第8話 その少女、シェラーシカ

「―見ろ」


 大尉の制服を着た少女が最高司令部へ踏み入った時、それまで急報の混乱にあった屋内が、水を打ったように静まり返った。


「あの亜麻色の髪―」

「まさか、本当に彼女か?」


 誰かが囁いた。


「間違いない。あの大尉の階級章の右端にある、三つの星」


 彼女の耳に、彼らの囁き声は聞こえていない。だが、その襟元にある金色の士官の襟章には確かに三つの星が輝いている。


「惑星唯一の特務士官ー」

「ウィレ・ティルヴィア唯一の"公家こうけ"が、動いたのか」


 ウィレ・ティルヴィアには旧シュトラウス連邦時代に、国家の創建に貢献した一族が存在する。人はそれを"名家"と呼ぶ。

 最も古い歴史を持つシュトラウス家は2000年以上にわたり惑星に君臨し続けている。人類史の始祖と呼ばれる大帝シュトラウスを先祖に持ち、名家の中でも筆頭、というより神格化された存在だ。この現代でも皇族として扱われているほどで、子息子女はことごとくが惑星において重要な公の地位に就いている。


 このシュトラウス家と血の繋がりのある名家を、公家こうけと呼ぶ。


 そして、この公家は現代において、ただ一つしか存在しない。


 シュトラウスの賢妃、故・シェラーシカ=アイルシャリス=シュトラウス大公女を妻に持つ、前ウィレ・ティルヴィア軍最高司令部シェラーシカ・ユル元帥総軍大将の一族。


 シェラーシカ家である。


「あれが、シェラーシカ・レーテ」


 公女シェラーシカ・レーテ。現在、ウィレ・ティルヴィアにおける名家の中で、最も将来を嘱望されている少女だ。


 陸軍大尉の制服に身を包むシェラーシカ・レーテは、そのまま亜麻色の髪を翻して最高司令部の最深部へと歩んで行った。




「奴らの力を貴官は知らない。国民を総動員してでも侵略を防がねばなるまい」

「確かに、私は未だにモルト・アースヴィッツの新兵器の威力を知りませんし、見ていません。ですが、この時期に国民を総動員してどうなるのです? あのグラスレーヴェンを見て、恐慌状態に陥った国民を徴兵すれば、惑星は内側から瓦解します」


 執務室に入ってからシェラーシカ大尉がオルソン大将と舌戦を繰り広げるのにそう時間はかからなかった。一介の大尉が一軍の総司令官に舌戦を挑むなど不可能だ。処罰される、と言ってさえよいほどの高い壁が、二人の間にはあるはずだ。


 しかし、それを可能にする切り札をシェラーシカは持っていた。ウィレ・ティルヴィア陸軍首席士官、そして"公家"シェラーシカ家の後継者であり、病気療養中の前ウィレ・ティルヴィア軍総司令官のシェラーシカ・ユル元帥の名代である彼女を無視することは、オルソン大将にもできない。


 それでも依然として二人の主張は平行線を辿っていた。


 要因は二人、もといオルソン家とシェラーシカ家が不仲であること―、というより、オルソン家がシェラーシカ家を一方的に敵視しているうえ、そのままウィレは開戦を迎えてしまった。


 事につけ、ベルツ・オルソンはシェラーシカ家の当主であるユルをシュトラウス家との政略結婚による成り上がりと非難して憚らないが、ユルはそれでも、オルソン大将を作戦本部長の重役に付けて重用した。しかし、その元帥が病を得ると、ベルツはいともたやすく総司令官の空いた椅子に座った。

 病で元帥が苦しみながら開戦を回避するために奔走するのを横目に、議会を説得して回ったのはベルツ・オルソン本人であった。議会からの休養勧告が元帥に届けられ、それを見たシェラーシカ・レーテの父は解官を申し出た。


 父を中傷し、裏切った男。という思いがシェラーシカ・レーテの胸中にはある。しかしそれを年相応に表に出すほど、彼女は愚かではなかったし、間違いなく惑星中のどの同世代の若者より深い思慮と堅牢な忍耐力を持っていた。

