第17話 北岸会戦-1-
同刻。
キルギバートは遥か海上に煌めく光を見据えている。本部に通信を入れるためにインカムを作動させた。
「師団司令部へ緊急。敵艦隊発見、位置は―」
頭上に無数の光が瞬いた。
「―!?」
瞬間、空と地面が逆さまになり、体がいとも容易く座席から浮き上がった。
『伏せろ、伏せろーッ!』
見知らぬ兵士の叫びが爆音にかき消されていく。
轟音と振動、破片と岩石、土砂が装甲を叩く音がコクピットに鳴り響いた。計器が真っ赤に染まり、次いで爆音がグラスレーヴェンを揺るがす。まるで缶の中に放り込まれ、揺さぶられているような衝撃だった。気づけばシートの座席に頭がつっかえ、足はコクピットの天井を踏んでいる。自機が横転したと気付いたのは何秒か経ってのことだった。
『て、て、敵艦隊の砲撃です……』
「わかってるさ……!」
キルギバートはふと、鼻が詰まるような感覚を覚えて顔面に手を当てた。血が出ている。顔面を強く打ち、鼻血を出し、さらに口の中も切れていた。自分の膝からコクピットの床にかけて血が滴った。
「ブラッド、クロス、大丈夫か」
回らぬ舌で、部下の安否を確認する。
『へ、へへっ、も、漏れちまった……』
『これが海軍の艦砲射撃、ですか』
ブラッドの歪な声が返ってきた。彼はコクピット内で失禁していた。冷静な声の主はクロスであったが、彼はこの時、気が動転して自分の腕を操縦桿と間違え、握りしめたままがたがたと震えていた。キルギバートは失禁も動転もしなかったが、砲撃の衝撃でコクピット内でひっくり返り、顔面を強打して血まみれとなっていた。結果的に痛覚が彼を正気に至らせていた。
『こちらデューク。キルギバート聞こえるか!』
「隊長機。聞こえます。全機健在です」
『海岸方面へ1戦里動くぞ。一か所にいたら砲撃で掃き倒される』
デュークの命令を聞いてブラッドが悲鳴のような声を上げた。
『艦隊に近づけってんですか!? 殺されちまいますよっ!』
『黙れ。いいか、連中はこちらを狙っている。それにこの大火力だ。敵に近い位置では着弾させられん』
「なるほど。近付けば誤射できず、敵艦隊の弾幕は弱まるということですか」
キルギバートはデュークの判断に光明を見出したかのような表情を浮かべた。しかしデュークにとってもこの判断が正しいかどうかなど確信は得られていない。かえって艦隊に近付いた結果、直接砲撃を浴びて倒されるかもしれない。海岸に近付くということは、西大陸に残存している敵部隊の前へ引きずり出されるということだ。
しかし、キルギバートは隊長のデュークにすがるしかない。指揮官を信じるしかない。そして自身の判断を信じ、戦うことで正気を保ち続けるしかない。
『機動部隊、前進!』
10機のグラスレーヴェンが荒れ野と化した沿岸を駆けていく。後に残ったのは夥しい残骸と猛烈な砲撃によって土砂に埋もれた哀れな味方の歩兵だけだった。
艦砲射撃が止み、「敵軍上陸す」の報告がモルト軍内を駆け巡る。100万の大軍を前にモルト軍兵士たちは恐慌状態に陥ることも、背中を向けて逃げることもしなかった。最前線からわずか4戦里の本営に、彼らが最も尊敬し、そして敵よりも恐れる将軍が着陣したからであった。ゲオルク・ラシンは軍刀を鞘ぐるみで手に持ち、爆炎の中で仁王立ちしていた。トーチカも接収した施設もなく、彼の周りを装甲服を着た屈強なモルト兵が囲んでいる。ゲオルクの立つ場所こそが総司令部であり、この場から後ろに下がることは敵前逃亡を意味する。
潰走しかけた兵たちは、ゲオルク・ラシンの姿を見て立ち止まり、仰ぐと、物も言わずに前線へ駆け戻った。モルトの軍規において、命令なく持ち場を離れること―敵前逃亡―は死刑を意味していた。必ず当たる督戦の銃に撃たれることと、当たるかわからない敵の弾雨を進むことのどちらが良いかなど論ずるまでもない。
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ぞっとする静寂が周囲を覆った。ウィレ軍の兵士達は砂浜に降り立つなり戸惑い気味に周囲を見渡した。一発の敵弾も飛んでこない。
「連中、まさか退いたんじゃないか?」
「今のうちに防衛部隊の陣地へ―」
幸運とさえ思える静寂の中で囁きあい、自然と銃を持つ手の力を緩めた。
まさにその瞬間であった。それが最初に上陸した不幸な兵士たちの最期の会話になった。
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―ウィレ兵と、モルト兵の見る景色が一つどころに繋がったのは、この瞬間だった。
