第25話 殺戮のキルギバート


 倒れ伏したグラスレーヴェンのコクピットの中。

 キルギバートは目を覚ました。


―生きている、のか。


 予想以上の衝撃を受けて失神したらしい。急いでコクピットハッチの緊急開閉装置を作動させ、炸薬によって装甲板を吹き飛ばす。


 びしゃり、と顔面に生暖かく、鉄臭さのある液体が付着した。


 キルギバートがコクピットの縁に足をかけると、今度はブーツが滑った。

 かつてキルギバート機だったグラスレーヴェンの表面は血により毒々しいほどの赤で染め上げられていた。戦線はより波打ち際へと移動しつつある。しかし、キルギバートとグラスレーヴェンの周りでは今もなおウィレとモルトの兵士たちが熾烈な銃撃戦を繰り広げていた。グラスレーヴェンもひどい有様だ。両足は吹き飛び、ディーゼを持った左腕以外は頭部も全てちぎれている。


『隊長、無事でしたか!』


 クロスの声がヘルメットの無線に届き、キルギバートは後ろを振り向いた。100メルほど離れた場所で、クロス機とブラッド機がウィレ軍の抵抗火点を潰しているところだった。


『救助します! そこで動かないで―』


 そこまで言った時だった。キルギバートの目の前の壕から、次々とウィレ軍の兵士たちが躍り出た。


 グラスレーヴェンへとまっすぐに、まるで錐のようにキルギバート目がけて突っ込んでくる。コクピットへと戻った彼は、座席の下から鋼鉄の箱を取り出してコンソールに繋いだ。それから箱の蓋を開ける。装甲と同じく、血のように赤い電光画面が姿を現した。その画面の下には防護用の樹脂板で覆われた小さなボタンがある。


「すまない。そして、ありがとう」


 キルギバートは首にかけた認識票ドッグタグを電光画面にかざし、数秒ほど間を置くと、躊躇わずに樹脂板を叩き割った。


「本当に世話になった」


 そのまま釦を押し込み、彼は傍らに置いてあったブラスターと軍用の山刀を手にしてコクピットを飛び出した。機体の胸部から腰部、足があった部分へと伝い下りると、今度は向かってくるウィレ軍の兵士たちに背を向けて頭部方面へと駆けだす。


 100メルほど離れた所で、キルギバートの背中を閃光が貫いた。


 砂浜に倒れ伏し、自分の愛機が倒れた方向へと振り向いた。


 戦場に似つかわしくない、柔らかな桃色の光がグラスレーヴェンから溢れ出している。光はちょうど、エンジンコアのあった部分から放射状に噴き出していた。その光に惹かれるように、キルギバートは思わず立ち上がっていた。


 光はグラスレーヴェンを覆い隠すように膨れ上がり、今度は機体の胸部へと収縮していく。目を凝らすキルギバートにまたも衝撃が襲い掛かる。彼は仰向けに吹き飛ばされて砂浜にめり込んだ。


 光が夜空へと駆けのぼり、敵味方の全ての視線が、その光柱へと向けられる。光の根元にあったグラスレーヴェンは"消滅"していた。


 機体を自爆させたキルギバートは痛ましさを覚えた。愛機は自分が入隊した時からずっと、扱い続けてきたものだった。その愛機が逝った。

 しかし、光景に呆けている時間はない。まずはこの砂浜の地獄を生き延びねばならない。決意した瞬間、正面で凄まじい吶喊の叫び声がした。


「ッ!?」


 ブラスターと山刀を手に立ち上がると、後を追ってきたウィレ軍の兵士は弾さえ尽きている様子で、銃剣で突き伏せようと目前に迫っている。


「―!」


 キルギバートは身体をよろめかせるようにして傾けると、半身で銃剣を交わし、銃身に山刀をあてがって滑らせた。


 そのまま、つ、と踏み込むと銃身を左手に抑え、右手で山刀を振り上げた。ウィレ兵と目が合う。その装甲服の継ぎ目に当たる首の根に、キルギバートはほとんど反射的に刃を振り下ろしていた。血煙が舞い、塗装缶で吹き付けたかのようにキルギバートの左半身に返り血を浴びせた。地面へと丸太のように転がったウィレ兵は、すでに息絶えていた。


