第18話北岸会戦-2-
砂が舞い、炎が地を舐める。
光が空を裂いて空気を震わせる。
随分と詩的な表現ではあるが、西大陸北岸の戦いを表現するのにこれほどふさわしい言葉はないだろう。この日、大陸歴2718年1月15日の午後1時までに北岸部に上陸したウィレ・ティルヴィア軍は20万。対するモルト軍前衛部隊は35万。この大戦力が正面から狭い海岸で激突し、海からウィレ・ティルヴィア海軍の艦砲射撃、ウィレ空軍による熾烈な空爆が続いている。
ウィレ・ティルヴィア軍の主力は歩兵部隊と揚陸した装甲車両で、人型兵器を有するモルト軍に対して不利は否めない。しかし、モルト軍は押し寄せる人の波に思いもよらぬ苦戦を強いられることになった。時刻にして午後1時半。ウィレ・ティルヴィア軍の第一波は海岸部で反撃を続けていた。
「こいつら、まだ崩れんのか―!?」
海岸線で押し寄せるウィレ軍の将兵をディーゼの猛牙にかけながら、グレーデン麾下の機動部隊を預かるデューク少佐は奥歯を噛んでいた。どれほど死骸と瓦礫の山を築こうとも、ウィレ軍上陸部隊は諦めずに立ち向かってくる。寄せては引く波のように、上陸したウィレ・ティルヴィア陸軍、海軍の歩兵部隊が黒い横線になって砂浜を駆けあがってくる。彼らはやがて砂浜に穴を掘り、そこに迫撃砲や対装甲兵器を埋めて猛烈な射撃を始めた。
敵に対しての突撃は正午に海岸へと降りて以降、敵の猛烈な艦砲射撃と歩兵部隊による抵抗で頓挫している。
『俺たちが水際までさらに進んで敵を押し返す! "浜辺"を確保する!』
デュークは言いながら武器を下げた。銃身(というよりも、砲身と表現する方が的確かもしれないが)は既に一時間以上の射撃で焼けきっている。デューク機がディーゼを冷却のために地面へと横たえた瞬間、地面から濛々と水蒸気が上がった。海浜の湿った地面に群生するウミゴケが焼け焦げ、まるで舗装された道路のように固まっていく。通信からは悲鳴のような反応が返ってきた。
『銃身も焼けちまって撃つのもままならないのに、敵に突撃するなんて死んじまいますよ!』
ブラッド・ヘッシュだった。通信の直後、彼らの後ろに戦艦アーシェスタインの砲撃が着弾した。猛烈な衝撃に襲われ、ブツブツと嫌な音を立てて通信の音がとんだ。こういう状況だ。泣き言を言いたくなるのはわかる。それでも、傍にブラッドがいれば、デュークは彼の脳天に拳骨を落としただろう。
「泣き言を言うな! 味方も後について来る。俺たちだけじゃない。司令部を落とせば連中は救援の意味を失って海へ退く! いいか!」
『了解しました』
―唯一、冷静に返答を返せる部下は分隊を任せているキルギバートだけか。
デュークは呻いた。キルギバートの反応(恐らくは彼自身も恐慌状態から脱しきれてはいないはずだ)を好ましくも思ったが、それよりも隊員たちが怖気づいている。最初の砲撃による動揺が隊のほとんどに広がっている。まして、自分でも初めて経験する総力戦だ。この動揺を収めるため術は、さらなる鉄火場に身を投じるより他にない。
「キルギバート。"矢ノ陣"を組んで敵の中央に風穴を空ける。そこに味方を通す。いいな!」
『了解!』
信号弾が上がり、空をいくつもの曳光弾が飛び過ぎていく。デュークはトリガーにかける指を離し、フットペダルを踏み込んでグラスレーヴェンをさらに水際へと前進させていく。装甲を銃弾の雨が激しく叩く。
「歩兵の銃弾がグラスレーヴェンの装甲を撃ち抜けると思ったか!」
デュークが吼えた。ディーゼを使うまでもない。火器管制を切り替え、デュークは肩口の装甲を開放した。四連装の銃身が肩口から飛び出し、甲高い発射音を立てて砂浜を一舐めする。ウィレ軍の歩兵たちは降り注ぐ弾の雨に切り刻まれ、穴の中にあった迫撃砲弾が誘爆し、砂浜の火点は墓穴に姿を変えた。味方の効力射が次々と着弾し、ウィレ軍の歩兵が海へと後退していく。
「見ろっ、連中は後退し―!?」
デュークの目が海岸へと向いた。彼の目が水平線に煌めく発砲炎を捉えたのと同時に、敵艦隊からの猛烈な艦砲射撃が始まった。そしてその砲撃は、デューク機の足元でさく裂した。グラスレーヴェンが浮き上がり、空中へと吹き飛ばされた。デュークは恐ろしい振動の中で気づいた。
―戦艦だけだ。この砲撃は戦艦だけで統制して行っている。
『中隊長ッ!』
デューク機は両足を失いながらも空中でブースターを噴射し、内陸部に近い位置で着地した。まるで足に被弾した生身の兵士のように、地面を鋼鉄の左手で掻き、右手に持ったディーゼで応射しながら後退していく。キルギバートらも反撃を試みるが、艦砲射撃に追い散らされるように、海岸から陸地へと続く小高い丘を登る。彼らは再び、突撃前の位置に戻されたのだった。
☆
「グラスレーヴェン後退! やった、やったぞ!」
子どもの金切り声のような歓声が次々に上がる。両足を失ったグラスレーヴェンが黒煙を上げて地面へと"墜落"する様子を見て、シェラーシカは喜ばず、むしろ慄然としていた。砲撃を受けてなお、中の兵士は生きていた。戦艦の砲撃による至近弾は、護衛艦の主砲弾の直撃に等しい。それだけの損害を受けてなお、危地を避けるだけの戦闘能力がモルト軍の人型兵器にはあるということだ。
