第2話 「この戦争は未曽有のものになるだろう」-モルト-

 恒星フロイムから見てウィレの一つ裏に位置する"月の惑星"モルトの大地には、大小12の宇宙都市が存在する。


 いずれも半球(ドーム)型の巨大な人工物で、宇宙に追放されてから200年をかけてモルト民族が作り出した楽園である。モルト・アースヴィッツ国(モルト語で"偉大なる宇宙国家モルト国"を意味する)の首都を誇るアースヴィッツは首都半径100カンメル(※)と最大の規模を誇り、人工都市群を束ねる"首都"の役割を担っている。この巨大な都市の東西には片側五車線の長大な幹線道が巡っていて、その周囲を輪を描くようにして環状線や支線道路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


 中央、全ての道路が交差する場所近くには月の大地を統治する"官庁街"があり、その区画を取り巻くようにして都市が形成されている。


 さらに、月面のクレーターを利用して作られた外殻と、軍事用の防御設備が張り巡らされた超硬質硝子のドームは堅固な作りになっていて、外敵の侵入を寄せ付けない。


 これがウィレ・ティルヴィアに対して攻め込んだ、モルト・アースヴィッツという国家を外から眺めた姿であった。


「国民同志諸君!」


 首都、大宇宙都市(アースヴィッツ)の中央。官庁街の前面にある巨大な台形広場の前に、数万の市民が集まっている。演台にはモルト・アースヴィッツ政府内務相を務めるフリーガ・ファウスト・ケッヘルの姿がある。痩せて細身で、その面は髑髏のように肉がない。艶のある黒髪は後ろに撫で付けられているが、まるで骸骨に頭髪が植え付けられたかのような不気味さがあった。肌が、白い。これが日照の概念のない、宇宙に生きる人々の特徴であった。


 その演壇を純白のグラスレーヴェン―親衛隊機―2機が挟むようにして守っている。


「モルト国民、そして宇宙に生きる民の、偉大なる指導者、グローフス・ブロンヴィッツが演説す」


 演壇を囲む黒山の人だかりから、一層高く大きな歓声が上がった。演壇の上で、ケッヘル内相が高々と腕を掲げて元首に敬意を表する。

 やがて壇の裏手にある階段から、その男が現れた。最初に総白髪の頭部が見えた。次に、幅広の肩を純白の外套で覆った頑丈な上体が現れ、そして滑るように全身が露わになった。背が高く、六尺半ほどはある。


 今まで起こっていたものを、さらに割るような歓声が轟いた。


「「国家元首万歳ディア・グローフス・フェリーザ!!」」


 その恵まれた体躯を壇上に現し、彼は緑がかった青色の瞳を群衆に据えた。


「我がモルト国民同志、モルト・アースヴィッツの軍旗に集いし将兵諸君よ」


「私の声が聴こえているか」

ヤー!」


 大絶叫、歓声に対してブロンヴィッツは片腕を挙げて応えると、それを打ち振るようにして歓声を制した。瞬く間に、歓声が止む。


「払暁、私はモルト国民を代表し―」


 場がざわめく。抑えきれない高揚がざわめきとなって場を満たしている。


「ウィレ・ティルヴィア政府に対して宣戦布告を通達した」


 万歳の声が広場の四方に植えられた街路樹を揺るがし、その葉を散らした。ブロンヴィッツを讃える声が止むことはない。

 肯定の歓声が沸き起こる。


―ウィレを倒せ、宇宙に真の平等と平和を!

―国家元首よ御命令を! 我々は戦います!


 大歓呼の中でブロンヴィッツは左手を胸に当て、右手を掲げ、その親指と人差し指を立てた。


「この戦争の大義は我々にのみ与えられている。ウィレにはそれがない、彼らはそれを身をもって知るであろう」


 ブロンヴィッツは続けた。我々は常に進撃し続ける、と。ウィレ・ティルヴィアに勝利を収めるその時まで、闘争の矛を収めるつもりはない、と。その言葉の一つ一つに群衆が湧き、人の波がうねった。彼の声が響き、その手の動きに合わせて群衆は熱に浮かされたかのようにうごめき、そして熱狂する。彼らモルト国民にとって、ブロンヴィッツがどういう存在なのかは、すでにこの光景によって表されている。


