第15話 黒く染まった水平線

 大陸歴2718年1月15日早朝。

 惑星ウィレ・ティルヴィア西大陸 モルトランツ。


 サミー少年はその日の明け方に目を覚ました。ベッドを伝う振動、ついで遠くから響いてくる"何かわからない重く大きな音"が少年を眠りの国から現実へと浮上させたのだった。


「おはよう、おかあさん」

「サミー、起きたの?」


 母親のリズも起きている。彼女は一階の居間の窓から外を見ていた。サミーが母の肩越しから伸び上がるようにして窓の外を見た。

 黒いスーツを着た"兵隊"が列をなして家の前を通り過ぎていく。


「わああ!」


 純粋な感嘆が、少年の口から洩れる。一糸乱れぬ動きで、並列はモルトランツの全ての道路を使って市街の外へと向かっていた。北へ、北へと向かっている。

 やがて、びりびりと窓硝子が揺れ始める。リズの唇がきゅっと結ばれた。この日、サミーはモルト軍の機械人形が動く様を、同級生の誰よりも近くで目にした。


「ワアァーオ!!」

「……サミー、今日からしばらく、家の外に出ちゃ駄目よ」


 切羽詰まったような母の声に、少年はぽかんと口を開けた。


「どうして?」

「近くで戦争があるのよ」


 サミーはその言葉を聞き、兵隊たちの鉄兜の下にある表情を見た。


 誰一人として、笑顔の者はいない。彼らはこれから"戦争"に行くのだ。




 少年が戦争を身近に覚えた頃から、遡って数時間前のこと。


 ウィレ・ティルヴィア海軍が西大陸沿岸の各地で攻勢を始めたことは、すでにモルト軍全部隊が知るところとなっている。時折、海岸から深く入り込んだウィレ空軍部隊の襲撃を受けつつも、モルト軍は海岸へと戦線を押し上げている。


「攻め込んですぐに防衛戦か」


 迎撃のため、機上の人となったキルギバートは14日夜にモルトランツを出て、翌未明には北岸部へとたどり着いた。距離にしてモルトランツ市街中央部から100戦里(モルト軍用語。1戦里は2カンメルなので、この場合は200カンメルとなる)の荒涼とした海岸が、彼らにとって次の戦場となるだろう。

 呟き、キルギバートは戦闘糧食をシートの下から取り出し、食事に入ろうとした。

 その時だった。今度は、やけにはしゃいだ声が届いた。


『すごい、少尉! これが潮のにおいってヤツなんですね』

「潮風か、クロス?」


 キルギバートはグラスレーヴェンのコクピットを開放した。空気が抜ける様な音がした後、胸甲のようなハッチが下がり、夜明けきらぬ紺色の空が大写しになった。

 表現しがたい、酸味のあるというか、何かこもったにおいが鼻をついた。


「……あまりいい臭いではないな」

『でも、モルトではこんな臭い嗅がないでしょう? やっぱり、この広い水辺が"ウミ"なんですね!』


 クロス・ラジスタはウィレ・ティルヴィアに降下後、この惑星の気象や自然現象について何かあるたび感嘆する日々を送っている。

 キルギバートも、人工の宇宙都市に住む身なので降下後の日々は驚くことばかりだが、クロスほど純粋にウィレにおける万象を楽しんでいる人間はいないだろう。


「これが"海"か……」


 キルギバートは青い瞳を凝らし、ついでヘルメットを被った。バイザーに備え付けられた光学望遠を使い、限界まで映し出された前方の景色を観察した。


 灰色の海原を強調するような白い地面(浜辺、という言葉をモルト人は知らない)があり、その周囲に急造のトーチカがあり、周囲には塹壕が張り巡らされている。


『前にある陣地が、ウィレ・ティルヴィア軍の西大陸防衛部隊ですか』


 クロスも同じ景色を見ているらしい。キルギバートはコクピットハッチを閉じて、通信を開いた。


「デューク少佐。所定の位置へ到着しました」

『よし。キルギバート少尉。貴官は本中隊の支隊として浜辺の警戒にあたれ』

「了解しました」

『まずは、朝飯にしろ。次はいつ食えるかわからんぞ』


 通信画面に映し出されたデュークに向かって敬礼し、交信を終えたキルギバートはようやく食事にありついた。冷えたパックの戦闘糧食の味は祖国の豚肉料理だったが、相変わらず美味いとは思えなかった。


