんだ!」

「ここは俺たちで食い止める、早く逃げてくれ!」


 幾秒かの間を置いて、シェラーシカは手に持っていた小銃を取り落として膝を折った。無力感に打ちのめされ、肩を震わせ、涙と鼻水を流してうずくまるシェラーシカの背中に、兵士たちは次々と言葉を投げかけた。


「はやく、はやく逃げてくれ!」

「シュトラウスに帰って、偉くなって、この戦争を終わらせてくれ!」


 兵士たちが壕の砂を蹴り、砂浜へと飛び出していく。叫び声を上げてグラスレーヴェンに向かう兵士たちの背に、シェラーシカが目を向けた時、背後からアレンが組み付いた。


「駄目、待って! 離してアレンさん!!」

「わかっているのか!? あいつらはお前を守るために死んでいくんだ! ここでお前が意地を張って残れば残るほど、お前のために兵士が死んでいく!」


 シェラーシカの視線の先で炎が地面を舐めつくした。断末魔の叫びと砲声が次々に噴き上がった。


「駄目、行かせないで! みんな死んじゃう!!」


 半狂乱になって手足をばたつかせて抵抗するシェラーシカを羽交い絞めにしたままアレンはまだ暗い波打ち際へ彼女を引きずっていく。


「いやあぁぁ―――ッ!!」


 この後、シェラーシカは揚陸艇に担ぎ上げられ、虎口を脱した。


 公都近衛連隊の生存者は僅かに100名。


 シェラーシカを守るため、壕を飛び出した兵たちは、二度と帰らなかった。

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