第22話 戦艦アーシェスタインの最期

 戦艦「アーシェスタイン」に座乗するメルニフ・ファーネルは航空部隊からもたらされた報告を受け入れることができなかった。モルト軍の逆襲を受け、すでに20師団が殲滅され、海兵隊も為すすべなく壊滅したという。ウィレ・ティルヴィア軍最強の部隊が、モルトランツを前にして撃滅された。

 メルニフが何年もかけて育て上げ、この戦いに送り込んだ精兵の大半は、すでにこの世にない。


「俺は悪夢を見ているのか」


 メルニフは遥か陸地に目を凝らした。緑色の光点―グラスレーヴェンの眼―が、再び海岸へと押し寄せている。


「歴史は変わったな」


 隆々とした体躯を持つ提督は頷いた。

 この瞬間、自分たちが知る"現代戦"は時代遅れのものとなり、今の海軍の時代は終焉を迎えるだろう。


「提督、撤退を―」

「ならん」


 メルニフは首を横に振った。


「海軍はウィレ軍将兵の守護神でなくてはならん」


 その座を棄てることは、ウィレ海軍の死そのものだ。


「撃てる限り、撃ち続けろ。助けられる限り、手を伸ばせ。最後まで―」


 あざ笑うかのようにアーシェスタインの警報が鳴り響いた。メルニフが艦橋の窓へと目を向けると、数条の光が尾を引いて、こちらに向かってくるのが見えた。管制士官の叫び声があがった。


「敵機―ッ」

「!」


 その数瞬前。


 火炎と血煙に支配された戦場を、たった一機のグラスレーヴェンが見つめている。

 そのグラスレーヴェンは異形であった。小さな背嚢のようなブースターユニットではなく、いにしえの騎兵が背負う幌のような大振りのバックパックが取り付けられていた。さらに、脚部も分厚い。白銀の頭部、胴体を持ち、四肢だけが黒く塗装されていた。その機体の周りを囲むように、同じような―しかしこちらは黒一色の―異形のグラスレーヴェン数機が護衛していた。


 モルト国軍人型機動兵器2式「グラスレーヴェン=ジャンツェン」に搭乗するゲオルク・ラシンは阿鼻叫喚の戦場を見渡していた。パイロットスーツを着ることなく、元帥服のままコクピットにある。


 ゲオルクの瞳は戦場に据えられていた。


「軍神よ」


 ジャンツェンの眼が赤く輝いた。


「参りそうらえ」


 まるで鷹の瞬膜が降りたかのように、ゲオルク・ラシンの瞳が黒に染まった。


 グラスレーヴェンとパイロットを同調させるモルティ・ファルクロウを使い、彼は今、グラスレーヴェンを支配……否、グラスレーヴェンと同化している。


 目が開ける。戦場が見える。兵士の表情が、その目鼻まで透けて見える。周辺に溢れ出て、うろついていたウィレの四足無人機が異変を察知し、ゲオルクのグラスレーヴェンに襲い掛かる。


 背部にあった幌のようなユニットが赤い光を放つ。鈍く耳障りな金属音を立てて、無人機は沈黙した。もはや動くことはない。"それ"は死んでいる。


―水の星の将兵よ。己強き者と誇りながら敗れ、今、何がために戦う。


 ゲオルクの目が、海上一点の光を捕らえた。彼は無言でヴェルティアを抜いた。通常のそれと違い、その刀身は長く、グラスレーヴェンが持つものの二倍、機体そのものの全長を足したほどに長大だった。


「取るべき首は、あれぞ」


 それを、光の方へと指し示した。付き従う機が次々と余分な火器を捨て、背中の推進装置を起動させる。


―西大陸は、我ら民族の地。ゆえに、我らはこの大陸で戦いを求めたのだ。


 刹那。グラスレーヴェン=ジャンツェンの両足が地面から離れた。巨大な推進装置から放たれる噴進炎に押し上げられ、白銀黒手足のグラスレーヴェンが、空を飛んだ。白い機体が次々と後に続く。グラスレーヴェンはこの瞬間に、夕闇空を舞う鷹の群れと化した。


 ウィレ軍の兵士が、兵器が、呆然と空を仰いだ。グラスレーヴェンが飛んでいる。悠然と、空の支配者として、空高く舞い上がっていく。


―弱き者たちよ。


 ゲオルク隊は軽々と10戦里を飛び越えた。さらに海岸線を越え、海上の空を舞う。


 気付いたウィレ・ティルヴィア海軍艦艇が狂乱して対空砲火を浴びせるが、ジャンツェンの背部に備え付けられた電磁照射装置についていた「赤き目玉」が開いた。そして、輝く。


「爆ぜよ」


 艦艇内の迎撃ミサイルが発射を待たず、発射筒サイロの内部で次々と爆発した。海上を、炎が舐めた。


 ゲオルク―ジャンツェン―の眼光が艦隊を射抜いた。


―戦場から去るがいい。それが汝らに与えられた唯一の選択肢となろう。


 ゲオルクの目が、戦艦アーシェスタインを捕らえた。白い機体が次々と甲板に降り立ち、ゲオルクが艦中央部へと、その分厚い脚部を突き立てた。長き白刃を払う。アーシェスタインの無敵を誇った主砲塔が、容易く両断されて海中に転がり落ちた。


―貰い受ける。


 ゲオルクはその刃を、アーシェスタインの艦橋へと一片の躊躇もなく振り下ろした。性の悪い特撮映画のように艦橋構造物が根元ごと千切れ飛び、落水した。艦橋があった個所の根本から炎が噴き出す。

 その炎に、長剣を突き刺した。

 轟音と共に甲板がめくれ上がった。艦橋下の燃料に引火し、燃料が生み出した炎はさらに弾薬を焼いて、主砲塔を下から粉々に吹き砕いた。巨大な船体が炎に飲み込まれ、傾斜し始めると、ゲオルクらは再び海上へと浮かび上がり、陸地へと引き揚げて行った。途中目につく艦艇をディーゼの牙で引き裂きながら。


 ウィレ軍が、モルト軍が、その光景を呆然と、あるいは驚愕に凍り付いたまま見つめていた。アーシェスタインはやがて船腹を見せて転覆すると、そのまま艦首を高々と突き上げて沈没した。艦橋の破壊から時間にして僅か数分のことであった。


 船体が全て海中に没した時、凄まじい轟音とともに巨大な水柱が上がった。

 ウィレ・ティルヴィア海軍総旗艦「アーシェスタイン」の最期だった。

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