 戦闘糧食が、だ。


 モルトランツに入城しての数日は温かい食事に恵まれていた。今思えば、かえって不幸だとさえ思う。


 いざ戦闘が始まり、最期の食事が冷たい真空パックの糧食になった―などとは、万一の事態に追い込まれたとしても思いたくなかった。

 我ながら食い意地が張っているとさえ思う。だが、過酷な軍務だからこそ、美味い食事への渇望も尽きない。


『少尉、このパックめし美味いっすね!』


 通信からブラッドの暢気な声が聞こえてくる。


「……そうだな」


 キルギバートは多少げんなりした声音で返した。彼ならきっとどこでも生きて行けるはずだ。お前が羨ましい、という言葉を口に出すことだけは我慢した。


『警告、敵機!』クロスの叫び声が響いた。


 キルギバートは乗機の頭上を飛び過ぎる敵機を睨んだ。高高度から侵攻されると迎撃し、叩き落とすことは難しい。

 だが、爆撃は数分だった。キルギバート機のレーダーに引き返してくる敵機が映し出される。


「この爆撃は威力偵察だ! 攻撃も散発的だ」


 足元を行きかう歩兵部隊、車両部隊を落ち着かせながら、キルギバートはレーダーを注視していた。敵機が高度を下げながら、向かってくる。


「来るぞ!」


 キルギバートはグラスレーヴェンのディーゼを空中に向けて乱射している。上空を鋭角なシルエットを持つウィレ・ティルヴィア空軍の主力戦闘爆撃機が低高度で飛び過ぎていく。

 彼らは旋回しながらキルギバートのグラスレーヴェンを狙うように機動している。


「舐めやがって!」


 キルギバートは舌打ちした。悪態をつき、ディーゼに対空炸裂弾を装填する。


「叩き落とせ、グラスレーヴェン!」


 号令に呼応したグラスレーヴェンは弧を描くように飛行する戦闘爆撃機のやや前方を狙った。グラスレーヴェンに搭載されている射撃管制が最大の効力を発揮したのは、この時と言えるだろう。初弾は戦闘爆撃機の片翼をもぎ、次の斉射でコクピットを粉砕した。


 時速700カンメルを超える高速戦闘爆撃機は僅か数回の斉射で火を噴いた。機体は錐揉みするようにして高度を下げ、地上に激突すると大爆発を起こした。

 火炎を背に、キルギバート機の緑のカメラアイが上空を睨む。戦闘爆撃機部隊はおののくようにして機首を返して去って行った。


 キルギバートは息をつき、ブラッド機、クロス機の方向に振り向いた。僅かな間に、首筋と背中が嫌な汗でぐっしょりと濡れていた。


「本隊が来るまで警戒を解くな。ここはどうやら、すでに最前線らしい」

『少尉、ウミを、ウミを見て』


 クロスの声に、ブラッドが半笑いの声で応じた。


『クロス、ウミはもういいって―』

『違います、あれは』


 キルギバートはクロスの声に導かれるようにして目線を海へと向けた。水平線が黒い。黒い線はぎざついた輪郭で水平線を覆い隠し始めた。


『ウィレ・ティルヴィア海軍です! すごい、すごい、すごい数だ……!』


 夜が明ける。太陽に照らし出された水平線を乗り越え、海上に鋼鉄の要塞線が出現した。


 大陸歴2718年1月15日。


 キルギバートにとって最も長い地上戦の幕が明けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る