 シュトラウスの血を引いているだけで大尉の地位を得たわけではない。


「大将は、軍人の命役を何とお考えですか?」

「無論、戦時は戦場に赴き勝利を掴み取る事だ」


 シェラーシカは表情を変えず、細い秀眉を寄せて笑んでいる。彼女は考えていた。この石頭の大将を納得させるのは要塞一つ落とす事より難しい。

 ならば、こちらから刃の切っ先を見せ付けてやればいい。


「困りましたね。議会を説得できてもシュトラウスに存在する全ての名家を味方にすることは不可能ですよ。閣下」


 シェラーシカの母の実家はシュトラウス家であり、今もなおウィレ・ティルヴィアの歴史を代表する巨大な象徴として君臨している。現時点で、シュトラウス家はシェラーシカ家の味方だ。


「議会の"説得"は時間稼ぎ。狙いが他にあることを私が知らないとお思いですか?」


 シェラーシカの言葉に、ベルツの顔が見る間に赤黒く染まった。


「貴様ッ、どこまで知っている!?」


 しゃべり過ぎたかしら、とシェラーシカは心中で苦笑した。しかし売った喧嘩は相手が音を上げるまで売り切らねばならない。相手が大将ならば、途中で退く方が危険だ。


「家名というものは、こういう時には階級を三つも四つも底上げしてくれるもののようでして。色々と役に立つ情報を下さる先輩方に恵まれています。すべて、オルソン大将のおかげですよ」


 シェラーシカ・レーテは無垢そのものの笑みを浮かべた。

 ベルツ・オルソンはぞっとした。笑みは彼女の母親にそっくりだ。しかし、表情の裏に父親の影をまとっている。それはけして借りた威光のみで為し得ないものであることを、ベルツは知っている。


 シェラーシカは微笑んだ。


「もし、貴方の思惑が素通りし、国民を動員することが認められ、かつては自国民であった西大陸に核弾頭が飛ぶようなことがあれば。父と議長、そして海軍総司令官のファーネル提督も黙っていないでしょう。そして、その場合は私の隊が放った砲弾が貴方に直撃しても知らない。ということです」


 ベルツの顔がこわばった。


 シェラーシカ・ユル、アルカナ議長、惑星最強の名を冠するウィレ・ティルヴィア海軍の司令官にして、シェラーシカ家と友好関係にある名家ファーネルを彼女が切り札に使うことはベルツにとっても想定内だ。


 しかし、この"小娘"が元帥である自分に真っ向から"武力行使"をちらつかせたのは予想外だった。


 その力を与えたのはオルソン自身だ。懐柔のため、小娘と舐め切って公都の一部隊を与えてやった。結果、議会を味方につけた彼女にウィレ史上最年少の特務士官という大層な肩書を認めてしまう結果になった。

 シェラーシカ・レーテはなおも迫撃する。


「しかし閣下。我々は争っている場合ではありませんよね。同じウィレを拠り所にするもの同士、最終戦争の轍は踏みたくない。父もそう考えています」

「貴官も父と同じ考えか、大尉」

「もちろんです。そのための軍人では?」

「であれば君はその先駆けとして、西大陸で役目を果たすのだな? そう、大尉。そのための軍人だな?」


 最前線行きの通知。シェラーシカにとっては絶望的な一言だ。だが、彼女はそれすら喜ばしいと思った。


「―本望です」


 会話が途切れた。しかし本題は終わっていない。


 しばらくの沈黙の間、シェラーシカは身動ぎ一つせずに返答を待った。既に日は暮れて夜になっている。だが、時が朝になろうが昼になろうがシェラーシカは待ち続ける覚悟を決めていた。


 しばしの沈黙の後、ベルツは立ち上がった。逃げるのか、というシェラーシカの冷たい眼光が一回りも年上の最高司令官の肺腑を貫通した。


 ベルツが口を開く。


「議会への案は取り下げる。もう一つの手も様子を見よう」

「ありがとうございます、閣下」

「君は西大陸への尖兵となってもらう。期待している、大尉」


 シェラーシカは表情を変えず敬礼し、そのまま部屋を後にした。

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