「あれがグラスレーヴェン……」
後退するグラスレーヴェンの散漫な射撃が背後に着弾した。しかし、シェラーシカもこの頃には敵弾の着弾位置が自分の近くか、それとも離れた位置かを聞き分けられるようになっていた。死地を潜って数時間。一生で最も長い時間に感じたと、シェラーシカは思った。その時間が、少女を知らぬ間に兵士として育てている。
「喜ぶのはまだ早いですよ。エドラント将軍のいる総司令部まで前進! 海岸を完全に掌握しましょう!」
兵士たちは武器を掲げて喊声を上げた。シェラーシカは血に濡れた砂浜を踏みしめて先に進む。轟音で耳鳴りがひどく、さらに己の発砲と着弾による硝煙で嗅覚はほとんど麻痺していた。"戦場"の臭いも、周辺で上がる敵味方の呻き声も気にならなかった。ただ、恩師でもある男に早く会いたいという気持ちがシェラーシカの足を前へ前へと急がせている。コンクリートで作られた円形のトーチカの中へと入る。
人いきれと汗の臭いが充満する総司令部では、負傷していない者は、ただの一人もいなかった。手足、頭に包帯を巻き、あるいは腕や足を片方吹き飛ばされている者もいる。指の一本がなくなっている者などは数えきれない。血と、撃ち尽くした銃から立ち上る焦げ臭い硝煙の臭いがトーチカの中を支配している。
「臭いで吐かないところを見ると、戦場に慣れたようだな。大尉」
シェラーシカは後ろから響いた声に立ち止まり、振り向いた。スミス・エドラントがそこにいる。駆け寄って抱き着きたい衝動を抑え、彼女は小銃を脇に抱えて敬礼した。模範的な敬礼に対し、スミスも教本に載せられるほどの完璧な敬礼で返した。一種の美しささえ感じるやり取りであった。
「ご無事で……」シェラーシカの声が震える。
「辿り着くまでに、大勢死なせてしまったがな。……お喋りは後だ。大尉」
シェラーシカが背筋を正し、彼女の副官を務めるアレンが工兵を連れてトーチカにやってきた。光速通信器を設置し、防戦指揮所は反攻作戦の総司令部となった。
「国防省のオルソン大将に繋いでくれ。命令を請う」
「……いえ、どうやらその必要はないようです」
シェラーシカの言葉に、スミスは振り向いた。立体通信映像には椅子に座った男が映し出されている。
『おめでとう、エドラント君。君は本日付で中将に昇進だ』
通信画面に映し出された男―ウィレ・ティルヴィア軍総司令官ベルツ・オルソン大将―の第一声がそれだった。
『将官として、西大陸方面軍の新たな司令としてモルト軍撃滅の指揮を取れ』
なるほど、とスミスは得心した。援軍の遅れについての糾問は昇進という飴玉で口を封じ、将官の立場を負わせることで苛烈な防衛戦の責任を押し付けるわけだ。
「……承知しました。大将」
『父上に恥じぬ戦いを見せてくれたまえ。先々代のウィレ・ティルヴィア軍総司令官、ハリソン・エドラント大将もそれをお望みだ。喜べ。君は勝利さえすれば、父上と同じ大将の高みに昇ることが約束されているのだから』
手袋の軋むような音が聞こえた。後ろに立つシェラーシカが、拳を握りこんでいる。同じような手管で、彼女も西大陸上陸の最先鋒と言う厄介な役目を押し付けられたに違いないが、スミスは苦笑を零していた。師弟でかくも同じ窮地に立たされるとは自分の不徳の為したことか、それとも弟子の不出来によるものか。いや、弟子が不出来であるとすれば、それは自分の責任に違いない。
つまり、彼はシュトラウスの権力闘争からはじき出されたのだ。この地獄から安穏と抜け出せる術はない以上、ここで責務を果たすまで、戦い続けなければならない。
『英雄となり、公都へ帰還せよ。健闘を祈る』
通信が切られる直前のベルツ・オルソンの表情は、勝ち誇ったかのようであった。
スミス・エドラントは天を仰いだ。
「戦線の再構築を行う」
―ウィレ・ティルヴィア軍にとって最大の不幸は、将官以上の指揮官の不足にあった。
これはモルト・アースヴィッツ軍の指揮官であるグレーデンが回顧した際の一言であったが、まさしくウィレ・ティルヴィア軍にとっては至難の瞬間が訪れようとしている。
海岸で後続の味方に押しつぶされないために、ウィレ・ティルヴィア軍揚陸部隊は押し出される形で内陸に殺到した。戦線の構築さえままならず現地の指揮系統は混乱し、後ろの兵士に背中を押されるがままに行軍せざるを得ない部隊が思案の最中も続出している。
「押し出された部隊は南へと戦線を伸ばしている。これを東西に展開させ、モルトランツを圧迫する蓋とする」
午後3時。スミス・エドラントは上陸した部隊を三方に分けるよう最初の司令を発した。東に展開する部隊は公都近衛連隊のシェラーシカ・レーテ大尉が誘導役となり、海軍揚陸部隊を預かるメルニフ・ファーネルもこれに同心し、海軍揚陸部隊を西方へと展開させた。
ウィレ・ティルヴィア軍上陸部隊は大陸を横断すべく東西へと別れた。丁度、矢印陣が凸の形に姿を変える砌のことだった。
「エドラント将軍! 内陸部より入電!」
「何があった?」
無線兵はしばし唇を痙攣させた後、言葉を継いだ。
「モルト軍部隊、総退却の模様!」
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