 これがキルギバートが手を下した、最初の殺人となった。


 顔面が蒼白になり、喉奥から嫌なものが競り上がってくる。限界まで瞳孔が収縮し、脳裏に嫌な音を軋ませる。キルギバートは血まみれになった山刀をぶら下げたまま周囲のウィレ兵士を見据えた。気分の悪さを覚える反面、長時間の戦闘によって平衡感覚を失った自分が、敵の血に酔っていると気付かざるを得なかった。


 吶喊中の兵士たちが歩みを止め、立ちすくむ。


 キルギバートも立ち竦んだ。ウィレ人だ。モルトランツの子どもたちと同じ―。


<……モルト人だ……>


 ウィレ兵が囁いた。


<銀髪だ……モルト人だ……!>


 銃を、突きつけられる。


<……殺せ! モルト人は皆殺しだ!>


 引き金に指をかけたウィレ兵に、キルギバートは牙を剥いた。それは完全に人間のものではない、獣のそれだった。


 ウィレ兵らが前へのめった時、横合いからグラスレーヴェンの一斉射が加えられ、彼らは先に斬られた兵士からやや遅れて死の旅路についた。


『少尉、無事ですか!』


 ブラッドの声がヘルメットに届いたが、キルギバートは何も言わず、救援に背を向けて砂浜を歩きだした。


『少尉、そっちは敵!』


 返ってきた言葉は、ブラッドの予想を超えるものだった。


「わかっている。だから行くんだ」


 時折爆発に照らし出される夜闇の中へと、キルギバートは吸い込まれるように歩いていく。


『ブラッドさん、少尉を止めてください! 死に惹かれてる!』

『待て、この馬鹿ッ!!』


―騒々しいな。


 後ろで聞こえるクロスとブラッドの叫びが、キルギバートには意味を成して聞こえていなかった。音―悲鳴に近いもの―の集合体のようなものではあるのだろう。しかし、断末魔の叫びが渦巻いている戦場では、そんなものはその他と同じ効果音でしかない。そんなものにかまけている暇はない。


―そんな事より敵だ。敵を殺さないと。


 キルギバートは目を凝らした。闇夜の猫のように瞳孔が開ききっていた。

 壕を踏み越えるようにして歩くと、壕の傍で体を折り敷いて待ち受けていたウィレ兵がこちらに気付いた。まるで獣に出会った人間のように、珍妙なものを見つけた子どものようにキルギバートを見つめている。


 その視線が恐怖から憎悪、怒りに代わり、彼らが火器を持ち上げた瞬間、キルギバートはブラスターで至近にいた兵士の眉間を撃ち抜き、突き出してきた銃剣を山刀の柄で払うと手首を旋回させウィレ兵のヘルメットで守られていないこめかみを打った。


 冷たい氷青色に変色した瞳の前を、刃の光帯が走る。ウィレ兵のヘルメットの留め帯が叩き切られ、体が伸び上がって壕へと真っ逆さまに落ちる。すでに息はない。


 キルギバートは波打ち際へと足を踏み入れていく。部下の制止の叫びも、もはや耳に入らない。銃床で殴りかかってきた兵士の足を払い、取り落とした小銃についていた銃剣をさかしまにして突き抜いた。おびえて後ろを見せて波打ち際へと走るウィレ兵に飛びかかり、後頭部から背へと刃を振りぬく。返り血は左半身だけでなく、満身を赤く染め上げていた。


―俺は軍人だ。軍人だから戦わなければ。グラスレーヴェンがなくても戦わなければいけないんだ。


 そのキルギバートの付近に砲弾が落ちる。爆発の水しぶきが頬を打ち、我に返った時、砂浜を離れている揚陸艇がこちらに機関銃を向けているのがはっきりとわかった。発砲音が正面で轟き、水飛沫を上げながら銃弾の鞭が這い寄ってくる。数瞬後には、自分を真っ二つにするだろうと、気付いた。


―死ぬ? ここで、俺が?