 ブロンヴィッツは拳を高々と差し上げた。


「再び強き民となるべき時が来たのだ。再び、真の生命を得て活気に満ちた国を創る時が来たのだ」


「私がこの国の指導的立場を、諸君らの信任によって勝ち得て18年、諸君らは何と多くの功績を残してきたことか! それがいま、諸君らの前にある!」


 2機のグラスレーヴェンがサーチライトに照らし出される。純白の装甲が光を反射し、まばゆく周囲を照らし出した。


「我々は多くのものを生み出した。我が祖先が荒涼とした月面にこの楽園を生み出したのと同じか、それ以上に、この十数年は歴史に刻まれるべき功績だ。その我々がただ豊かさのみに胡坐をかいて、我々を虐げ続けてきたウィレ・ティルヴィアに負ける道理があろうか!」


 否、の声が轟く。


「そしてモルトの民が西の大陸に在った頃より、我らを守り給うた軍神が見捨てるはずがない!」


 再びの肯定に群衆の熱気が満ちた。ブロンヴィッツは壇上で僅かに頷くと、己の手元にあった演説の原稿を握りつぶして後ろへと放り捨てた。最早、必要が無い。


 ブロンヴィッツは両手を広げた。群衆の中にある若き乙女が崩れ落ちて涙し、老人は若返ったかのように立ち上がって己が元首と仰ぐ男へと腕を伸ばした。若き男が激高して雄たけびを挙げ、闘いを叫んでいる。


「最早我々は虐げられる敗者にはならない、何者も200年前のように我々を裁くことはできないし、2年前のあの忌まわしい日のように、誰も我々の尊厳を奪うことなどできないのだ!」


「モルト国民よ、諸君の意見を聴かせてほしい! 諸君がこの戦争に大義を見出しているのならば、私は諸君らの第一の兵士として、諸君らにのみ従属し、諸君らのためだけに命を賭して戦うであろう!」


「モルトに勝利をもたらすその日まで戦い続けようではないか!」


 ブロンヴィッツの差し上げた拳に応えるように、全ての群衆が立ち上がって絶叫した。


祖国万歳ディア・ファーツランツ!!」


 壇上を降りたブロンヴィッツに、演説の開始を告げたケッヘル内相が駆け寄って握手を求めた。


「どうであった、我が同志」


 ブロンヴィッツは涼しげな笑みを浮かべている。あれほどの激しい演説にも関わらず、汗一つかいていない。


「大成功です。元首閣下」


 ケッヘルは頷いた。「モルト及び、友邦諸国に最大の共感を与えるでしょう」


「ウィレの動きはどうだ」


 ブロンヴィッツは外套を脱ぎ、従卒に渡して身軽になりながら、演壇の背後にある白亜の大官邸へと入っていく。


「ろくな防衛もままならぬ模様です。すでにモルトランツは我らが手にあります」

「軍を、ベーリッヒ首席元帥、ゲオルク・ラシン大将を呼べ」


 御意、とケッヘルは頷いて己の官庁へと歩みを取る。ブロンヴィッツは、ひとりとなった。

 そのまま、円柱が天井高く立ち並ぶ廊下へと進んでいく。まだ背後では群衆の歓声が続いている。


「どうであった―」ひとりとなった国家元首がふいに口を開いた。


 円柱から、人の影が差した。


「やはり貴方は最高の芸術だ。この宇宙最高の創世者でいらっしゃる」

「バデ」


 バデと呼ばれた男はブロンヴィッツの足元に進み出る。恐ろしいほどに小さな男だった。恐らく、その体躯は5尺に届くか。まるで子どもだった。だが、その弧を描くような形の眼、橙の瞳には妖しくも吸い込まれそうな光がたたえられている。


「貴方が世に出る前から注目していた私の眼に、やはり狂いはなかった。貴方こそこの宇宙を統べる偉大な統治者となる御方です」


 ブロンヴィッツは手を掲げる。その足元に、バデは静かに額づいた。


「バデ。バデ=シャルメッシ伯」

「はい、我が元首」

「この戦争は、歴史上、未曽有のものとなるであろう」


 バデは甲高い笑い声を上げた。


「なるがよろしかろう!! 一切合切を塗り替えるためにも、戦争の歴史すら塗り替えてしまうがよろしいのです!!」


 バデは己の胸に手を当てて深い礼を取った。


「それが出来るのは、グローフス・ブロンヴィッツ、貴方を置いて他になし!」

「ならば戦おう。この月の大地の全てを賭して」

「……御意のままに」


 ブロンヴィッツは踵を返し、再び己の在るべき場所へと歩みを進めた。


※カンメル……宇宙統一単位のひとつ。太陽系地球単位に直すと1メル=1メートル。1カンメルは1キロメートル。

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