第19話 北岸会戦-3-


「……総退却?」


 グラスレーヴェンのコクピットで司令部からの入電を受けたキルギバートは信じられない様子で命令を繰り返した。


『そうだ。モルトランツ北境まで後退せよ』


 命令を伝えるケッヘルに対してキルギバートは反駁した。


「そこまで退けばモルトランツを奪われるぞ!」


 兵力に勝るウィレ・ティルヴィア軍の歩兵部隊が津波のように押し寄せれば、いずれ防衛戦に穴が開き、そこから市街地に入り込まれる。そうなれば今度はより際限のない市街戦に突入することになることは目に見えている。


 しかし、ケッヘルはそれ以上の反論を許さなかった。


『元帥の御命令だ。論ずる時間は終わっている。務めを果たせ』

「……承知した」


 キルギバートはブラッド、クロスらをまとめて機体を返して撤退を開始した。元来た道を、跳躍して引き返す。時折もたつく歩兵を取りまとめながら、グラスレーヴェン部隊はモルトランツ郊外へと引き下がって行った。時刻は午後3時となっていた。




 同じころ、ゲオルク・ラシンは先鋒のグラスレーヴェン部隊が殿軍しんがりとなって撤退する様をウィレ・ティルヴィア軍から鹵獲した装甲指揮車の中で確認していた。グレーデン師団機動部隊の2番機が周囲の歩兵をまとめつつ撤退していく様子を見て、この髭面の将軍は珍しく口元に笑みを浮かべていた。あの機のパイロットのことはよく知っている。グレーデンと同じくらいに。思い返せば、彼はモルトランツ制圧の際も同じような難役を負っていた。


―苦労な事だ。


 割りに合わぬことを負うのも軍人の性ではある。しかし、そうした経験が若い兵士を一人前の軍人に育てることを、ゲオルクは知っている。


「日没まで後、何刻かかるか」

『一刻であります。閣下』


 ゲオルクは西方へ目を向けた。既に陽光は白色から黄を帯びている。


 ひっきりなしに飛び交う報告の声に耳を傾ける。


 目を閉じる。軍神とさえ呼ばれ、1000年以上にわたって崇められる軍人の家に生まれた彼は今、戦場の上を飛ぶ一羽の鷹となっていた。脳裏に、砂浜にひしめくウィレ・ティルヴィア陸軍が映し出される。撤退を始めたモルト軍に空軍部隊が気づき、歩兵部隊が追撃のために突出する。凸の形は再び矢印となり、一本の角のように、黒い波がモルト軍を追ってくる。


 揚陸艦以外の、海軍艦艇が海岸へと距離を詰める。

 空を飛ぶ鳥のように、海から吹き渡る風のように、戦場が透けて見えた。


―なるほど、これが最終戦争で見た父祖の風景か。


 ゲオルクは目を見開き、口を開いた。


「夕暮れまでに敵軍を殲滅する」

『……はっ!』


 ゲオルク・ラシンは述べ終え、傍らにいた参謀に声をかけた。


「グラスレーヴェンを用意せよ。私も出る」


 午後3時30分。

 モルト軍部隊はモルトランツより北方4戦里(20カンメル)地点で再布陣した。

 北岸の戦い、その終幕が始まる。


 キルギバートは未だに最前線にある。というより、敵との衝突地点にいるという表現が正しい。彼らのグラスレーヴェン隊は追撃を仕掛けてきたウィレ軍を食い止めるため、後退しながら戦い続けている。


 モルト軍のいにしえの戦法に"退き撃ち"というものがある。撤退戦の際に敵を引きつけつつ、一定の地点で統制のとれた射撃を浴びせつつ後退するものだ。彼はそれを意識して行っていたわけではない。かと言って、敵に強いられたわけでもない。自分が退き撃ちを実践していると気付いた時、キルギバートはこの苦境にあって笑った。


「ブラッド、クロス、俺もやっぱりモルト人だった」


 自分の身体に流れる代々のモルト人の血が、戦いの記憶を呼び起こしたのかもしれない。


「今頃気づいたんですかい?」


 足元に誘導弾が着弾する。反射的に敵航空機を叩き落としたブラッドがにやつきながら答えた。彼はすでに十両以上の戦車と5機余りの敵機を葬っている。


「わかっててやってると思ってましたよ」


 クロスも追いすがる敵の無人機を切り払いながら後退している。


「敵の攻勢は散漫。このままいけば後方部隊と―」


 クロスの言葉が途切れ、キルギバートは前方に目を向けた。地鳴りと新たな砲声が響く。


「敵主力、前進を開始した模様。こちらを追撃するために!」


 クロスの声が震えていた。当たり前だ。しんがりである自分たちを追って、100万のウィレ軍が迫っている。再び、周囲に砲弾の雨が降り始めたが、キルギバートはもう驚かなかった。砲撃によるショックが続いたことで、感覚が完全に麻痺している。クロスやブラッドらも同じであった。


「クロス、俺たちはどれだけ後退した?」

「すでに10戦里です」


 キルギバートはそれを聞いて頷いた。

 弾の切れたディーゼを投げ捨ててヴェルティアを抜いた。


「これ以上の後退は命令にない!」


 キルギバートが告げると同時に斬り込んだ。

 ヴェルティアの白刃が黒い津波を捉えた。雲霞のような無人機と、敵兵と、敵戦闘車両が目の前にある。砲炎と黒煙が行く手を遮り、キルギバートたちを葬るべく砲弾を浴びせてくる。


「―行くぞ」


 グラスレーヴェンが宙に躍り、その後ろに10機の人型兵器が続いた。


「一気に叩く! 押し返せェーッ!!」


 キルギバートが吼えた。グラスレーヴェンもブースターの唸りを轟かせて咆哮を上げた。ウィレ軍の兵士たちは武器を捨て、防御の概念すら放り捨てて再後退を始めた。だが、後続部隊が彼らを圧迫し、彼らの無秩序な撤退は人溜まりを生み出すだけに終わった。砲撃が突き刺さり、人も兵器も跡形もなく消し飛ばされる。

 浜辺から内陸部に突出したウィレ・ティルヴィア軍の兵士は午後3時半時点で40万。その40万のうち、3万が最初の反撃にあって数秒で消失した。


 最終戦争での「(※)」の最大数は末期における"戦術核攻撃による二個師団消失"による2万であったから、モルト軍は禁忌とされる核を使わずして、その記録を塗り替えたことになる。


 戦史に残る"死の三十分"が始まった。








(※)瞬間犠牲……一回の攻撃における、それぞれの損耗のこと。一回の砲撃で1,000人が吹き飛ばされ、死亡したとすれば、それが瞬間犠牲となる。軍事用語ではなく造語である点に留意されたい。

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