『―全グラスレーヴェンに告ぐ、本営より命令。方位2-2-3、座標はシュティ・アルム。砲撃を開始せよ』
大陸歴2718年1月15日。モルト軍西大陸侵攻部隊は反撃に出た。デューク、キルギバート、ブラッドにクロス。戦場にいる全てのグラスレーヴェンのパイロットがディーゼを高く掲げ、一斉に発砲を開始した。榴弾は空気を震わせ、徹甲弾は気を裂いて海岸の敵歩兵たちに襲い掛かった。波打ち際から内陸部にかけて、舐めるように着弾の大爆発と衝撃が広がる。揚陸された戦車が降り注ぐ徹甲弾によってこま切れとなり、兵士は榴弾によって空高く吹き飛ばされた。
「ッ!?」
海岸に乗り上げた揚陸艦の上陸用ハッチが開く瞬間を待っていたシェラーシカは激しい衝撃に襲われた。砲撃によって自分が揚陸艦から投げ出されたと気づく間もなく、横向きに転がりながら、何メルか吹き飛ばされていく。
転がり終えて顔を上げた時には自分が乗っていた揚陸艦は炎に包まれ、船体は中央で真っ二つになっていた。中央部で榴弾がさく裂し、シェラーシカは前部ごと砂浜へと押し出されていた。身の回りで起きた一瞬の出来事に、全身が総毛立った。
炎に包まれた兵士が水を求めて海に飛び込み、二度と浮かび上がらない。砲弾を避けるために水に潜った兵士が砲撃によって海水ごと巻き上げられた。そして周りには先ほどまで生きていた兵士たちが物言わず転がっている。
「う……!」
生の戦場の空気が、シェラーシカの五感を直撃した。彼女は砂浜にうずくまり、嘔吐した。
その頭上に、敵弾が迫っている。誰かがシェラーシカの手首を掴み、一気に砂浜を駆け抜けた。背後で榴弾が炸裂したが、幸運なことに破片が身体に突き刺さることもなかった。彼女の足は空回りし、呆けている場合でもないのに頭がぼうっとしていた。気づいた時、シェラーシカはアレンに手を引かれ、砲撃によってつくられた大穴の中にへたり込んでいた。
「ふざけてやがる……。これがグラスレーヴェンか!」
アレンの声を聞いて、シェラーシカは現実に引き戻された。何かを掴んでいないと気が狂いそうで、自分の肩を抱いてがくがくと震え始めた。その肩を、アレンが強く掴み、揺さぶった。
「戻ってこい、震えてる場合か! 隊長はお前だ。しっかりしないともっと沢山の兵士たちが死ぬぞ!」
シェラーシカの虚ろな目に焦点が戻った。ここでの自分の役割は何か。それをついさっき、兵の前で話したばかりではなかったのか。シェラーシカは頷いた。意思とは関係なく、涙と汗と涎が顔を汚した。
「ええ……ええ! 兵を収容して浜辺を突破しましょう」
シェラーシカは大穴から飛び出して海岸沿いに伏せてうずくまる兵士に向かって叫んだ。
「第一陣、前へェーッ!!!」
何人かの兵士が立ち上がり、駆けだした。アレンが続けて喚いた。
「シェラーシカ連隊長に続け! 死にたくない奴は大尉の後ろにいれば死なねえ! 勇気があるやつは大尉を守れ!」
ウィレ兵たちは恐慌状態になりながらも、火器を手に防衛部隊陣地へと駆けだした。喊声とは程遠い悲鳴を上げ、まだ見ぬ敵の方向へと進んでいく。稜線の向こう側に、巨大な"頭"が顔を出したが、兵士たちはもう止まらなかった。止まったら死ぬということを彼らは身をもって学んだからだ。
☆
「こいつら、来るかーッ!」
デュークが叫んだ。砂浜の稜線を超え、先陣に立って突撃したのはグレーデン師団の機動部隊だった。後ろにキルギバート機、ブラッド機、クロス機が続いている。
「全機突撃! 奴らを海へ叩き返せ!」
キルギバートはデュークの号令を聞いて、反射的にフットペダルを踏み込んだ。グラスレーヴェンの巨体が背部ブースターの推力を得て空中へと飛び上がった。
目の前に、鋼鉄の海原と人の波が広がっている。
思う。
死んでも後ろに退くわけにはいかない。この西の地は、我々の魂の故郷。死した親が、祖先が帰還を焦がれた始まりの地。
そして何より、モルトランツを戦場になどさせない。あの子どもたちをもう一度戦火に叩き落とすわけにはいかない。
モルトランツは自分達が守る。元が誰のものなど、そんな些細なことは知ったことではない。取り戻したもの、勝ち取ったもの、守らねばならないもの、全てを守護するために、与えられた力がここにある。
―サミー、お前たちのためにもこの地を俺に守らせてくれ。
キルギバートは顔面を伝う血を噛み、息を吸った。
「おおおおおぉーーーッ!!」
吐き出した息は、獣のような咆哮に変わった。
大陸歴2718年1月15日正午。モルト対ウィレ・ティルヴィアの戦争序盤における、最大の戦い、北岸会戦が始まった。
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