第16話 西大陸の戦乙女

 シェラーシカ・レーテは揚陸艦の上で砲声を聞いていた。いや、聞いたなどと言うものではない。2カンメルも離れた海上にいる彼女たちに、砲撃の衝撃波と吹き上がった海水が襲い掛かった。シェラーシカは荒波による船酔いで嘔吐しないよう喉元を押さえて顔をしかめていた。戦闘前の極度の緊張もあるかもしれない。


「連隊長殿、シュトラウスに帰って俺たちの活躍を待っていてもいいんですぜ!」


 上陸を待つ若い兵士がからかうように言った。周りにいる兵士も笑っているが、すぐにその笑顔は消え失せた。シェラーシカの個人副官で隊の先任准士官のアレン・リーベルト准尉が恐ろしい視線を送っていた。彼は開戦前までシェラーシカ家の警護責任者を務めていた何人かの軍人のうちの一人で、病気のユルに代わってシェラーシカ家当主代理を務める少女の保護者でもあった。そして紛争調停や海賊掃討などの"実戦"を経験した叩き上げの陸軍士官だった。兵士たちにとっては恐怖の象徴で、失態を犯せばすぐに腕が千切れると思えるほどの腕立て伏せや、鉄拳制裁を課すことで有名だった。


 実のところ、シェラーシカも例外ではない。士官学校時代、特務兵(レンジャー)訓練を受けた彼女を極限まで鍛え上げたのがリーベルト准尉だった。平手打ちを食らったり、腱が灼けるほどの鍛錬を喰らった人物が部下という不思議さが、公都近衛連隊の士官層には存在している。

 シェラーシカは青ざめる兵たちの言葉を気に介さないように笑って見せた。喉元に酸っぱいものがせり上がっているが、我慢した。


「大丈夫ですか、連隊長」

「ありがとうございます、准尉」


 シェラーシカの耳元にアレンが口を寄せた。声を潜めるためであったが、ヘルメットに隠れたうなじから浮いた柔らかい匂いに頭がくらんだ。


「敬語、やめろと言ってるだろ……!」

「無理ですね。性分ですから」


 シェラーシカは口元を苦笑に緩ませたまま海岸を凝視している。陸地で火柱が上がった。


「やれやれ。それでもお前は筆頭特務兵で栄えある公都近衛連隊長だぞ。もっと偉そうにしてくれ」

「兵数は大隊規模ですけどね」


 シェラーシカ・レーテはそこで初めて自嘲的な笑みを浮かべた。ベルツ・オルソンの総動員発動、国民総徴兵を阻んだまでは良かったが、おかげで準備もままならないまま最前線だ。割に合わないことをさせられたというよりも、兵たちを自分の先走りで危地に立たせていることへの自嘲が先に立った。大尉であるシェラーシカが連隊を率いていることについて、アレン・リーベルトも、そしてシェラーシカにからかい半分の言葉を浴びせた兵士も、とやかくというつもりはなかった。


 彼ら公都近衛連隊は陸軍内部でも独立した部隊で、開戦前は儀仗部隊に過ぎなかった。期待された役割は"お飾り"に過ぎず、軍の新たな偶像として少尉に任官したシェラーシカを合法的に大尉(士官の最高位)に任命するため、もっと言えば"箔付け"のためにあてがわれた部隊だった。しかし任官されて僅か半年で戦争がはじまり、今や連隊は大隊規模の戦力のまま、最前線に乗り込まねばならない。


 上層部から与えられた最新の武器も満足に扱えない兵士たちばかりの寄せ集めと、惑星最強を自負する海兵たちから馬鹿にされてすらいる。開戦前のモルト軍広報では"おもちゃの兵隊"と揶揄された。シェラーシカは目を閉じて深く息を吐いた。恐怖に憤懣が取って代わった。


「公都近衛連隊の初陣です。リーベルト准尉」

「……いいか、隊長。英雄になろうと思うな。周りの評価なんて糞食らえだ。兵隊たちは俺や下士官が引っ張る。あんたは、俺たちが死なないように引っ張ってくれ」


 シェラーシカはアレンの瞳を見た。もうじき三十路を超える准士官はにやりと笑った。


「いいか。戦場では絶対に目を閉じるな。全て見届けろ。初陣でそれが出来れば、お前は父上より立派な将軍になれるさ」


 戦艦アーシェスタインの第二射が始まった。アレンはヘルメットを抑え、シェラーシカは揚陸艦の手すりにつかまり、次の瞬間に甲板の軍旗掲揚台に飛び乗って声を上げた。


「初陣の時がやってきました」


 兵たちが雷に打たれたかのように、荒波の振動を忘れたかのように、シェラーシカの方を向いて動きを止めた。


「皆さんに、私の命をお預けします! 私は皆さんの命をお預かりします! ですが―」


 戦艦の主砲の爆風が、シェラーシカのヘルメットを吹き飛ばした。手すりにつかまった状態で、亜麻色の髪を風に靡かせるシェラーシカの姿は兵たちが幼い頃物語に見た戦乙女の姿そのものだった。


「―お約束します! 皆さんの命が危うくなったとき、私は私の命を皆さんのために捧げます!」


 割れるような歓声がシェラーシカの揚陸艦、そして隣の揚陸艦、さらに後続の上陸艇からも上がった。一帯の兵が波風に乗って響くシェラーシカの声に耳を傾けていた。


「そんなことはさせねえ!! お嬢さんにケツを守ってもらってたまっかあ!!」

「戦う男の背中がどういうもんか、親父さん以外ので見せてやるぜ!」

「どうか後ろで見ててくれ、惚れるような戦いぶりを見せてやんよぉ!!」


 これじゃコンサートだな、とアレンが苦笑いして呟いた。言葉に、否定的な響きは皆無であった。彼自身、戦闘前の恐怖を忘れて高揚していた。もはや砂浜は目前に迫っている。シェラーシカが陸地を睨んで吼えた。周りの兵士が呼応するように歓声を上げる。アレンはこの時、17歳の少女に過ぎなかった新米士官が元帥である父を超えているのではないかと錯覚さえした。そして、その錯覚は間もなく錯覚ではなくなるだろう。


 アレン・リーベルトは、シェラーシカ・レーテが、元帥であり、高き壁の父親シェラーシカ・ユルを超えるその時まで生きていようと決心した。早速、敵弾が頬を掠めた。アレンはにやりと笑った。今の自分には弾さえ避けて通るはずだ。確証はない。しかし戦場に見えない何かが身を助けることは往々にしてあることだ。それを、アレンは知っている。


 ウィレ・ティルヴィア揚陸部隊第一陣が海岸へ取りついたのは、この15分後のことだった。


 シェラーシカ・レーテの初陣の幕が上がる。

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