閑話 戦火の中の夫婦


 モルトランツは、宇宙からやって来た"異星人"の手に落ちた。


 戦火を避けて避難した市民は、地下鉄や公共施設で身を寄せ合って災難が過ぎ去るのを待っている。


 西大陸随一の規模を誇るモルトランツの総合運動公園は、戦前は多くの人の憩いの場として賑わったが、今は避難民でごった返している有様だ。

 モルトランツには南北を縦断する二本の川がある。古くはモルト国首都の水運を担った一級河川の巨大な三角州に作られた運動公園は、火の手を避けるに最適な避難場所だった。


 市民を守ったウィレ軍は去り、残るは僅かな残兵部隊、それに警察官と数万の市民のみ。


 球技場内に運よく入り込めたモルトランツ市民のリズ・マーフィンは、モルトランツ市民の一人だ。夫がいて、7つになる一人息子がいる。どこにでもいそうなくすんだ茶髪とハシバミ色の瞳を持つ、やせた主婦で、結婚するまではモルトランツ郊外の税関事務所で働いていた。

 働いていた税関事務所は戦争が始まる前に、防空トーチカを建造するために取り壊されたが、さらに降下してきたモルトのグラスレーヴェンによって"更地"にされてしまった


―私は悪夢を見ているのかしら。


 リズの傍で震えている隣に住む老婆や母子、そして頭を抱える中年の男性。皆、マーフィン家の近所に住む人々だ。


―いえ、きっとそう。


 1週間前まで、彼らは自宅で寝起きし、いつもと変わらず夫は仕事に出かけ、息子は学校に出かけて行った。


 今は、家に帰れるかすらわからない。


 疲弊したモルトランツの市民たちは皆、ひどく疲れている。心なしか、呼吸がしにくくなっているとさえ感じ始めている。リズが小さなバックに詰まれた酸素ボンベの一つ目を息子に与えるために手にかけた。


「……サミー?」


 リズは傍らにいるはずの息子の名を呼んだ。そこに、彼女とのんびり屋の父親に似た少年の姿はなかった。


 リズは立ち上がった。血の気が引く、という感覚を生まれて初めて味わっている。ふと、しゃがみ込んだ人の海原をかき分けるようにして、防災用の安価なヘルメットを被った男がよたよたとリズに歩み寄ってきた。


「ロバート!!」


 ロバートと呼ばれた男―リズの夫―は、疲れ果てた身体を奮い立たせるように、さらに人込みを掻き分けて愛する妻と再会を果たした。

 抱き合い、口づけを交わそうとする夫の顔を抱えるようにしてリズは叫んだ。


「サミーが、サミーがいないの!」


 その上空を、何かが飛び過ぎる。急行列車が頭上を飛び越えるような轟音の主を見て、リズは凍り付いた。


 モルトの機械人形―グラスレーヴェン―だった。

 リズははぐれた子どもの"万に一つの場合"を覚悟した。


                 ☆


―2世紀ぶりに戦争が始まった時、私はそれをおとぎ話のように感じていました。

でも、あの黒い鉄の巨人が空から降ってきて、今まで頼りにしていた世界そのものが、風に吹き飛ばされる落ち葉のようになくなってしまった時、私はやっと現実を把握できました。


……私たちは、戦争に巻き込まれたのだと。



 大陸歴2720年、西大陸モルトランツ市民 リズ・マーフィンの回想。

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