 目の前に迫る水飛沫の姿を借りた死の壁。己の力では不可避で、越えがたいもの。それは自分がグラスレーヴェンに乗りながら、多くの者に突き付けてきたものだ。

 それが自分に返ってくる。今ここで。


―ああ、ここで死―。


 そこまで考えた時、崩れ落ちそうになる身体が、何か猛烈な力によって海面から引っ張り上げられた。空に飛び立つ鳥のように、地面と海面が足から離れていく。子猫のようにぶら下げられたまま、キルギバートは自分がグラスレーヴェンの手に摘み上げられたのだと悟った。機動兵器の腕で、そんな芸当が出来る者を、キルギバートは数人と知らない。


『キルギバート、何をしている!』

「デューク、隊長……」

『部下を放り捨ててどこへ向かうつもりだ』


 キルギバートははっとして後ろを振り返った。クロス機とブラッド機は今もウィレ歩兵部隊の抵抗に遭って釘付けとなっている。その2機が小さく見えるほどに、キルギバートは彼らから離れていたのだ。


 コクピットハッチが開き、出てきたデュークの姿を見てキルギバートは口を噤んだ。額には包帯が撒かれ、強打したと思しき左目あたりは腫れあがっている。日中の砲撃による負傷だ。血まみれだ。

 デュークは後方へ退き、予備の機体を駆って、馳せ戻ったのだ。


『お前が向かうべきは敵じゃない。仲間のところだ』


 グラスレーヴェンの手のひらへと、キルギバートが腰を下ろした時、彼は自分の身体が猛烈に震え出していることに気付いた。何を感じているのかすら言い表せない。死の恐怖、生への安堵、部下を放った自分への恥、そして怒り。様々な感情が渦巻いて、キルギバートは歯を食いしばった。涙が後から後から止まらずに流れ出し、血まみれの顔を洗った。デュークはコクピットから腕を伝ってキルギバートの下へと歩み寄ると、その手に持っていた山刀とブラスターに絡みついたキルギバートの指を引きはがしにかかった。


「俺がわかるな。キルギバート」

「はい、わかります……」

「泣くな馬鹿野郎。士官が軽々しく泣くもんじゃない」


 デュークはキルギバートの持っていた山刀―多くの兵士の死がこびりついた凶器―を取り上げて、海へと放り投げた。


「敵を殺して訳が分からなくなったか。俺もそうだ。だが、これが初めてじゃない。そして最後でもない」


 デュークはキルギバートの頭を撫でてやりながら腰を屈めた。


「キルギバート、俺は軍人だ。教師じゃない。だから最適解をお前に贈ってやることは出来ん。だがこれだけは言える。お前は士官だ。部下とともに戦い、あいつら……ブラッドやクロスが無駄死にしないために戦うんだ。そのためには敵味方の死を乗り越えねばならない。きっと今夜の心の苦痛や苦味は一生付きまとうことになる。だが忘れようとするな、乗り越えろ。死を越えるってのはそういう事だ」


 言葉のひとつひとつが、胸に沁みた。


「わかったら立て。お前に費やす時間はこれ以上はない。俺まで殺す気か」


 キルギバートは何度も顔をこすりながら、立ち上がった。開き切った瞳孔と冷たい氷青色の瞳は落ち着いた碧眼へと戻っていた。


「やれるな、キルギバート」


 その問いに、銀髪碧眼の青年はしっかりと頷き返した。


―よし、男の面になった。


 デュークは深い笑みをこぼすとキルギバートをコクピットに乗せた。


「俺は負傷して満足に操縦できん。お前がやるんだ。朝までに終わらせて、皆を連れて帰るぞ」

「……はい!」

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